石の宝殿の謎(23)
一の華表(鳥居) *華表:神社の鳥居のこと
宝殿駅の前の道(旧西国街道)を西へ1キロほど歩きます。
神爪(かづめ・高砂市米田町)集落の端に社殿もない大きな鳥居と灯籠を見つけます。
何かいわれのある鳥居のようです。
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延宝年間(1673~81)、この地の庄屋・神吉久太夫が姫路の殿様のいかりにふれ一家断絶になろうとしていた時でした。
生石神社に祈願して、その難を逃れたといわれています。
この鳥居は、そのお礼に奉建されたものです。
毎日ここから久太夫だけでなく、たくさんの人が生石神社を拝んだのでしょうね。
知らない人が見れば、神社の跡地に残る鳥居としか思えません。
最近、付近は、猛烈な宅地化が進みました。
鳥居の彼方に石の宝殿がのぞまれるはずなのですが、先日ここへ出かけました。今は鳥居の前に家が建設され、生石神社は全く見えません。
この鳥居は、生石神社から遠く離れてはいるものの生石神社の「一の鳥居」といわれ、石の宝殿の「一の華表」とも呼ばれています。
神爪(かづめ)は、山片蟠桃のふるさと
鳥居の横に江戸時代が生んだ大学者・山片蟠桃(やまがたばんとう)が寄贈した灯籠があります。
山片蟠桃は、神爪に生まれています。
最近は、山片蟠桃も生石神社とともにあまり広く知られていないようです。
山片蟠桃は、高校の日本史の教科書には必ず登場する江戸時代の日本を代表する人物です。
蟠桃は、石の宝殿を石棺としています。
*写真:2016年に撮影した「一の華表(鳥居)」
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