そうなんだ。

外国語で知ったこと。

刃と劔  戒名

2017-05-09 11:21:34 | 御朱印
ゴールデンウィーク恒例、高校時代の仲良しと行く御朱印ツアー。
今年は、セレブっぽい響きを持つ住所・港区高輪に行ってきました。

赤穂浪士で有名な「泉岳寺」です。

有名な話ですが、ざっとおさらいをしながら話を進めます。

1701年3月14日 それまでに吉良上野介から様々な嫌がらせを受けていたとされる浅野内匠頭が
江戸城・松の廊下で刀傷に及ぶ。
当時「喧嘩両成敗」のご定法があったにも関わらず、赤穂藩は改易、浅野内匠頭は即日切腹で
吉良はおとがめなし。

1702年12月14日 47人の赤穂義士が吉良邸討ち入り、吉良の首を持って浅野内匠頭の墓所がある泉岳寺へ向かう。

墓前に供える前に、吉良の首を洗ったとされる境内の「首洗いの井戸」

浅野内匠頭が切腹した際にその血がかかったとされる「血染めの梅・血染めの石」

私たち4人は、これらをカメラにおさめつつ、厳かな心で義士の墓へ進みます。
さすがに、それらをバックにして自分たちを撮影することは、憚られました。

100本で一束100円のお線香を購入すると、墓守の方が着火後に束をほどいてくれます。

墓守 「大石主税の墓石の前で泣かれる方が多いですよ」

16歳と言えば、子供です。 切腹など怖かったでしょうに。
私たちは四十七士の墓前に、順番にお線香をお供えし、手を合わせました。

途中でみち子さんが戒名の文字に気が付きました。
全員、「刃」 と 「劔」 の文字がつけられています。

み 「自刃(じじん)したからじゃないかな」

なるほどね。

私 「みち子凄いね。 よく気が付いたね」

みち子さんも自分の推理力に満足の様子でしたし、私たちも納得しました。

およそ50回のしゃがんだり立ったりのスクワット参りで、軽く太もも痛の足をさすりながら
赤穂義士記念館を見学しました。
受付のところで

私 「みち子、さっきの戒名の自刃っていうの聞いてみなよ」

みち子さんは、ちょっと恥ずかし気に、ちょっと得意気に尋ねました。

み 「戒名の刀と剣は、自刃したからついているのですか?」

ところが

受 「違います」

体で表現こそしませんが、4人ともガクッ・・・

受付の方の説明によれば、そんな単純なことで付けたわけでなく
ちゃんと引用文献があるそうです。

中国の仏教書である『碧巌録(へきがんろく)』第41則より

「氷凌(こおり)の上を行き、剣刃(やいば)の上を走(い)・・・」

傑出した人物を表す箇所で
『滑り易い氷の角でも平気で歩くことも、油断すれば足を切るような剣刃(やいば)の上を行くような
常識で考えられない働きも自由にできる』

当時の住職が、「不可能なことを成し遂げた」というところから
「刃」 と 「劔」 の文字を、戒名に使用したとのことです。

なるほどねぇ。

確認してみるものです。 
いやいや、今回の場合は、確認させてみるものです。でした。

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コメント (2)
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