故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

人生の最期というタイトルです。
どうしてこんなタイトルを付けたのでしょう。
珍しく背景に色を付けています。
ほのぼのとしている里で見た路傍の花です。
非行に走る子供達を、腹を満たすことで助けているばっちゃんの話を書きました。
2日前に書いた「声なき声を聴く」というタイトルでした。
非行に走る子供達の共通点として、語彙が少ないと気づきました。
若いから当然ですが、それにしても少ない。
小さな子供が、「お月さんが追いかけて来る」と事実とは違う話をします。
小さな子供にとっては、すべてのものに命があると思っている。
歳を重ねるごとに、真実と嘘の境が鮮明になってきます。
コミュニケーションをとるには、短い的確な言葉で
気持ちと情報を伝えることが求められます。
世界で活躍するアスリートは、語彙が豊富です。
時には哲学的な考えを披露して伝えようとします。
今日のテーマは、「Kill myself(自殺)」です。
初めての試行になります。
うつになるのは、脳の中で分泌される物質が正常な量より少なくなるからだと
友人から聞きました。
だから、不足する物質を脳に供給する機能を助ける薬を飲むのだと。
アスリートは、身体だけを鍛えていた時代から、
精神も併せて鍛える時代になりました。
そして、高いコミュニケーション能力が求められるようになりました。
現役ばりばりのお父さんが亡くなられました。
自殺でした。噂好きの雀たちは、いろんなことをささやきます。
つらい気持ちをなぜ伝えられなかったのか。
抱えていることを解決できないまでも、命は助けられたかもしれない。
なぜ、聞いてあげることができなかったのか。
心の奥底の悩みは、幼少時までさかのぼるかもしれない。
そこで入った傷のようなスイッチをOFFににしてあげなければならないかもしれない。
伝える術を知らない。例え知っていたとしても、それを使おうとしない。
なぜか。
いろんなしがらみがそれを閉ざしてしまうからです。
自分の弱みをさらけ出せない。そんな雰囲気です。
会社の悩みじゃないかと雀たちは予想していました。
そうかもしれない。
子供達は宝です。
その親は財産です。
子供を助けるには、親を助けなければならない。
時には、貧乏の連鎖を切らなければならない。
多くの人が、死にたいと思うほどの悩みを乗り越えてきました。
悩みは、ほくろがあばたに見えたようなちいさな物から、
明日のことより、今の何時間先を生きることしか考えられなくなるまで
追い詰められるようなことだった。
テレビを消して話しながら食べる。
お腹がいっぱいになれば、満足して話すかもしれない。
思いっきり抱きしめてあげれば、心の緊張はほぐれるかもしれない。
これからは自分のことについて考えます。
自分で自分の始末をつけられなくなるかもしれない。
その時のことを早めに決めておかなければなりません。
大事なものはここにある。
こうすると良いと、話したり書いておかなければならない。
子供たちが迷わぬように。
私に何かできるとしたら、何をするだろう。
いや、何ができるだろう。
お節介でもよいから、話す場を作ることは出来ると思う。
雀たちは、大きな声で笑って話していました。
心になんらかの悩みを抱えている雀たちです。
人の痛みが、我が痛みと感じられる雀たちです。
病院に 今日は来ない 病気かな
2017年1月11日

ハイハイはいとタイトルをつけました。
一生懸命なんだけど、どこか冷めている印象だったのでしょうか。
明るい柔らかい表情が出せませんでした。ごめんね。
女優メリル・ストリープとトランプ次期大統領がやりあったと記事に出ていました。
どちらも結構な歳の大人同士です。大人だからやりあうのかもしれません。
韓国の野党第一党の党首で次期大統領候補が、10億円の拠出金を日本へ返却しようと
言ったらしい。韓国の政情不安を自分の側に利用しようと魂胆がすけすけです。
すべて、必然性が伴います。いや、言わなくても良いことかもしれません。
必然性とは、どちらかを選ばなければならない時や、こうすべきだと行動を起こす
根拠のことです。立場が異なれば、異なることを承知で主張せざるを得なくなります。
この必然性の根拠が人それぞれで面白い。
今日のテーマは、「必然性とユーモア(Part2)」です。
私は、必然性こそユーモアの根源だと考えています。
「もったいない」と腐りかけたものを食べる。
いやいや危ないものは捨ててしまう。
どちらも必然性による判断です。
腐りかけたものを、食べてみなけりゃ分からない。
当たることもあれば、ぎりぎりの食味は今までにない美味しいものだったかもしれない。
ここにからむ「もったいない」が面白いのです。
教育的見地から、危ないものはすべて排除してしまえ。
無菌箱で育った人が、世間に出た途端いろんな病気にかかってしまう。
必然です。だけど、危ないものは捨てるという発想に必然性がある。
生い立ちであり、生きるバックボーンです。
金持ちの子には魚を焼かせろ
貧乏人の子には餅(肉)を焼かせろ
言い得て妙です。
どうしようもない貧富の差。お互い分かりようがないところから出発します。
違うんだなと、会話をするごとに理解します。
その過程が面白い。
男と女。
最初から違うんだから分かりようがない。
好きになるから、機嫌をとったりして関心を引こうとする。
好きだから、喧嘩をする。不思議です。なんでそこにつっかかるの。
きっと、気に入らぬことが過去にあったのでしょう。
そこにドラマが生まれる。
私は、この必然性に興味があります。
田舎が良い。この何にもないのが良い。
色々な国に行きました。常に路地裏を歩きました。
路地裏には、生きるための必然性が潜んでいます。
窓辺の花、歩く子猫、花が絶えない地蔵尊などすべて必然性があるのです。
これが癒され美しいと感動します。
田舎の人は、「何もないのが良い」とはふざけるなと怒るかもしれません。
必然です。何にもないから便利な都会に住みたいと焦がれているからです。
お腹が空いているものは満たそうとします。
美味しそうに食べている子から「ちょっと失敬」となるかもしれません。
武士は高楊枝と我慢するかもしれません。
どちらもありです。人それぞれの考え方です。
潜む必然性は、長い時間がかかってその人のバックボーンになっています。
それは、自然な必然性です。
しかし、ある者の搾取であったりハラスメントであったりすると
自然の必然性は破壊されます。これは悔しいことです。
当然、戦うことを勧めます。闘うことが必然です。
長い時間がかかっても戦うことです。
ただし、知恵をユーモアを持って相手の琴線を振るわせることです。
私は、この必然性を取り上げてユーモアで解決したい。
その人は気づいていないかもしれないから。
自分の考え不足かもしれないから。
余り物 必然ゆえに 売り物に
2017年1月10日
2015年1月30日投稿記事「必然性とユーモア」を参照ください。
男と女の「必然性とユーモア」について書いています。

真面目一本。
そういう印象でした。
本当のところは解りません。
工場造りというプロジェクトの仕事を、長年にわたってやってきました。
ずーっと作る側でした。機械を作ったり、工場を作ったり、
仕組み作りから運用の手助けまでしました。
最近の2年間は、工場を使う側で工場造りをしました。
作る側は、持つ技術を売ろうとします。それが顧客から求められているからです。
20年以上使われる機械やプラントを売るようになって、
求められているものを売るだけでは駄目だと思うようになりました。
20年先は、予測がつかない。
寄り添うような営業となりました。
頻繁に顧客のもとに通って、顧客の声を聴くようになりました。
使う側になって初めて、売る側は使う側が求めるものの半分も提供していないと
判りました。求めるものとは、使う側でさえ予測がつかないものでした。
こちらも予測不能なことでした。
今日のテーマは、「声なき声を聴く」です。
保護司のばっちゃんについて、報道していました。
悪さをするのはお腹が空いているからだと、
非行に走りがちな子どもたちにご飯を食べさせる。
お腹がいっぱいになると、子どもたちは本音を話し始める。
そして街に出ていく。また、悪さをする子もいた。
ばっちゃんの家は、お腹がいっぱいになる食堂でした。
食堂に通えなくなって、実は食堂ではなかったと気づく。
苦労ばかりが多い、ばっちゃんの仕事。
感謝の言葉を言わない子供達。
私はこの報道を視ていて、子どもたちに語彙が少ないと感じました。
状況に応じた言葉が出てこない。
しかしよく聞いていると、彼らは訴えていることが判りました。
「助けてくれ」と面と向かって言われたことがありますか。
ばっちゃんにどうして続けるのかと質問した取材者への
ばっちゃんの絞り出すような答えでした。
予測不能な工場造りの場面での「声なき声」とは似ていますが少し違います。
ばっちゃんに届く声は切羽詰まっている。
予測不能な工場造りの声は、切羽詰まっているとはいいがたい。
しかし、工場を運用する側から見れば切羽詰まっている。
工場を作る際、なかなか聞こえてはこない声です。
工場を作る側も、使う側もこの聞こえぬ声を聴かなければならない。
言葉面だけでは聞くことができない声を聴く。
ばっちゃんは、続けているから聞こえてくるのです。
ばっちゃんに届く声は、悶絶する「叫び」として
(ばっちゃんには)聞こえているのです。
声なき声を聴く。
冒頭の彼にも、悩みがあることでしょう。
悪さをする子供に共通して言えることは、「居場所がない」ということでした。
つまり、常に空腹なのです。その空腹を満たす場所がない。
空腹なのは子供だけじゃない。大人は、揉まれて食うだけのことはできる。
しかし、本音を言えば、大人も空腹なのかもしれません。
20年先が見通せない工場を任された運用者もやはり空腹なのです。
どこにその不安を伝えたら良いのか分からないからです。
腹満たし つんぼとおしが 会話する
2017年1月9日

これからさ。
印象を言葉にしています。
どうしたもんじゃろの。
いっぱい悩んでくださいね。
毎朝のように、起きるのが億劫になり書くのが負担になってきました。
それでも続けたいと気持ちが勝っています。
嫌だなと思っているうちは、良い文章は書けない。
ファンヒーターを点け、朝ごはんの仕度をする。
このルーチンワークが大切なことになっている。
誰もやってくれないではなく、自分がやるチャンスがあると考える。
今日のテーマは、「心の成長」です。
心の成長は、感動であったりします。
私は、連続する毎日の事柄のように思います。
こうなればと、常に思っています。
どうしてもできない。
あきらめきれないで、もがいている。
いつしか、あんなに大変だと思っていたことが出来るようになっている。
子供も年寄りも少しだけ応援することで、できるようになる。
こうして皆に助けてもらったと、次の人を助けるようになる。
困難さが、人を成長させる。
自分よりはるか遠くを歩いている人が、近くにいることも大事なことです。
いつか、あの人のようになりたい。
それには、人の中にいなければならない。
人の中に入れるようにしてあげなければならない。
良い影響の連鎖こそ、人を成長させます。
応援してもらって、できるようになった。
自信となる。でも助けてもらったことは忘れない。
心の成長は、心がけなければありえない。
心がける動機が何なのか。
皆がやっていること。
普通のこと。
当然のこと。
自分がやらなければならないこと。
とモチベーションはどんどん上がっていきます。
これが、「心の成長」です。
私は、常に躓いています。
あれもやりたい、これもしなければと焦ることもしばしばです。
止まらずに、続けられるか、休んでまた再開できるかを常に考えています。
足りないものは、借りる。足りてるものはあげる。
そのつながりが、「心の成長」を応援します。
その人が、何を欲しているのか見るには、耳を傾けなければならない。
人の身になることが出来なければならない。
それには、まず自分がやれることから始める。
足りないものを見つけるためです。
こうして、今日もなんとか歩き出すことができました。
青い葉が 周りに霜出し 生き延びる
2017年1月8日

タイトルは、「将来が楽しみだ」
子どもたちにもいろんな顔があります。
この人のワンショット。
なかなか頼もしい面構えです。
先輩に電話した。
調子が悪くて寝ているよ。
正月から下痢が止まらないらしい。
夫婦喧嘩の顛末を聞こうと電話したのだが、拍子抜けです。
これでは、いじりようがない。
あっさり、謝ったそうです。
大人になりましたね。と私。
あははと笑っておられました。
お歳なんですから、元気なようでも治りが遅くなっているんですよ。
医者にぜひ行ってください。
妻が風邪にかかった時、私も妻もお医者さんに脅かされました。
先輩の返事は、「はいはい」でした。
確かに、若い時は、風邪を引いてもニ、三日寝て汗を出せば治りました。
何時の頃からか、治るのが長引くようになりました。
置き薬で治ったものが、医者の出す薬でないと効かなくなっていました。
先輩は、年下の医者の言うことを聞かなければならなくなりました。
元気になられて、また憎まれ口をお聞きしたいと思います。
国言葉 笑い飛ばして 霜溶かす
2017年1月7日