ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

東神吉町をゆく(59) 井口小学校(3)  井口小学校の財政

2024-01-26 08:17:12 | 加古川市歴史探訪・東神吉町編

 

     東神吉町をゆく(59) 井口小学校(3)  井口小学校の財政

 長谷川亀次郎と同じ時代の人で、村総代を長く務められた柴田吉太平氏が村の記録『諸事記』(全三巻)を残されています。

 『諸事記』から、井口小学校の収入をみておきましょう。

     小学校新築之事(原文略)

  井ノ口村・井ノ口新村・六本松村(現:西井ノ口)に長谷川亀次郎が一人で学校を新築するとのこと、村では、人足を出し、寄付金を少々出しています。校名は「南学校」と命名しました。 (以下、漢数字はアラビア数字にかえています)

 〈新築経費金 961円〉

   内

 金  650円  長谷川亀次郎

 〃  50円   同 新 蔵

 〃  17円  柴田  吉太平

 〃  13円  長谷川 甚七

 〃  13円   同  庄吉

 〃  11円  伊藤  源四郎

 〃  13円50銭 同  惣七

 〃  11円  柴田   弥 市

 〃  186円 その他  口々

   〈明治六年学校入費〉

 高金 514円14銭  収入三ヶ村分(井ノ口村・同新村・六本松村負担金)

 金  428円   寄附金

 金   5円10銭  生徒授業料

 金  77円4銭 貸金利子

 支出の部は省略します。

 生徒の授業料による収入が5円10銭ということは、ほとんどの生徒は、授業料免除のようで、学校の経費のほとんどは、村の寄付と村の有志(特に長谷川亀次郎)の寄付により賄われています。

 金銭面で亀次郎のはたした役割は、絶大きなものがありました。

 *地図:井口小学校のあった場所(井ノ口公会堂を東へ行った三叉路)

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