風塵抄(5) 高砂町今津(2) きえる倉庫群
今津町は、南堀川沿いの町並 町名の由来は元和(げんな)年間(1615~24)姫路藩主・本多忠政(ほんだただまさ)が加藤隼人(かとうはやと)らに命じて町づくりを行った際、加古川対岸の今津町から移住した者がおおかったことによります。
南堀川に面した船着き場で問屋の蔵が立ち並びにぎわった町でした。
木下屋利兵衛ほか三人の大蔵元(おおくらもと)がいました。
儒学者で申義堂や姫路藩校の教授であった菅野白華(すがのはっか)親子は当町の出身です。
天保十二年(1841)の家数13戸・人数46人でした。
堀川の舟溜り
港町として栄えた高砂。
慶長5年(1600)姫路落主となった池田輝政が港整備を行っ以来、明治中頃まで、物資の集積地として、また舟の寄港地として賑わいを見せていました。
加古川舟運が栄えた当時は、堀川周辺に多くの荷上げ倉庫が立ち並び、舟がぎっしりとつながれていました。
本瓦葺き屋根の蔵が延々と続いていた。
(以下略)
少し付け加えておきます。
南堀川界隈は、姫路藩の飾磨と並び姫路藩の重要な経済の中心でした。
最近まで倉庫群は残っていたのですが、駐車場になったり、壊されてその姿が急に失われています。少しさびしいですね。
*写真:南堀川と対岸(今津町の風景)
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