新淀川の前身、旧中津川の十三渡し跡から野里の渡し跡を見て廻りました。
(2020.07.01)
今では無くなった中津川があったということは知っていましたが、実際に
渡し跡を見て廻り思いを新たにしました。
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十三渡し跡石碑、川の土手に上がると十三大橋のたもとにありました。
当時ここには中国街道が通っていました。
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舟運を補完すべく港との連絡を優先して建設された黎明期の鉄道網
(明治20(1887)年) Web "関西の公共事業・土木遺産探訪"による。
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旧中津川左岸を南下、通りに面した石垣は中津川堤防跡でした。
電柱の向こうのグロガネモチは、大阪市の「緑の遺産」に指定されています。
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野里の渡し石碑は、野里住吉神社境内の南側にあります。
実際の渡しはこの少し北にある槲の橋跡です。
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槲(かしわ)の橋、野里の渡し跡の石碑
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鼻川神社境内にある西成大橋の親柱
側面には、「明治四十一年十二月竣工 延長四百四間参分(約735m)
高欄内法参間(約5.5m)」と彫られています。
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新淀川対岸、海老江八坂神社境内にある西成大橋の親柱(写真の白文字)