ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(43) 報恩寺(5) 報恩寺は真言律宗の寺

2024-04-29 11:39:25 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

         平荘町・上荘町をゆく(43) 報恩寺(5) 報恩寺は真言律宗の寺

 鎌倉時代、戦乱・自然災害等で世の中は乱れました。
 人々は、新興の仏教(浄土宗・一向宗・日蓮宗など)に救いを求めました。
 新興の仏教は、「念仏を一心に唱えれば浄土は約束されている・・・」と説きました。。
 鎌倉仏教は、庶民の間に急速な広がりをみせました。
 しかし、一部には「念仏さえ唱えれば、他は何をしてもよいんだ」という風潮さえうまれました。つまり、修行を怠り破戒をあえてするものまで続出したのです。
 このような風潮を嘆く声もうまれました。
 真言宗の信者であった叡尊(えいぞん)は、衰えた戒律を復興するために、西大寺に入り真言律宗を唱えました。
 叡尊の唱えた真言律宗は、大いに広がりました。
(余談ですが、日本史の教科書では、真言律宗・叡尊についての記述がほとんどありません。もっと評価されべきだと思えます)
 叡尊は、たんなる南都の律宗(奈良仏教)の復興ではなく、らい患者に対する救済、各地の土木事業の遂行、その他社会福祉にも取り組みました。
 西大寺の真言律宗は、播磨地方へもひろがります。
 加古川関係では「西大寺末寺帳」に西大寺の末寺に、常楽寺(現:加古川市大野)・報恩寺、そして成福寺(場所は不明)がります。
 報恩寺は、西大寺の真言律宗の影響下にあったてらでした。
 伊派は、叡尊と結びつき真言律宗の末寺等に石造物を多数残しています。
*図は報恩寺に残る室町時代の後期に描かれた「報恩寺参詣曼荼羅図」。
 報恩寺は、随分栄えた名刹でした。
 現在の報恩寺は、真言宗の寺院です。
*写真: 西大寺(奈良)

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