ホームメイド・ケフィアを好きな方のために

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ブルガリア菌とグリゴロフ博士(3)

2009年02月28日 18時36分18秒 | Weblog
メチニコフ氏は、すぐにグリニコフ氏の発見に興味を持ち、発見者である彼と会ってミーティングしたい旨の数通の手紙をMassol教授に書き送りました。そしてメチニコフ氏はブルガリア人である彼を研究所の科学者たちに講義してもらうため、パスツール研究所へ招待したのです。それから間もなく権威のあるフランスの科学雑誌「Revue medical de la Suisse Romande」はブルガリア発酵乳の基になる乳酸菌の確かな証拠を提出したグリニコフ氏による論文を掲載しました。また、その後も著名な科学者であるCohendi氏、Michaelson氏、Lewersen氏、そしてCohen氏全員が一致して、それをブルガリア乳酸菌(ラクト バクテリウム ブルガリカム)と呼ぶようになりました。このようにして、発見者の母国への賞賛と発見したことの重要性が証明されたのです。
 1人のブルガリア人である彼は、世界中の科学者達に知られるようになった時、まだたったの27歳だったのです。
 Massol教授のジュネーブ大学医学部での講演は大きな影響を与えました。そして教授の推薦により彼は、特別賞と賞金を貰うことが出来ました。教授によるこのプレゼンの報告により、世界中の科学者がこのことを高く評価するようになりました。
 グリニコフ氏とメチニコフ氏は1905年末にパリのパスツール研究所の大会議室で会っています。そこには、最も有名な医学分野の科学者たち、つまり学士会員、教授、発見者、微生物学者等の世界的に著名な人たちが集まっていました。彼らの関心は“Revne Medicale”での講演者である彼の発表に集中していました。また、他の人たちもMassol教授の力強いコメントや学会の長であるメチニコフ氏との議論を通して既に彼のことを知っていました。そしてメチニコフ氏が微生物の聖域におけるこれらの一連の成果を認めてから、その評価はいろんなところで見聞されるようになりました。人々の関心は講演者の年齢や彼らの多くが知らない国の出身者であることでした。(以下次回に続く)
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ブルガリア菌とグリゴロフ博士(2)

2009年02月27日 21時16分16秒 | Weblog
1903年にIlya Mechnikov(メチニコフ)氏は、老化と死、人間の生物としての生命に関する本を出版しました。その本の中で、老人の病気は、その他の世代の病気とは違うものとして取扱われるべきものであり、効果的な治療方法を全力で見つけ出そうとしていると彼は述べています。この著名な科学者は、ブルガリアの発酵乳の中の乳酸菌が腸の老化を防ぎ正常化する働きが、また正常でない老化や病死を引き起こす有毒物質を中和させるのではないかという説を支持していました。ブルガリア発酵乳に関して、メチニコフ氏と彼のチームの生物学の研究課題は、教授が彼の助手であるグリゴロフ氏にブルガリア発酵乳の乳酸菌を特定するよう指示した基本でもありました。観察と実験がすぐに開始され、顕微鏡での膨大な時間での観察の結果、ついにミルクの発酵を引き起こす1つの菌体を捕らえることに成功しました。その同じ日に、Massol教授はメチニコフ氏に手紙を書きました。その内容は次の通りです。
親愛なるIlyaへ
“私の助手であるStamen Grigoroff君ですが、彼はブルガリアのスラブ人ですが彼の研究における素晴らしい粘り強さ、不屈の能力は私を驚かせています。彼は貴重な人材でありあなた方、特にあなたにとって非常に有益な人材である確信しています。彼は私の研究室で膨大なテストを通して、ついにブルガリア発酵乳を作る菌を発見し、特定することに成功しました。そして発酵はブルガリアで彼によって作られました。あなたは今、寿命を伸ばす方法を必死に研究されています。あなたが研究されている白血球のような食細胞に、ブルガリア発酵乳とグリニコフ氏が発見しまた、私も顕微鏡で観察した桿菌のようなバクテリアが有効なきっかけとなるでしょう。”(以下次回に続く)
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ブルガリア菌とグリゴロフ博士(1)

2009年02月26日 12時58分16秒 | Weblog
グリゴロフ博士がブルガリア菌を発見してから100年の記念事業として出版された書籍から英語の部分(167~172ページ)のみ抜粋し翻訳して、数回に分けて紹介します。

「Trun地方Studen Izvor村の入口にある古い家の前の歩道に次のような記念碑が掲げてあります。
“Trun地方のIzvor村のこの家で、Dr.Stamen Grigoroff(グリゴロフ)氏は生まれ育ちました。(1878~1945)彼は、1905年にブルガリアの発酵乳から「バチルス・ブルガリクス」を発見しました。この記念碑はブルガリア社会党により、この微生物学者のために作られたものです。”
グリゴロフ氏は1878年10月27日、Trun地方Izvor村で生まれました。彼はソフィアの中学校で学び、その後フランスのモンペリエで自然科学を、ジュネーブで医学を学びました。その頃は、ジュネーブで教えていた細菌学者のMassol教授が活躍していた時代でした。20世紀の始めは、自然科学の知識が急速に進み、医療の分野でも微生物における多くの発見が花開いた時代でした。
そのような華やかな時代の中にあっても、グリゴロフ氏は彼の研究の1年目に、彼の教授等、特にMassol教授に対してその時代でも稀な彼の革新的思考や博学さを印象付けました。Massol教授は彼を励まし、研究を進めるための大学の図書館を使うことや、教授の助手に指名しました。」(以下次回に続く)
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ブルガリアヨーグルトの父、グリゴロフ博士のこと

2009年02月25日 14時41分12秒 | Weblog
ブリゴロフ基金の主宰者ジュリア・グリゴロフさん(グリゴロフ博士の姪)と私、肖像画はグリゴロフ博士

ブルガリアヨーグルトの発見者としてメチニコフ博士のことはよく知られています。フランスのパスツール研究所のノーベル生理学賞受賞者メチニコフ博士がブルガリアを旅行したとき、当地に長寿者が多いことを知って、その原因として当地の人々はヨーグルトを常食しているためであると考え、彼自身もヨーグルトを作って食べるとともに、ヨーロッパにヨーグルトを広めたと伝えられています。
しかし、私はこの2月の初旬にブルガリアを訪れ、メチニコフ博士の前にブリゴロフ博士がいたことを知りました。

ブリゴロフ博士は、ブルガリアの発酵乳からその発酵菌であるブルガリア菌を発見し、メチニコフ博士は彼の功績を讃えて、パスツール研究所に招待して彼に講演を依頼したということです。つまりメチニコフのヨーグルトによる健康長寿説はブリゴロフ博士の研究が礎になっていたのでした。ブリゴロフ博士は1945年に他界しましたが、生前ブリゴロフ基金(Foundation "Dr.Stamen Grigorov")を設立し、乳酸菌研究の後進の育成に努めていました。私はブリゴロフ基金を主催しているブリゴロフ博士の姪御さんのジュリアさんにお会いして、ブリゴロフ博士の故郷や彼の人となり、ブルガリア菌の発見の逸話を聞かせていただきました。

次回から、ブリゴロフ基金で出版している書籍によって、ブリゴロフ博士の功績を紹介したいと思います。
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