陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーロット・ギルマン 『黄色い壁紙』 その5.

2005-07-12 18:31:44 | 翻訳
 この部屋の家具は、部屋にちっとも調和していないのだけれど、それは階下から全部運び込まなくてはならなかったからだ。ここが遊戯室として使われるようになったときに、赤ちゃんの部屋だったころのものを、すべて運び出したのにちがいない。けれど、その子たちがここに加えた乱暴狼藉ほどひどいものを、これまで見たことがなかった。

 壁紙は、まえにもいったように、ところどころで剥がされているのだが、それでも壁にしっかりと張りつき、兄弟よりも固い絆で結びついている――子どもたちは憎悪だけでなく、辛抱強さも要求されたにちがいない。

 床には引っかいたあとやぶつかったあと、ささくれだったところもあり、ところどころ、モルタルのところまで穿たれていた。

 けれど、そんなことはたいしたことではない。問題は、壁紙なのだ。

 向こうにジョンの妹が帰ってきたのが見える。とても優しい子、おまけにわたしをとても大切にしてくれるのだ。書いているところを見られないようにしなくては。

 あの子は家事を完璧に、しかも情熱をこめてやってのけ、それ以上の仕事は望んでいない。わたしが病気なのは書き物のせいだ、と思っているにちがいない。

 それでも、あの子が出かけているうちは書くことができるし、それにこの窓からは、ずっと遠くの姿も見つけることができる。 

 窓の一方からは小径、木陰に彩られ、くねくねとうねる美しい小径が見えるし、もう一方からは、田園風景が見渡せる。こちらも美しい、楡の大木が続きヴェルヴェットのような草地が拡がっている。

 薄暗くなってくると、この壁紙には、もうひとつの模様が現れるのだが、それはさらに神経を逆撫でするようなものだ。ある一定の明るさの下でしか見ることができず、しかも、そのときでもはっきりとはしていないのだ。

 けれども、ある場所ではその模様は溶けていかず、日の光がちょうどよい加減のとき――奇妙な、人を焦らすような、形も定かでない姿が、みっともなく場違いな表面のデザインの下から、こっそりと現れてくるのだ。

 ジョンの妹が階段を上がってきた!

* * *


 ふう。やっと七月四日が終わろうとしている。みんな帰ってしまい、わたしは疲れ切っている。ジョンは、それほど多くない数の人に会うのは、わたしにとっても悪いことではない、と考えて、お義母さまとネリーと子どもたちを、一週間ほど招待したのだった。


 もちろんわたしは何もしなかったけれど。いまではジェニーがなにもかも取り仕切っているのだ。


 それでも疲れてしまうことには変わりはない。


 ジョンは、きみの調子がはかばかしく良くならないようなら、秋にはウィア・ミッチェルのところへ行ったほうがいいな、と言っている。

 そんなところなんて、金輪際ごめんだ。以前、ミッチェルにかかっていた友だちがいたけれど、彼女はミッチェルはジョンやわたしの兄と似たりよったり、まったくどちらにかかっても同じこと、と言う。
 
 おまけにそんなに遠くまでいくのはひと仕事だ。

 何かで気分転換すれば良くなるとはとうてい思えず、いよいよ、ちょっとしたことで気持ちが動転しやすくなり、怒りっぽくなっている。

 なんでもないことで涙を流し、ほとんどいつも、泣いてばかり。

 もちろんジョンやほかのだれかがいるときではなく、泣くのはひとりのときだけだけれど。


 いまは、思う存分、ひとりでいられる。ジョンは重病の患者を大勢抱えているので、街に行ったきりだし、ジェニーは優しくて、わたしがひとりにしてほしい、と言うと、いつでもそうしてくれる。

 だからしばらく、美しい小径を辿って庭を散歩したり、バラを戴くポーチに腰を下ろしてみたり、この部屋に上がってきてしばらく横になってみたりしているのだ。

(この項つづく)