陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

カート・ヴォネガット「才能のない子供」その1.

2011-05-18 22:08:10 | 翻訳
カート・ヴォネガットの初期の短編をお送りします。
五回くらいで終わると思います。できるだけ毎日訳していこうと思うので、まとめて読みたい方は一週間後(笑)くらいにまたのぞいてみてください。

原文がお読みになりたい方は

http://www.miguelmllop.com/stories/index.htm

でどうぞ。

* * *

The No-Talent Kid (才能のない子供)

by Kurt Vonnegut



 秋になり、リンカーン高校の周りの木々もさび色に変わり、ブラスバンド部練習室の外壁のレンガと同じ色になった。内部では、音楽科の主任にしてブラスバンド部の指導教官、ジョージ・M・ヘルムホルツ先生が、折りたたみ椅子や楽器ケースに囲まれている。椅子には少年たちが腰を下ろし、ヘルムホルツ先生が白い指揮棒を下ろした瞬間に、それぞれの楽器に息を吹きこもう、打楽器セクションなら打ち鳴らそうと、緊張の面もちで待ちかまえていた。

 ヘルムホルツ先生は四十歳になるが、自分の大きな腹を健康と壮健と威厳の象徴と見なしていた。その彼は、いまや天使のごとくほほえんで、人類がこれまで耳にした音の中でも、最も妙なる調べをこれから解き放とうとせんばかりである。先生の指揮棒が振り下ろされた。

 ブルーンプ! 大きなスーザフォンの音が響いた。
 ブラーッ! ブラーッ! フレンチホルンがそれに呼応して、よたよた、ふらふらしながら不機嫌なワルツが始まった。

 金管楽器が自分の居場所を見失い、木管楽器が意気阻喪し、吹き損なっているというより音が消えかけてきたところへ、打楽器がゲティスバーグの戦いのような音で殴り込みをかけたが、ヘルムホルツ先生の表情は微動だにしなかった。

「アーアーアーアーターター、アーアーアーアーアー、ターターターター!」
テノールの声を張り上げ、ヘルムホルツ先生は第一コルネットのパートを歌う。コルネット奏者は真っ赤になり、汗を流しながら、楽器を膝の上に下ろして吹くのをあきらめ、椅子の上で背を丸めたからだ。

「サキソフォーン隊、聞こえないぞ」ヘルムホルツ先生が声をかける。「その調子!」

 これはCバンドだった。Cバンドの演奏としては、まずまずの出来なのである。本年五度目の演奏では、これ以上洗練させようとしたところで、土台無理な話だ。少年たちのほとんどは団員として足を踏み出したばかりで、数年のうちに、このつぎの時間に集まってくるBバンドに編入できるほどの技術を身につけることになる。そうして彼らの内でもっともうまい者たちだけが、この市でも花形の、リンカーン・テン・スクウェア・バンドの一員となれるのだ。

 フットボールチームは全試合の半分を落とし、バスケットボールチームは三分の二に負けた。だがブラスバンド部は、ヘルムホルツ先生が顧問に就任してからの十年間、一度も二位に甘んじたことがなかった――この六月までは。

フラッグ・バトンを採用したのも州内で最初なら、器楽曲ではなく合唱曲を使用したのも最初、トリプルタンギングを全面的に採用したのも、倍速行進で衆目を驚かせたのも、バス・ドラムの中でライトを照らしたのも、リンカーン高校が最初だった。リンカーン高校はAバンドの団員には、学校のイニシャル入りのセーターを栄誉の印として渡しており、そのセーターは深く尊敬されていたが、それも当然の話だった。このブラスバンドは過去十年間というもの、州規模の大会という大会で優勝し続けてきたのだから――六月の対決を別とすれば。

 Cバンドの団員たちが、換気口からマスタード・ガスが流れ込んででもいるかのように、ひとり、またひとりとワルツから脱落していっても、ヘルムホルツ先生は笑顔を絶やさずに生存者に向かって指揮棒を降り続けながら、頭の中では六月からずっと、彼の楽隊が喫した敗北をかみしめていた。ジョンズタウン高校が優勝したのは、秘密兵器があったからだ。直径二メートルもあるバス・ドラムである。審査員というのは、音楽科ではなく政治家だったので、目も耳も、どこについているのか定かではなく、ただただ世界八番目の不思議にたまげたに過ぎなかったからなのだが、以来、ヘルムホルツ先生の頭の中には、それ以外のことが入り込む余地がない。だが、学校の予算はすでに楽隊の支出を突出させている。教育委員会が前回、先生の熱心な懇願に負けて、特別支出を認めたときは――その費用は、夜間の試合のために、団員の帽子の羽根飾りに、フラッシュライトと電池の配線のためだったのだが――、教育委員長はまるで常習的な飲んだくれを相手にするかのように、ヘルムホルツ先生にこんな約束をさせたのだった。神掛けて、これが最後です。


(この項つづく)