陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィッツジェラルド「崩壊」 最終回

2011-08-21 10:32:38 | 翻訳

最終回

 これくらいでいいだろう。なにも私は軽い気持ちでこんなことを言っているわけではないのだ。若い人が面会を求める手紙を寄越し、どうしたら作家になれるか、最盛期の作家がおちいる感情枯渇症についての作品を書くような陰気な人間になれるか、などという真の抜たことを聞いてきても、相手がよほど羽振りの良い大物の係累でもいないかぎり、受け取った知らせさえ出さない。窓の外で飢え死にしかけている人がいれば、即座に駆けよって、例のとびきりの笑顔と声で(もっとも手を取ることはお断り)、誰かが5セント使って電話で呼んだ救急車が来るまで、ぴったりと寄り添ってやる――もちろん、本の材料に使えると思ってのことだが。

 こうして、私はやっと「ただの作家」になった。これまでずっと、そうなりたいと思ってきた人間は、ひどく重荷になっていたから、何の良心の呵責も感じることなく“オサラバ”してやった。ちょうど黒人の女の子が、土曜の夜に恋敵と“オサラバ”するように。善人には善人らしくさせておけ――仕事に追われる医者なら、年にたった一週間の「休暇」に、せっせと家族サービスに励み、首輪につながれたまま死ぬがいい。仕事のない医者であれば、一ドルを放ってくれる患者をかき集めればいいだけの話。兵士なら戦死して、とっとと英霊のみたまやにでも祀られればよいのだ。連中は神々と契約を結んだのだから。

だが作家にそんな理想は必要ない。自分ででっちあげれば話はべつだが、私はそんなことはやめにした。かつてはゲーテからバイロン、そうしてショーへと受け継がれてきた「全人」にアメリカ風の肉付けをして、ピアモント・モーガン(※モーガン財閥の始祖)とトップハム・ボークラー(※チャールズ二世のひ孫でウィットに富んだ警句で名高い18世紀のイギリス人)とアッシジの聖フランチェスコを混ぜ合わせたような人物を夢見ていたが、そんな夢はいまではうち捨てられ、プリンストンの新入生のフットボールの試合で一度きり使った肩当てや、被らないままになってしまった外地用軍帽と一緒に、がらくたの山に埋められている。

 だからどうだというのだ? いまでは私はこう考えている。知覚力を有する大人の自然な状態というのは、身に合った不幸の中にいることだ。大人にとって、ありのままの自分より立派な人間になろうとする欲望(それを書くことで飯の種を得ようとする連中のいう『不断の努力』)は、結局――青春と希望が尽きてしまえば――、不幸感を増大させるだけだ。

かつて、この私は幸福のあまり、恍惚となったこともあった。だが、ほんとうに親しい人びとと分かち合うこともできず、ただ、静かな通りや小道を歩きながら散っていくにまかせ、作品の中に結晶させることができたのも、ほんの断片だけだった。そうして、そんな私の幸福も――自己欺瞞の才能とでも呼びたければそう言ってくれ――例外的なものにすぎなかったのである。自然ではなく、不自然なものだった――ちょうど好景気のように。そうして私が幸福ののちに経験したことは、好景気が終わったときに、アメリカ国民をすっぽりと飲みこんだ絶望の波に等しい。

 この事実を見きわめるのに、何ヶ月もかかったけれど、私は新しい運命の下、なんとか生きていくことだろう。アメリカの黒人たちは、耐えがたい生存条件の下で、明るいストイシズムによって生き延びることができたが、代償として、何が本物であるか、その実感を失った――だから私も代償を払おう。私はもう、郵便屋や食料品店のおやじ、編集者や従姉妹の夫などに好意をもったりはしない。お返しに、連中も私をきらいになるだろうし、人生がふたたび楽しいものになることはないだろう。

私の家の戸口には、これから先ずっと「猛犬注意」の札がかかることになるだろう。私はほんものの獣になるつもりだ。だから、だれかがたっぷり肉のついた骨を投げてくれれば、その手をなめることだってするかもしれない。





The End


(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに。
水曜日まで出かけます。再開は木曜日に。
ということで、そのときにまたお会いしましょう。)