ホームメイド・ケフィアを好きな方のために

ホームメイド・ケフィアをこれから始めたい方、すでに始めている方のブログです。ケフィアについての感想や質問をお書き下さい。

ケフィアの話(16)

2006年10月26日 15時39分56秒 | Weblog
(前回の続き)前回述べましたように健康雑誌に「ヨーグルトきのこ」が特集され、マスコミで騒がれるようになって、カナダのローゼル社には日本から多くの引き合いがありましたが、弊社はローゼル社と日本国内の総代理店契約を締結していましたので、事無きを得ました。
しかし、ブームに便乗して「ヨーグルトきのこ」関連の商品がたくさん市場に現れました。中には巷間流布していた生の「ヨーグルトきのこ」が商品として販売されることもありましたが、多くは何処から入手するのか凍結乾燥菌が発売され、平成6年の春には「高活性ケフィア菌」の類似商品が十指に余るようになりました。
弊社にも急に注文が増え、大手のスーパー(GMS)からも引き合いがありましたが、その注文数量は弊社の受注能力を超えていました。ローゼル社にも製造能力を確認したところ、カナダでは日本のブームが理解できない様子でした。
それで私自身がカナダへ行って打ち合わせることになりました。日本のメーカーは注文が増えると無理をしてでも増産しようとしますが、カナダの企業はマイペースを崩そうとはしません。むしろ注文が急に増えることを迷惑と考えるようです。特にローゼル社のように乳酸菌カルチャーを専門に製造している会社では、培養設備や凍結乾燥設備の能力には限界があります。工場の幹部と討議をしましたが、日本のブームに対応して増産することは不可能だという結論に達しました。それでスーパーからの引き合いを断りましたが、その判断が正しかったことが直ぐにわかりました。
私がカナダから戻った頃には既に「ヨーグルトきのこ」のブームは終息に向かっていました。弊社が断ったためにそのスーパーは別のメーカーに発注したようでしたが、発売前にブームが去ってしまい、結局そのスーパーから「ヨーグルトきのこ」が発売されることはありませんでした。もし弊社がスーパー市場に色気を示していたならば膨大な在庫を抱えることになっていたと思います。
結局「ヨーグルトきのこ」ブームは1年で終わりました。後発の競合他社の殆どは通信販売だけで販売していましたのでブームの終息ととも姿を消しましたが、弊社の販売先は全国の有名デパートや高級スーパー、自然食品店などの店頭販売でしたから、固定客に支えられてこの危機を無事乗り越えることが出来ました。 (次回に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケフィアの話(15)

2006年10月15日 18時52分28秒 | Weblog
(前回の続き)平成5年の歳末も押し詰まった頃、ある健康雑誌の営業部長から是非逢いたいという電話をいただきました。営業部長がわざわざ大阪まで出向いて下さって、「コーカサスから持ち込まれたケフィア粒が日本で流布している」ことを聞かされました。そして、新年号でケフィア粒を特集する企画があるが、「貴社で販売中のホームメイド・ケフィアも紹介したい」とのことでした。
ケフィアの普及のためにはありがたいお話でしたが、編集部ではケフィア粒を「ヨーグルトきのこ」と命名したいと言う提案がありました。その数年前に「紅茶きのこ」と呼ぶ怪しげなものが流行した経緯がありましたので、私は「ヨーグルトきのこ」よりも「ケフィア」として、正しい名前で特集するよう要望しましたが、話題性を優先する編集部の意向に抗しきれず、結局、平成6年1月号から「ヨーグルトきのこ」の特集が始まり、この特集は大きな反響を呼んで1年間続くことになりました。その健康雑誌の特集が引き金になって、多くのマスコミが「ヨーグルトきのこ」を取り上げることになり、殆どの週刊誌、女性誌が記事にしたばかりでなく、テレビや新聞でも報道され、「ヨーグルトきのこ」ブームと呼ばれるブームが起こりました。
その結果、ホームメイド・ケフィアの販売が飛躍的に伸び、全国の有名デパート、高級スーパーや自然食品店で売られるようになりました。なかにはブームに便乗しようと「ヨーグルトきのこ」のラベルを作成して、私に断りなくホームメイド・ケフィアのパッケージに添付する店もありました。私は一時的なブームに便乗することは、ケフィアの正しい普及のためにはよくないと考え、「ヨーグルトきのこ」のラベルを剥がすよう説得をして回りました。あるテレビ局は「ヨーグルトきのこ」を1時間番組で放送していましたが、その中にホームメイド・ケフィアを販売しているデパートの売り場が写っていました。私は「ヨーグルトきのこ」と呼ばれることはホームメイド・ケフィアのイメージダウンになるので、弊社の了解なく放送することは困ると抗議しましたが、番組の担当者はロシアまで取材に行って真面目に制作した番組であり、むしろ感謝されて当然ではないかと抗弁されました。しかし、人の手から手に渡りながら植え継がれている「ヨーグルトきのこ」は衛生上の問題があり、ホームメイド・ケフィアと同一に論じられることは弊社にとって迷惑この上もないと説明しましたところ、次回からは事前に了解をとってから放送すると言うことで折り合いました。ケフィアの正しい普及のために、マスコミの姿勢に警鐘を鳴らしたつもりですが、制作担当者に理解されたかどうか疑わしい。
(次回に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケフィアの話(14)

2006年10月08日 17時09分50秒 | Weblog
(前回の続き)あるとき友人に紹介されて大阪の有名デパートの商品部長にお会いする機会がありました。デパートで販売できることは、私のような個人事業者には夢のような話でしたので、商売の素人の私は直接納品させていただきたいとお願いいたしましたが、商品部長から「問屋を通した方が全国に拡がる。私に任せなさい」と諭されました。そして輸入チーズの商社を紹介され、その商社を通じてデパートに納品できることになりました。

大手デパートの商品部長の紹介ですから無碍に断れないという事情が商社にあったかもしれませんが、商社の担当部長は、ホームメイド・ケフィアを取り扱うにあたって、市場テストをされました。新横浜のホテルにテナントではいっていたチーズ専門店でテストセールを行うことになりました。幸いその店の店長が大変熱心な方で、ホームメイド・ケフィアを気に入っていただき、牛乳を醗酵させてケフィアを作り、お客さんに試食をさせながら、熱心に説明して下さいました。試食したお客様から美味しいと気にいられ、1日に100箱以上も売れたそうです。テストセールは予想外の成功でしたので、ホームメイド・ケフィアが全国の有名デパートや高級スーパーに納品できるようになりました。

ホームメイド・ケフィアの販売にあたって多くの方のお世話になりましたが、なかでも商社を紹介してくださったデパートの商品部長、全国の有名店舗に納品して下さった商社の担当部長、テストセールで熱心に説明して下さった店長、これらの方々がいなかったらホームメイド・ケフィアの今日はなかったと思います。ありがとうございました。(次回に続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケフィアの話(13)

2006年10月06日 20時18分14秒 | Weblog
(前回の続き)ケフィアを醗酵させて販売することに失敗したので、発想を転換して家庭で醗酵させるホームメイド・ケフィアを発売したことは前に述べましたが、その当時は技術士業務(コンサルタント業務)で生計が立っていましたので、ホームメイド・ケフィアの販売は、商売というよりも余生を社会に奉仕するつもりでライフワークにしたいと考えました。

ここでホームメイド・ケフィアのマーケティングについて述べておきます。
私は研究開発部長として勤務していたときは、
1)商品の知名度が高いこと(広告宣伝をすること)
2)流通マージンが高いこと
3)商品回転率が高いこと
を、売るためのマーケティングの常識と考えていました。
ところが、自分で売ることになったホームメイド・ケフィアは、
1) 知名度がない。
2) 流通マージンが低い
3) 商品回転率が悪い
と一般的なマーケティングの概念とはまったく逆になりました。
技術士業務が本業ですから、物販で儲けることを考えなかったからです。

しかし、知名度は低いことは、消費者にとって「私だけが知っている」商品ということであり、他人に勧めてくれることになりました。
流通マージンが低いので、流通業者からは嫌がられましたが、消費者には歓迎されました。
スーパーでヨーグルトを買うと1個(100ml)100円で、その場で消費されますが、ホームメイド・ケフィアですと100円で1000mlも作れます。1箱買えば1ヶ月も食べられますので商品回転率が極端に悪い商品ですが、このことも消費者にはメリットです。

つまり、ホームメイド・ケフィアのマーケティングは徹底して消費者サイドに立っていました。このことは私が意図した以上にクチコミを呼ぶ効果があり、水面に石を投げると波紋が広がるように、熱心な愛用者の周りに顧客が広がってゆきました。ケフィアサークルと名づけたその波紋すなわち愛用者の輪がホームメイド・ケフィアのマーケティングの中核となって、草の根運動のように拡がりました。(次回に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケフィアの話(12)

2006年10月02日 15時12分52秒 | Weblog
(前回の続き)ホームメイド・ケフィアが今日あるのはクチコミによるところが大きいことは、前回述べましたが、ここで望野先生のことをお話しておかなければいけないと思います。
日本栄養士会の全国大会の後に、大阪の記者クラブでホームメイド・ケフィア新発売の記者発表をしたのですが、一般紙には取り上げていただけませんでした。しかし、日刊工業新聞は記事にしてくれました。この記事が望野先生と知遇を得るきっかけになりました。

ある日、望野先生から突然電話をいただき、ホームメイド・ケフィアをしきりに褒めて下さいました。ロシアでケフィアをよく食べていたので非常に懐かしいとのことでした。そのあたりの経緯は、望野先生に寄稿いただきましたケフィアとの再会に詳しく書かれていますが、その記事に先生自身が書かれているように、先生は自らホームメイド・ケフィアを醗酵させて召し上がっておられるだけでなく、それを来客の一人一人に食べさせながら、ご自分で買ったホームメイド・ケフィアを1箱ずつプレゼントして、勧めて下さいました。
望野先生は大阪万博の建設責任者として、あるいは映画「ゴジラ」の特撮を担当されるなど、日本のレジャー開発の指導的立場にあられましたので、毎日大勢の来客がありました。ホームメイド・ケフィアの愛用者の中には今でも望野先生に勧められたという方が大勢います。

望野先生はまたロシアにも広い人脈を持っていて、ゴルバチョフ大統領の随行員の中にも親しい友人がいました。あるときロシアのケフィア事情について話題になったとき、望野先生は私の目の前からロシアへ電話を入れて、直ぐに現在ロシアで販売しているケフィアの容器を取り寄せてくださったこともありました。ケフィアはゴルバチョフ大統領が持ってきたという噂が広まったことがありましたが、このあたりの事情が誤解されたのかもしれません。(次回に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする