元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

戦後70年、終戦記念日。大文字の送り火   8月15日・16日

2015年08月18日 | 日記
8月16(日)

<「朝粥の会」「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」

今日は大文字、五山の送り火の日。
朝9時から「朝粥の会」。特別企画で「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」とぼくが話題提供。10人ぐらい来てもらえるかな、と思っていたら、FBを見たと思いがけない人も。ベ平連のメンバーや「家の会」の会員だった人、同志社の学生運動の先輩、元新聞記者さん、それに広島から某新聞社の記者も。彼は、戦後70年の特集で、当時の岩国での反戦運動のこと、「ほびっと」のことなどを取材中。

ぼくは鶴見先生の略歴を紹介し、家の会のこと、ベ平連のこと、反戦脱走米兵のこと、選挙の時のこと、晩年でのつきあいのことなど思い出を語り、参加してもらって人からも、それぞれ鶴見さんのことが語られた。
出会えたことに感謝して、そして先生の遺志を継いでこれからも生きるのがぼくらの責務だろうと思う。心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。ここには略歴だけ貼りつけておきましょう。
鶴見俊輔先生 略歴
 1922年(大正11年)東京生まれ、父鶴見裕輔
 1937年(昭和12年)渡米  39年ハーバード大入学
 1942年 ハーバード大学卒業 日米交換船で帰国
 1943年 海軍軍属としてインドネシアへ
 1945年 敗戦
 1946年 「思想の科学」創刊
 1948年 京大人文研助教授
 1954年 東工大助教授
 1960年 安保闘争 「声なき声」 東工大辞職
 1961年 同志社大学社会学科新聞学教授、「思想の科学」研究会「家の会」 
 1965年 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)結成
 1967年 イントレピッド号から4人の反戦米兵
 1970年 機動隊導入に抗議して同志社大学教授を辞職
 1972年 反戦喫茶「ほびっと」・ほんやら洞 開店
 1996年 「思想の科学」休刊
 2004年 九条の会結成
 2015年 7月20日逝去  享年93歳

<大文字の送り火、ボランティアで薪運び>

 服を着替えて、午後2時前には、広島から来た新聞記者さんと一緒に銀閣寺門前の八神社に。この数年、ぼくはボーイスカウトのみなさんやボランティアの市民とともに大文字に登って、各火床まで薪や水を運ぶのを手伝っている。例年、前原議員の番記者さんも、また隠塚、北岡議員も同行。
 久しぶりの大文字登山。二年前の台風で土砂が流出したところには、砂防ダムが建設されていた。出発しておよそ三〇分。曇り空で暑くなくて、しんどさはまし。最後の階段も登り切って火床に。どんよりとした空に京都の街が望める。
 前原議員がリーダーとなって、バケツリレー方式で火床に薪を運ぶ。重たいよ!汗が噴き出る。途中、にわか雨が降ってずぶぬれになったが、およそ一時間ほどで無事に作業を終了。
 4時過ぎには下山を始めるが、代わりに大文字保存会の方がご家族で登って来られる。京都の夏の風物詩、精霊を送る「送り火」は彼らによって守って来れたのです。
 下山して、銀閣寺門前の店で前原組のみんなで飲んだビールの美味しかったこと!

 夜は、我が家で久しぶりにゆっくり夕食。そして午後8時には、2階から少しだけ見える大の字を見て、近くの神楽坂からご近所の人とともに夏の夜を焦がす大文字の送り火を見つめたのです。今週の週末は地蔵盆。京都はもうすぐ秋ですよ。

   <タコとケンタロー5周年 ライブ>

 それから近くのタコとケンタローの5周年記念のライブ第一弾でタカダスマイル・ライブ。いつもの常連さんたちとたこ焼き食べながら夏の夜のひととき。帰りがけには雨が降り始めてたよ。無事に送り火が終わってよかった!


8月15日(土)

    <戦後70年目 終戦記念日 安倍談話と天皇の言葉>

 終戦から70年の夏。京都新聞の朝刊に安倍首相の談話について京滋地方議員のひとりとして京都市会日韓親善議員連盟の副会長としてぼくのコメントが掲載された。「談話内容そのものは最低ラインに達しているが、おわびは、村山談話のようにもっと率直な言い回しができたはずだ。建前だけの謝罪と受け取られかねない」と指摘した」。ともあれ、これから日韓、日中など隣国との和解が進むことを願う。

 昼、テレビで全国戦没者追悼式を見る。天皇陛下の言葉が印象に残ったので、記しておきます。
「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

 午後は、家でごろごろしてから、明日の朝粥の会で特別企画としてぼくが「戦後70年目の夏、鶴見俊輔先生を偲んで」と題して語るので、略歴のレジメや毎日新聞記事をコピーしたり、また書庫から先生の本や「思想の科学」を取り出したりであたふた。しかし残念なことに、当時ぼくは「思想の科学」には、何回か寄稿させてもらっているが、その号が見当たらない。どこに片づけたんやろ。

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