「SOMPO美術館」で1月21日まで開催の「ゴッホと静物画 伝統と革新」を観た。
ゴッホの《ひまわり》がある「東郷青児美術館」は、2020年7月、西新宿の損保ジャパン本社ビル42階から本社ビル敷地内の新たな美術館棟へ移転し、「SOMPO美術館」となっている。
久しぶりの西新宿。あの末広がりの「損保ジャパン本社ビル」を目当てに行けばわかるはずと新宿駅西口地下のロータリーから都庁方面へ、地下の「中央通り」の動く歩道をスイスイと歩き出し、地上へ出たところが「新宿三井ビル」。この辺りだと周りを見渡すが、あの「損保ジャパン本社ビル」が見当たらず。どうも行き過ぎたらしいと、地図を見て、階段を登って「東通り」を北へ進み、「北通り」との交差点で「損保ジャパン本社ビル」を発見し、新宿駅方面へ戻る。ようやく横断歩道を渡れば「SOMPO美術館」だ。
若い頃はこの辺りは俺の縄張りだったし、そもそも小学校の遠足で淀橋浄水場見学に来たのに、と嘆く。
この末広がりで、地震が来て上階の窓が割れたらどうなるのか?
隣の「SOMPO美術館」。美術館らしい変な建物。
看板をパチリ、
パチリ。なんと言っても売り物はゴッホのひまわり。
予約時間前に着いたので、2階のミュージアムショップをブラブラ。
立体複製画「アルゴグラフ」を「名画の感動を是非ご自宅で!」と売り込んでいた。
さすがゴッホのひまわり、¥39,800がなんと249人が買っていた。貴女、いかがですか250人目は!
見た目は今一つだが、刺繍(クロスステッチ)も並んでいた。
予約時間となり、1階に降りて、ネット予約時にメールで送られてきたスマホのQRコードを見せて入館。どこでもこの予約・入館方法だが、便利なようで、スマホがおかしくなったりしたらと、不安が残る。
鑑賞順番は、5階から徐々に降りてくるのだが、年寄りに階段を次々と降りさせるのは酷だ。
17世紀オランダから20世紀初頭まで、ヨーロッパの静物画の流れの中にゴッホを位置づけ、ゴッホが先人達から何を学び、それをいかに自らの作品に反映させ、さらに次世代の画家たちにどのような影響をあたえたかを探ります。……また本展覧会では「ひまわり」に焦点をあてたコーナーを設け、……
出展69点のうち、25点がゴッホの油彩画。
最初は、1600年~1800年頃の伝統的静物画と、ゴッホの初期の作品。
ゴッホの「コウモリ」
コウモリの剥製なのだが、テーマも色も暗い。
ゴッホの「野菜と果物のある静物」
ゴッホの「鳥の巣」
何で鳥の巣なの? ゴッホは「自然を良く知っている人たち」に売れるのではないか、という希望を持っていたと書いてあったが、「君は売れる物と思うものを描いちゃだめでしょ」って言いたい。
ドラクロア「花瓶の花」
ゴッホはドラクロアの色彩に感銘を受けたという。気づきがあった?
ピサロ「丸太作りの植木鉢と花」
ルノアール「アネモネ」。
暗い絵が多い当時でも、ルノアールは明るく楽しい絵。
ゴッホ「青い花瓶にいけた花」。 ようやく鮮やかになりました「〇」。
ゴッホ「バラとシャクヤク」。 全体が明るくなりました「◎」。
肝心の、ゴッホの「ひまわり」と「アイリス」はこの状態で、後ろから眺めるだけ。じっと待つのもいやだし。
ゴッホは南フランスのアルルで画家仲間との共同生活を計画し、ポール・ゴーギャンらを招きました。《ひまわり》の連作は1888年8月、ゴーギャンの部屋を飾るために描かれました。出品作品の《ひまわり》は、この時描いた「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、1888年11月下旬から12月上旬に描かれたと考えられています。ロンドン版の色彩や構図をそのまま用いた「模写」ですが、筆遣いや色調に微妙な変化を加えています。
ゴッホ「水差し、柑橘類のある静物」
ゴッホ「ヴィーナスのトルソ」
説明にはこうあった。「弟テオに宛てた手紙の中で「僕はパリでは自分の信念から離れて、少なくとも1年間は裸体や石膏像のデッサンの費やすつもりでいる」と語っている。」
ゴッホもデッサン!
ゴッホ「靴」
「ゴッホは蚤の市で古靴を買い、雨の日にそれを履いて歩き回り、泥だらけになった靴を忠実に写し描いたという。」
相方にそう伝えたら、渋い顔をされた。
ゴッホ「レモンと籠と瓶」
「この頃ゴッホは、同じ系統の色を使いながらタッチの違いだけで対象を描き分けようとしていた。」
ゴッホ「皿とタマネギのある静物」
ゴッホがゴーギャンとを口論し、自分の耳を傷つけ、入院し、一時的に退院後まもなく描いた作品。
ポール・セザンヌ「りんごとナプキン」
どうみてもセザンヌ。
ポール・ゴーギャン「花束」
娘を亡くし、心臓麻痺を繰り返し、金銭問題を抱え、自殺未遂となった前後の作品。
この後、隣の新宿野村ビルでランチしたのは明日UP。