その2.
さて、人間の壊れ方にもいろいろある――頭が壊れることもあるが、そうなれば自分のことを決める権利も、他人に奪われてしまう。体が壊れれば、病院の白い世界に身を預けるしかない。神経が壊れることもある。ウィリアム・シーブルック(※フィッツジェラルドやヘミングウェイらとともに「ロスト・ジェネレーション」の一員とされたジャーナリスト。アフリカや中東や中南米を旅行し、食人やヴードゥー、オカルトについての書物を著した)は、あまり感心できない彼の作品中、自分が生活保護を受けるようになった顛末を、映画の結末でもあるかのように得意げに語っている。彼がアルコール依存症になった原因、というか、依存症の症状が現れるようになったのは、神経系の崩壊によるものだった。ところが私の場合、現れたのはそんな複雑なものではなかった――発症までの六ヶ月間、コップ一杯のビールさえ口にしていなかったのだから――。神経の反射作用が抑制を失って、怒り散らしたり、やたらと涙を流すようになったのだった。
ここで人生にはさまざまな打撃があるという本題に戻るわけだが、私が壊れたと気がついたのは、打撃を受けたその瞬間ではなく、むしろ小康状態に入ってからなのである。
その少し前に、私はとある名医の診察室で重大な宣告を受けていた。だが当時を振り返ってみると、その時期に住んでいた町での生活を、宣告されてから後も、いたって平穏に続けていたのである。小説の登場人物のように、病気に打ちのめされることもなく、やり残した仕事の多さや、あれやこれやの責任の重圧に、思い煩うようなこともなかった。医療保険にはちゃんと入っていたし、いずれにせよ私は、自分の手の内にあるものをたいして慎重に扱うたちではなかったのである。自分の才能でさえそうだった。
ところがある日突然、本能的に、私はひとりにならなくてはいけないと感じた。人間の顔など、金輪際、見たくない。いままでずいぶん大勢の人に会ってきた――まあ、ごく平均的な人付き合いをしてきたといえるだろう。だが、ほかの人と異なっていたのは、自分の傾向、たまたまつきあいが生じたあらゆる階層の人びとと、自分自身、すなわち自分の思いや運命を、一体化しまうという傾向だった。常時私は人を救ったり、人に救われたりしていたのだ――ワーテルローでナポレオンと戦ったときのウェリントンが味わったような感情を、たった半日で経験することもめずらしくなかった。憎んでもあまりある敵と一心同体の友しかいない世界に、私は生きていたのである。
だが、そのときの私は、絶対的な孤独を求めた。そこで日々の務めから自分を完全に切り離すための手はずを整えたのである。
それは決して不幸な時期ではなかった。町を出てしまえば人も減る。私は自分がひどく疲れていることに気がついた。だからいくらでも怠惰に過ごすことができたし、そうするのがうれしかった。一日に二十時間眠ったかと思えば、うつらうつらとまどろみながら過ごし、その合間、目が覚めている間は、決してものを考えまいとした。考える代わりに、リストを作るのだ――何百ものリストを作っては、破り捨てた。騎兵隊長のリスト、フットボールの選手のリスト、都市のリスト。流行り歌や投手のリスト、楽しかった時や趣味、これまでに住んだ家、除隊して何着スーツをこしらえ、靴を買ったか(ソレントで買ったスーツは縮んだし、エナメルの靴とドレス・シャツとカラーは、身につけることもなく何年も持ち歩いたが、靴は湿気てしわくちゃになり、シャツとカラーは黄ばんで糊が傷んだから、数のうちに入れてやらない)……。それから好きになった女性のリスト、人間性の面でも才能の面でも私より劣っていたくせに、私を馬鹿にした連中のリスト。
――するとどういう風の吹き回しか、驚いたことに私は快復したのだ。
――と同時に、良くなっていると知らされたまさにその瞬間、ふるぼけた皿のように私は砕け散ってしまっていた。
(この項つづく)
さて、人間の壊れ方にもいろいろある――頭が壊れることもあるが、そうなれば自分のことを決める権利も、他人に奪われてしまう。体が壊れれば、病院の白い世界に身を預けるしかない。神経が壊れることもある。ウィリアム・シーブルック(※フィッツジェラルドやヘミングウェイらとともに「ロスト・ジェネレーション」の一員とされたジャーナリスト。アフリカや中東や中南米を旅行し、食人やヴードゥー、オカルトについての書物を著した)は、あまり感心できない彼の作品中、自分が生活保護を受けるようになった顛末を、映画の結末でもあるかのように得意げに語っている。彼がアルコール依存症になった原因、というか、依存症の症状が現れるようになったのは、神経系の崩壊によるものだった。ところが私の場合、現れたのはそんな複雑なものではなかった――発症までの六ヶ月間、コップ一杯のビールさえ口にしていなかったのだから――。神経の反射作用が抑制を失って、怒り散らしたり、やたらと涙を流すようになったのだった。
ここで人生にはさまざまな打撃があるという本題に戻るわけだが、私が壊れたと気がついたのは、打撃を受けたその瞬間ではなく、むしろ小康状態に入ってからなのである。
その少し前に、私はとある名医の診察室で重大な宣告を受けていた。だが当時を振り返ってみると、その時期に住んでいた町での生活を、宣告されてから後も、いたって平穏に続けていたのである。小説の登場人物のように、病気に打ちのめされることもなく、やり残した仕事の多さや、あれやこれやの責任の重圧に、思い煩うようなこともなかった。医療保険にはちゃんと入っていたし、いずれにせよ私は、自分の手の内にあるものをたいして慎重に扱うたちではなかったのである。自分の才能でさえそうだった。
ところがある日突然、本能的に、私はひとりにならなくてはいけないと感じた。人間の顔など、金輪際、見たくない。いままでずいぶん大勢の人に会ってきた――まあ、ごく平均的な人付き合いをしてきたといえるだろう。だが、ほかの人と異なっていたのは、自分の傾向、たまたまつきあいが生じたあらゆる階層の人びとと、自分自身、すなわち自分の思いや運命を、一体化しまうという傾向だった。常時私は人を救ったり、人に救われたりしていたのだ――ワーテルローでナポレオンと戦ったときのウェリントンが味わったような感情を、たった半日で経験することもめずらしくなかった。憎んでもあまりある敵と一心同体の友しかいない世界に、私は生きていたのである。
だが、そのときの私は、絶対的な孤独を求めた。そこで日々の務めから自分を完全に切り離すための手はずを整えたのである。
それは決して不幸な時期ではなかった。町を出てしまえば人も減る。私は自分がひどく疲れていることに気がついた。だからいくらでも怠惰に過ごすことができたし、そうするのがうれしかった。一日に二十時間眠ったかと思えば、うつらうつらとまどろみながら過ごし、その合間、目が覚めている間は、決してものを考えまいとした。考える代わりに、リストを作るのだ――何百ものリストを作っては、破り捨てた。騎兵隊長のリスト、フットボールの選手のリスト、都市のリスト。流行り歌や投手のリスト、楽しかった時や趣味、これまでに住んだ家、除隊して何着スーツをこしらえ、靴を買ったか(ソレントで買ったスーツは縮んだし、エナメルの靴とドレス・シャツとカラーは、身につけることもなく何年も持ち歩いたが、靴は湿気てしわくちゃになり、シャツとカラーは黄ばんで糊が傷んだから、数のうちに入れてやらない)……。それから好きになった女性のリスト、人間性の面でも才能の面でも私より劣っていたくせに、私を馬鹿にした連中のリスト。
――するとどういう風の吹き回しか、驚いたことに私は快復したのだ。
――と同時に、良くなっていると知らされたまさにその瞬間、ふるぼけた皿のように私は砕け散ってしまっていた。
(この項つづく)