ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(59) 磐(いわお)と紅山(べにやま)

2024-05-15 09:19:59 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

   

    平荘町・上荘町をゆく(58) 磐(いわお)と紅山(べにやま)

 紅山は、小野市の観光スポットになっており、184㍍の山頂は加古川市と小野市の境界でです。
 登山口が小野市側にあるので、加古川市としては観光地になりにくかったのでしょう。
 山頂からの南側(加古川市側)の風景がほしかったので写真を撮りに出かけました。
 「30分ばかりで降りてこよう」と考えたのが間違いでした。結構きつく、何回も休憩をとりました。
 でも、山頂での気分は爽快でした。
 南側(小野アルプス)に降りるとスリル満点ですが、歳を考えて来たコースを引きかえしたました。

        加古川市平荘町磐(いわお)

 紅山の南側の山麓に磐(いわお)の集落があります。
 写真では、山陽自動車道の南に谷がりますが、その両側の小さな山塊に隠れています。
 集落は見えませんが、東(左)側の山塊の向こうが東磐(寺谷)であり、西に西磐(蔭山)です。

 

 ・・・明治11年12月、寺谷新村と蔭山新田が合併して磐村が誕生しました。
 蔭山新村(現:西磐)は、もと里(平荘町里)にあったのですが、万治元年(1658)年の洪水で流出したため、この地に移住し開拓しました。
 寺谷新村(現:東磐)は、慶長17年(1612)、岸本市右衛門らが開拓に当たった新田です。
 これら二村が、明治12年に合併し、村名を山肌が赤い紅山にちなんで磐村(いわおむら)としました。・・・・」
 単純な村名ですがが、下から眺める紅山はどうどうとした山塊です。
 磐は、紅山が壁になり北風を防いでいます。
 水は岩肌を流れ、あるいは地下水となり村に集まります。
 最近、東磐からミネラルをいっぱい含んだ天然水が湧き出す場所がみつかっています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平荘町・上荘町をゆく(58... | トップ | 平荘町・上荘町をゆく(60... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編」カテゴリの最新記事