絵画を見ることが好きだ。
印象派の父とも呼ばれるマネが好きだ。初期の挑戦的な作品も良いが、絵の具をポンと置いただけなのに離れてみるといかにも人影に見えるなど荒いタッチの晩年の枯れた絵も良い。
また、抽象画は夢中にはなれないが、印象派や、後期印象派の個性的な絵はじっと見ていて飽きない。眠れない夜は画集を眺めて静かな気持ちになってから寝入る。
どうしても一人選ぶということになると、マティスになる。
簡潔な表現で色彩のセンスが抜群だ。
中学の図工の時間に教師がマティスの絵を掲げどう思うかと聞いた。私が「立体感がない」というと教師が渋い顔をした。他の人が「影がない」と答えると、教師は笑みを浮かべ、「そうです。影がないが立体的に見えるでしょう」と言った。私は“影がない”イコール“立体感がない”と思い込んでいたのだが、確かに教師が正しかった。
マティスの野獣派時代の乱暴とも言える鮮やかな色彩の夫人の絵。中期の、窓と鮮やかな模様の壁を持ち、植物が配置された粧飾的な絵。華やかさ、楽しさ溢れるセンスの良いこれらの絵は魅惑的だ。
さらに1作品だけと言われると、エルミタージュ美術館にある「ダンス(Ⅱ)」ということになる。
五人の女性が裸で手をつなぎ、うねるように輪になって踊っている。背景は緑の大地と青い空のみ。人物も縁取りされた褐色一色。単純そのものの絵だが、躍動感いっぱいだ。互いにしっかり手を取り合っているが、手前では少し離れている手をいっぱい伸ばしてつなごうとしている。単純で伸びやかで力強く、人生の喜びに溢れる絵だ。
ニューヨーク近代美術館にも同様な「ダンス(Ⅰ)」があるが、(Ⅱ)より淡い色で描かれている。
さらさらと描いたようだが、充分な計算、繰返す修正、微妙な調整の成果なのだろう。
こんな絵を見ることが出来る幸せに、そして、創りだしたマティスの努力に、さらにその才能を産み出したものに感謝したくなる。
マティスの墓を訪れた時、感謝をささげた。