陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

カート・ヴォネガット「才能のない子供」その4.

2011-05-24 23:36:25 | 翻訳
その4.

ジョージ・M・ヘルムホルツ先生は音楽の世界に生きていたから、ズキズキという頭痛さえもが、痛みを伴ってはいても、音楽的に――直径二メートルのバスドラムの深い響きのように――襲ってくる。

 いまは午後も遅い。今日は新学期に入って最初のチャレンジの日だった。ヘルムホルツ先生は自宅の居間に腰を下ろし、目を閉じて、もうひとつ別の打撃音、夕刊がぶつかる音を待ち受けているところだ。新聞配達をしているウォルター・プラマーが、玄関の羽目板に投げつけるのである。

 チャレンジの日だけは夕刊なんてなければいい。なにしろプラマーつきなんだから。ヘルムホルツ先生がそうひとりごとを言ったとき、新聞がグシャッと配達される音がした。

「プラマー!」先生は怒鳴った。
「はい、何でしょうか、先生」歩道からプラマーの返事が聞こえてきた。

ヘルムホルツ先生は室内用スリッパのまま、ぎこちない足取りでドアのところへ行った。「なあ、君。わたしたちは友だちにはなれないのかね?」

「もちろんなれますけど」プラマーは言う。「過ぎたことは水に流せ、って言いますもんね」そう言って、ひとなつっこそうな笑い方を苦々しげにまねて見せた。「ダムも決壊しちゃったことですし。先生がぼくをナイフでめった刺しにしてから二時間も過ぎたし」

 ヘルムホルツ先生はため息をついた。「ちょっといいかな。少し話し合った方が良さそうだ」

 プラマーは夕刊の束を植え込みの裏側に隠してから、家に入ってきた。ヘルムホルツ先生は仕草でその部屋で一番座り心地のよい、自分が先ほどまで腰掛けていた椅子を進めた。プラマーはその椅子ではなく、背もたれのまっすぐな堅い椅子を選んで腰を下ろす。

「さて」バンドの指揮者は言った。「神様はさまざまなタイプの人間をお作りになった。走るのが速い者、すばらしい物語が書ける者、絵が描ける者、何だって売ることができる者、美しい音楽を作曲する者。だが、あらゆることを巧みにこなすことができる者だけはお作りにならなかった。成長の一部なんだ。自分に何ができて、何ができないかを見極めることは」先生はプラマーの肩を軽く叩いた。「最後に言ったこと、自分にできないことを見極めるのは、成長のプロセスの内でももっとも辛い。だが、誰もがそれにしっかりと目を向けて、ほんとうの自分を探しに行かなければならない」



(この項つづく)