故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

タイトルは、ガハハ。
真に面白かったのでしょう。
屈託のない笑顔です。
笑顔、泣き顔は自由に表現しても許されます。
ところが、不満顔、怒った顔は要注意です。
画面で、画像でチェックされます。
そして、その場にふさわしくなければバッシングです。
今日のタイトルは、「言論の自由」です。
過去、言論統制が何度となくありました。
戦中、戦後を問わずです。
プラカードがどうとか、子どもの喧嘩のようななすり合い、
ひっかきあいのような論戦でした。
思ったことは、何でも言っても良いということではありません。
良識ある発言が求められています。
その通りです。
でも、それを会議の冒頭で偉い人が言っちゃったら、意見は出なくなります。
どこかの大統領のように、私の言ったことを理解していますか。とチェックします。
部下は、一生懸命メモをとりました。自分の考えはそっちのけです。
考える暇も与えない。個人の意見は言わせない。
それが命取りになりました。メモがいっぱい残っちゃった。
秘密の言質が、メモになって、それも多数残って証拠になってしまった。
人の話は、その人の理解度に任せるしかありません。
秘密の話は、メモを取らない。
理解のためにメモしたものは、その場に残す。
メモは、頭の中に。
言論の自由でした。
調査分析したレポートがあります。
これに執筆者の評価がないとしたら、つまらないものになってしまいます。
SNSで発信される記事をよく見ます。
写真だけの、こんなことがありました。的な記事です。
載せた人の感動の言葉はありません。
見る人が感じてください。
それが良しとされる時代です。
確かに自分の意見を出すことは怖い。
顔の見えない何かが始まるからです。
それで良いのでしょうか。
皆が黙ってしまっては、コミュニケーションにはなりません。
勇気ある良識の言葉を発しましょう。
ぎすぎすすることもあるでしょう。
分かってもらえるのは、後になってからということもあるでしょう。
偉い人は、自由に話せる場を作らなければならない。
下のひとは、自由に意見を述べなければならない。
第二次世界大戦後、誰もが思ったことです。
防空壕 泣く子黙らす 悲惨かな
2017年1月26日
2016年2月28日投稿記事「あるがまま、受け止める」を参照ください。
言論の自由と言っても、考えていることややっていることが受け入れられるとは
限りません。信じることは何か。と自分に問いました。
自分が出来ることをやり続けることだと考えた時のことです。

この子も前髪を垂らしています。
彼女なりのおしゃれなのです。
優しい雰囲気です。
勉強も恋も頑張ってね。
今朝は冷え込みました。
トイレの手洗いに氷の柱ができていました。
水栓(井戸水)が凍らないように、
少しずつ流している水が凍って石筍のような柱になっていました。
台所のふきんも凍っていました。
今晩から、流しっぱなしの水量を増やさなければならないでしょう。
水栓用のヒーターが必要です。
寒さ対策は、想像以上です。
冷蔵庫は、野菜などを凍らないようにする保温庫になっています。
毎朝、車で行くか歩くか迷うようになりました。
日陰の雪は、凍ったままです。
歩くのも車でも注意しながらの行き来になります。
車で行く場合は、毎朝のデフロストはかかせません。
ここでは、毎朝の除雪はありません。助かっています。
冬眠になりがちな生活です。
そんななかでも、若い人はイベントを企画しています。
良いことです。さすがです。
昨夜は政治家の後援会に出席しました。
久しぶりに近所の皆さんと会うことができました。
寒い夜、酒を酌み交わしながら話すのは楽しい。
似顔絵を 描いてくれよと 赤ら顔
2017年1月25日

タイトル通り頑張ってください。
バランスのとれた考え方を持っておられる方です。
今後も楽しみです。
死んではならない。
また中学生が自殺をしました。
学校は、いじめの確認ができていなかった。
財産一切を盗まれて途方に暮れていた。
夫婦でホームレスになった。
国は手を差し伸べてくれなかったが、
ホームレスの人が食事と寝るところを貸してくれた。
誰が悪いと批判する気はありません。
これだけの情報では、何とも言えない。
中学生は死ぬことを選び、ホームレスは生きることを選んだ。
毎日、食べて寝て仕事をする。
楽しい時もあれば、カスカスしている時もある。
時間だけが容赦なく過ぎていきます。
考えてみると、時間が越していくことはない。
自分が生きている限り、時間は自分と一緒に流れて行く。
上手くいかない時も、時間だけは共に流れています。
そう思うことにしました。
生きている限り、時間は止まらない。
時間が止まらないのであれば、
苦しいけど楽しんでやろうと考えます。
時間が流れるけど、人の話が耳に届きます。
聞こうじゃないか。生きているから出来ること。
青りんごのタタンをどうぞと妻から勧められる。
色が悪いねと私。タタンに合わせる色が欲しいね。
キンカンを煮続けると、種まで食べられる。と妻。
ここで獲れたもので作らないとねと妻が続ける。
雪が降り始めた。これは積もりそうな気配です。
見ることが出来た。
しんしんと 降る雪を見て 寒くなる
2017年1月24日

この地に来て最初にお世話になった方です。
これからもよろしくお願いします。
かつて、「特別扱い」を書いたことがあります。
女性にとっては、愛されていることのバロメーターです。
男性にとっては、少々危ない愛し方となります。
家族と離れて、新妻と生活を始めて3年になります。
家族と暮らしているときは、まぎれて生活ができました。
妻が里帰りをし、帰って来てすぐに風邪をひきました。
帰省している間は、美味しいおかずが届きました。
妻が風邪をひくと、さまざまな温かい料理と栄養になるものが届きました。
地域の方の優しい気遣いです。
妻は里帰りの前に大量のおでんを作ってくれました。
二日で飽きました。
残ったおでんの具を潰したものに、さんまの身を混ぜて餃子にして食べました。
更に残ったものはカレーにして食べました。
カレーの中のコンニャクだけは食べられませんでした。
残ったコンニャクを小さく切って、野菜と一緒に炒めて食べました。
カレー味が残っていて美味しかった。
やっと、おでん地獄から解放されると思った矢先、
帰ってきた妻が風邪をひきました。
医者に行くと、肺炎になりかかっていると脅かされました。
「今度熱が出たら、救急車で病院に行くように」
甘い「特別扱い」なんかじゃありません。
生きるか死ぬかに突然なります。
二人きりだからです。
風邪になりかかっていましたが、吹き飛びました。
お互い様です。
「特別扱い」じゃなければ、
さっさと子どもの元に送り届けられていることでしょう。
家族が増える頃は、皆さん元気です。
家族が減る頃には、身体も弱ってきます。
これからが、本物の「特別扱い」の始まりです。
床の間に 椿の花粉 落ちたまま
2017年1月23日
2016年7月8日投稿記事「特別扱い(Part3)」
2016年3月28日投稿記事「特別扱い(Part2)」
2015年9月24日投稿記事「特別扱い」
を参照ください。
「特別扱い」するのもされるのも相手があってのこと。
多少の行き違いは、味付けのようなものです。
どうしたもんじゃろのと楽しみたい。

昨日は、雪でした。
畑の中の梅の木を描きました。
ここでは、いつ頃咲くのでしょう。
妻が外を見てと叫んでいます。
25cmは積もったでしょう。
充分な支度をして、外に出ました。
今日のタイトルは、「雪かき」です。
この家にあったそり式のハンドダンプを持ち出しました。
道からやり始めました。
私より早くからやっておられた隣の方より声がかかりました。
道は、やらんでよいよ。後から機械が来るから。
自分のうちの駐車場と歩くところだけで良いんだよ。
それでも一時間かかりました。
運ぶ雪は、段々と重くなってきました。
道を越えた畑に落とし、我が家の根雪の上に重ねました。
溶け始めたからなのか、踏み固めたからなのか。
雪は重くハードな仕事でした。
機械(ショベルカー)が来たのは、11時頃。
アスファルトが見えるほどになるまで、あっという間のことでした。
東京都昭島市にいる時に、60cmの雪が降りました。
1週間後にまた60cmの雪が降りました。
昭島より奥の、1m以上降った奥多摩は、除雪機能を備えておらず一カ月間孤立しました。
新潟から除雪車を積んで応援にきてくれました。
最後まで残った民家には、ヘリコプターで食料と救援物資を運びました。
昭島で、物流も交通も正常に戻ったのは3日後でした。
雪国では、除雪仕事は日課です。
札幌でも、子どもをおぶった主婦が、スコップを持って路地の雪かきをしていました。
瀬戸内海育ちの私達には、何もかも初めてのことで、恐ろしい毎日です。
畑の土は、正月以降凍ったままです。
毎朝、水栓が凍っていないか心配しながら起きだします。
隣の人から、冬眠しているんかいと思った。と言われました。
山芋掘りを教えてくれた方です。
家の中で菓子やカレンダーを作っていますから、いわばその通りです。
ここでは、無理をせず備えを充分することです。
一年の流れが分かれば、なんとかやれるのではないかと思います。
島の道 水仙並び 白波の
2017年1月22日