陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

『或る女』 その2.

2008-01-18 23:11:55 | 
『或る女』は新橋駅の場面から始まっていく。
発車間際に駅に人力車で駆けつけた葉子は、そこで待っている青年と一緒に改札を通ろうとする。
改札はこの二人の乗客を苦々しげに見やりながら、左手を延ばして待っていた。二人がてんでんに切符を出そうとする時、
「若奥様、これをお忘れになりました」
 といいながら、羽被の紺の香いの高くするさっきの車夫が、薄い大柄なセルの膝掛けを肩にかけたままあわてたように追いかけて来て、オリーヴ色の絹ハンケチに包んだ小さな物を渡そうとした。
「早く早く、早くしないと出っちまいますよ」改札がたまらなくなって癇癪声をふり立てた。
 青年の前で「若奥様」と呼ばれたのと、改札ががみがみどなり立てたので、針のように鋭い神経はすぐ彼女をあまのじゃくにした。葉子は今まで急ぎ気味であった歩みをぴったり止めてしまって、落ち付いた顔で、車夫のほうに向きなおった。
「そう御苦労よ。家に帰ったらね、きょうは帰りがおそくなるかもしれませんから、お嬢さんたちだけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜の近江屋――西洋小間物屋の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね」
 車夫はきょときょとと改札と葉子とをかたみがわりに見やりながら、自分が汽車にでも乗りおくれるようにあわてていた。改札の顔はだんだん険しくなって、あわや通路をしめてしまおうとした時、葉子はするするとそのほうに近よって、
「どうもすみませんでした事」
 といって切符をさし出しながら、改札の目の先で花が咲いたようにほほえんで見せた。改札はばかになったような顔つきをしながら、それでもおめおめと切符に孔を入れた。

これだけの描写で、わたしたちは彼女がどういう女性かわかってしまう。まず、汽車の時刻に代表されるような決まり事など、無視してはばからないこと。ほほえんでみせるだけで改札がばかのようになってしまうほど美しい女性であること。そうして、自分の美しさを自分に備わった力として、十分に意識していること。命令されるのが大嫌いで、誇り高いこと。「若奥様」と青年の前で呼ばれたことに腹を立てる、つまり、「お嬢様」と呼ばれる年齢ではなくなりつつあるのだが、彼に対しては若い娘として振るまいたがっていること。下手な作家であれば、延々とそうした「性格」を説明するのだろうが、有島はあわただしい駅頭での、ほんの数分の出来事のうちに、彼女のおおまかなプロフィールを描き出して見せるのである。

「八」に非常に興味深いエピソードがある。
キリスト教の寄宿学校にいた葉子は、十四歳の頃、キリストに捧げようと、絹糸で帯を縫い始める。
出来上がりが近づくと葉子は片時も編み針を休めてはいられなかった。ある時聖書の講義の講座でそっと机の下で仕事を続けていると、運悪くも教師に見つけられた。教師はしきりにその用途を問いただしたが、恥じやすい乙女心にどうしてこの夢よりもはかない目論見を白状する事ができよう。教師はその帯の色合いから推して、それは男向きの品物に違いないと決めてしまった。そして葉子の心は早熟の恋を追うものだと断定した。そして恋というものを生来知らぬげな四十五六の醜い容貌の舎監は、葉子を監禁同様にして置いて、暇さえあればその帯の持ち主たるべき人の名を迫り問うた。
 葉子はふと心の目を開いた。そしてその心はそれ以来峰から峰を飛んだ。十五の春には葉子はもう十も年上な立派な恋人を持っていた。葉子はその青年を思うさま翻弄した。青年はまもなく自殺同様な死に方をした。一度生血の味をしめた虎の子のような渇欲が葉子の心を打ちのめすようになったのはそれからの事である。

十四歳の葉子が初めて愛したのは、キリストだった。だが、ひたむきなその愛情は、愚かな舎監によって踏みにじられる。醜く愚かな人間が、自分より権力があるというだけで、自分の純粋な気持ちも愛情も誇りも踏みにじるのである。そのときの葉子の屈辱感はどれほどのものだったろう。このときから葉子は愛情を捧げる、つまり、自分を下に置いて、愛の対象を高い位置に見上げることをやめたのである。逆に、愛は相手を支配する道具になることを知る。たとえ十五歳の少女であっても、大人の男を思うままに支配することができるのである。葉子にとって、恋愛とは力の感覚にほかならない。

こうやってみると、葉子というのは非常にいやな女なのだが、そうとばかりも言えない部分もあるのだ。

話は前後するが、冒頭に続く場面、汽車に乗った葉子は、かつて短い同棲生活を送り、子供まで作った(だが誰も子供の父親が彼だとは知らない)木部孤笻と出会う。

視線が何度か交錯する。過去がよみがえる。やがて汽車は川崎のプラットフォームに入る。

まず葉子。
そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚とした顔つきで、思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟らかい鬢の後れ毛をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態である。

こうやって木部の注意を引く。
 しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっと処女の血を盛ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。

ここで少しほほえみかければ、ふたりのあいだに流れた時間はなくなったかもしれない。
葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間燕返しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢な光をそのひとみから射出したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。

ああ、いやな女、と誰もが思うだろう。木部はどうするのか。
木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉の間にみなぎらしながら、振り返ってじっと葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑の一瞥をも与えなかった。

だが、去っていくその後ろ姿を葉子は見送るのである。
 木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
「また会う事があるだろうか」
 葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。

力の感覚を楽しむだけの人間は、自分の後ろ姿を人に見せつけることはあっても、人の後ろ姿を見送ったりはしない。さらに、さびしく涙を浮かべるようなこともない。彼女のなかには十四歳の少女もまた生きているのである。表面には出てこない。むしろ、意識してそういう部分を彼女は抑えようとしている。一口に「いやな女」と言うこともできない、彼女の実に複雑な性格が描かれているのである。雑に見ていけば決して好きになれない葉子だが、実に細部まで繊細に描かれた、複雑な陰影を持った女性なのである。

さて、その彼女がどのように転落していくかはまた明日。