故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

出来なくなる時

2020-02-12 17:43:55 | よもやま話

絵のタイトルは、「雪道」です。


今日のタイトルは、「出来なくなる時」です。
これから、いろんなことができなくなるだろうと考える。

記憶容量が小さくなっていると思う。
知っている人がどこにいて、こうすれば知ることができると記憶する量を少なくした。
映像記憶は、名前の記憶より数十倍大きいと知る。
人の名前が出てこないからと言って、臆することはない。
何かの拍子に思い出すことだってあるはずである。

身体が思うように動かせなくなったって、時間をかければできる。
腰をのばして草をとる。
辛くなり、膝をつきながらも続ける。
果てには、座り込んで手の届く範囲の草を取る。

先輩は、胃がん全摘の手術のあと病院内を一万歩歩いていた。
胃ろうを取ってから苦しんだ。
食べたものが腸に落ち着くまで横になれない。
逆流するからである。
それでも、食べる回数を増やし、手術の2年後にはゴルフを再開し、
今では年間50ラウンドのゴルフをこなしている。
先輩は病気と付き合って、生きている。

病院や施設に入れられ、刺激のない生活を送るときが来るだろう。
未経験ゆえに、対策が思い当たらない。
仲人さんは、施設の窓から「事故が起こるかもしれない」と、日がな一日門を見ると言われた。
起こらない日々に慣れてしまい、見ることに飽きてしまった。
私だったら、架空の事故を起こしてしまい、顛末を文章に書き上げるだろう。

義母は90歳を超え、一人暮らしをしている。
身体が凝った時、柱に身体を押し付け揉んでいると聞いた。

「出来なくなる時」は必ず来る。
その時は、まだできることを続けようと覚悟している。
全部できなくなって、終いになるまであきらめない。

今日は、ゴルフでいっぱい叩いてしまった。
できることを喜ぶことにした。

棺桶を 這い出し朽ちて 骨になる

2020年2月12日
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