絵のタイトルは、「雪道」です。
今日のタイトルは、「出来なくなる時」です。
これから、いろんなことができなくなるだろうと考える。
記憶容量が小さくなっていると思う。
知っている人がどこにいて、こうすれば知ることができると記憶する量を少なくした。
映像記憶は、名前の記憶より数十倍大きいと知る。
人の名前が出てこないからと言って、臆することはない。
何かの拍子に思い出すことだってあるはずである。
身体が思うように動かせなくなったって、時間をかければできる。
腰をのばして草をとる。
辛くなり、膝をつきながらも続ける。
果てには、座り込んで手の届く範囲の草を取る。
先輩は、胃がん全摘の手術のあと病院内を一万歩歩いていた。
胃ろうを取ってから苦しんだ。
食べたものが腸に落ち着くまで横になれない。
逆流するからである。
それでも、食べる回数を増やし、手術の2年後にはゴルフを再開し、
今では年間50ラウンドのゴルフをこなしている。
先輩は病気と付き合って、生きている。
病院や施設に入れられ、刺激のない生活を送るときが来るだろう。
未経験ゆえに、対策が思い当たらない。
仲人さんは、施設の窓から「事故が起こるかもしれない」と、日がな一日門を見ると言われた。
起こらない日々に慣れてしまい、見ることに飽きてしまった。
私だったら、架空の事故を起こしてしまい、顛末を文章に書き上げるだろう。
義母は90歳を超え、一人暮らしをしている。
身体が凝った時、柱に身体を押し付け揉んでいると聞いた。
「出来なくなる時」は必ず来る。
その時は、まだできることを続けようと覚悟している。
全部できなくなって、終いになるまであきらめない。
今日は、ゴルフでいっぱい叩いてしまった。
できることを喜ぶことにした。
棺桶を 這い出し朽ちて 骨になる
2020年2月12日