開聞岳に登るべく鹿児島県にやってきたのですが、あいにくの大雨で街の
散歩になりました。(2019.06.30)
加治屋町については、司馬遼太郎の次の文が端的に物語っています。
「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものであ
「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものであ
る」 加治屋町は鹿児島中央駅の東1km、周辺を含めても、面積1平方km
足らずの狭い場所です。
この狭い地域から排出された偉人(添付した地図に記載)の多さは奇跡的で
驚異的です。
地域に根差した郷中(ごじゅう)という青少年教育システムが、その原動力
地域に根差した郷中(ごじゅう)という青少年教育システムが、その原動力
と言われています。
伊丹空港から鹿児島空港へ、すでに雨模様です。
鹿児島中央駅から東に歩き、天文館公園に着きました。
天文館の繁華街
ホテルにチェックイン後、加治屋町を巡ってきました。
歴史ロード、”維新ふるさとの道”入口です。
甲突(こうつき)川五石橋(ごせっきょう)の内三橋が保存されています。
西郷隆盛、従道誕生地
大山巌誕生地、その他たくさんの記念碑がありました。
一つ上の地図の約半分が加治屋町の区域、箕面の地図に重ねてみました。
600m四方の外枠を歩いて35分の範囲に維新の偉人が湧き出ました。