陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

アンケートで知った『クオ・ヴァディス』

2009-06-08 22:53:48 | weblog
引っ越し作業で本を梱包しているとき、本棚の奥からグラシン紙が茶色く変色してしまった三冊の岩波文庫が出てきた。シェンキヴィチの『クオ・ヴァディス ――ネロの時代の物語』の上・中・下だった。

高校生のとき、学校誌の委員になった。一年に一度発行するだけなのだが、100ページ近い小冊子を発行するのだから、なかなか大変な仕事だった。確か、三ヶ月ほど、ほぼ毎日のように放課後委員が集まっては、構成を決めたり、原稿を集めたり、取材に行ったり、はたまた印刷屋に出して、戻ってきたものを校正したり、という作業をやっていたような気がする。クラス紹介あり、クラブ紹介ありで、毎年人気の高いものだったために、自分たちの年だけ、つまらないものになっては大変だ、というプレッシャーは、かなりあったような気がする。

わたしが責任編集したのは、先生紹介のページだった。
あらかじめ先生にアンケート用紙を渡して、記入してくれるようにお願いしておく。期日が来ると、それを回収し、先生の写真の横に、そのアンケートを載せるのだ。

名前や教科担任の他に、三項目か四項目ほどの質問があった。何を聞いたのかひとつの質問を除いてまったく覚えていない。唯一覚えているのは「中学・高校時代に夢中になった本/中学生・高校生にお薦めの本」という質問項目である。きっとわたしがほかの何よりも聞きたかったことであり、一番興味を持って読んだ項目だったからなのだろう。

アンケートを先生にお願いし、回収するだけのことなのだが、実際これは大変な仕事だった。まず、期日までに回収できたのが半分以下。残りは、「すいません、お願いしたアンケートはどうなりましたか」と催促に行かなくてはならない。一度や二度ではなかった先生もいたし、「勘弁してよ」などと言われることもあった。ひとりの先生からは、「こんな箇条書きの質問で、先生を理解したような気になっては困る。これだから○×式問題の世代は……」と説教をくらいもした。

ところが、その「箇条書きの質問」であるにも関わらず、不思議なほどその先生が「どんな先生か」ということが伝わってきた。文字の向こうから、その先生の「手ざわり」のようなものが伝わってくるのだ。

ひとつひとつの項目に丁寧に書いてくれている先生もいれば、どの項目にも「特になし」としか書いてくれない先生もいた。「本を紹介してほしい人は個人的に聞きに来るように」と書いていた先生は、いったい何を思ってこんなことを書くのだろう、と思ったものだ。
「活字が苦手な生徒にはこの本を、本好きな生徒にはこの本を」「中学生の必読書、高校生の必読書、高校生でもむずかしいかもしれないが、一度は読んでおいた方がいい本」とそれぞれにあげてくれた先生、こんな先生のアンケートは、回収する苦労も吹き飛ぶほど楽しかった。
「忙しくて本を読む暇もない」と書いていた先生、「マンガばっかり読んでいた」と書いていた先生、「教科書」と書いていた先生も、それぞれの先生の人となりが手に取るようにわかるように思えた。

そのアンケートのなかで世界史の先生があげていたのが『クオ・ヴァディス』だった。最高におもしろい、とあったので、そのアンケートを読むやいなや、本屋に直行したのである。ローマ時代という作品の舞台に慣れるまでいささか時間がかかったが、上巻を半分過ぎたぐらいから一気におもしろくなり、中・下はほとんど一息に読んでしまったような気がする。

その世界史の授業は、先生が作ってくれるプリントがものすごく多くて、いっしょうけんめい勉強したら、きっと豊かな歴史を自分のものにすることができたのだろうと思う。ところがわたしときたら、覚えなければならないことの多さにうんざりしてしまって、世界史などまともに勉強することもなかった。いま思えばもったいないことをしたものだ。
ただ、『クオ・ヴァディス』を入り口に、シュテファン・ツヴァイクや評伝のおもしろさに夢中になっていったのだ。世界史ではろくな点数を取らなかったが、その先生からは、たった一行のアンケートの回答から、新しい世界を広げてもらったのだった。