故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

生きる

2017-01-14 07:49:34 | よもやま話

何回使ったかわからない、京都永観堂の地蔵の姿です。
私の仲人さんが教えてくれたお寺です。
敷地の端の竹林の傍に鎮座されていました。
「オホホ」、
「ウフフ」と笑っているように見えました。
それだけ穏やかなお顔でした。
「知恵」と「慈悲」の二文字が刻まれていました。
慈悲の心を持って、知恵を使って生きなさいと言われているのでしょうか。
つらい時に思い出す絵手紙になりました。


今日のテーマは、「生きる」です。
歳をとられた仲人さんが、「生きていては、子どもに迷惑をかける」と
言われました。
「私の母は、私の顔が認識できなくなって五年生きてくれました」
「そこに行くと、生きている母に会える」ことで救われたし、楽しかった。
仲人さんにそう伝えました。
「そんなものかね」という顔をされていました。

福島で、自殺が急増しています。
原因とされるのは、孤独と無関心です。
帰ったとしても元の暮らしができるわけじゃない。
昔のように子供や孫とも暮らせない。
彼らは、生きるために他県で仕事を見つけて暮らしている。
帰宅解除が出てすぐに帰宅した方も自殺を選んだ。
相談する人が無くなり、一生懸命復興を目指すも力尽きてしまった。
福島は、「あいまいな喪失感」に悩まされています。
いつか帰れるんじゃないか。昔のように暮らせるんじゃないか。

私の住む近くでも、死後二か月間発見されなかった老人の話を聞きました。
民生委員は何をしているんだと、私に話してくれた人が言われました。
朝起きてもやることがない。
そう思われる老人は多いことと思います。

生きる。
何がなんでも生きるには、相当な覚悟と希望が必要です。
覚悟を知っているのは、長年付き合ってきた親戚や近所であり友人です。
希望は、生きていていいんだよと言ってくれることであり、
あなたが生きていてくれることが、どんなに役に立ち励ましてくれることか
伝えることです。

私にできることは限られています。
でも、できることはやらなければならない。
休んではいられません。
少なくとも、生きることに怖気づいてはいられません。

鐘の音に 何を求めて 強く撞く

2017年1月14日
コメント
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