故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

将来の夢

2020-02-06 10:40:35 | よもやま話

夢は、ふとしたことから蘇る。


多くの方が、ブログを読んでくださっています。
このタイトルで行こうかなと考えます。
自分にとってやっかいなタイトルは、日伸ばしになることがあります。
それが今日のタイトル、「将来の夢」です。

夢を追いかけたような、暮らしに追われたようなこれまでです。
まだ固まりかける前の話、高校生の頃の夢は、「1000万円稼げる農業」でした。
何をするにしても、島では段々畑を行ったり来たりの農業でした。
農道がないころは、全部担いで上がり降りしていました。
段々畑を利用したミカン栽培を父は始めました。
灌漑用水と農薬用のパイプを畑まで、あぜ道を掘り埋めて延々と伸ばしました。
家の上にタンクを作り、余る沢水を引いて貯水した。
ミカン狩りをし、街まで行商して捌いていました。
時には、保険外交員をする母のお中元とお歳暮に使われました。

野菜にしろミカンにしろ、市場価格は直売価格の半分でした。
ほとんどの食品や肥料と農薬は、メーカー(売る者)が売価を決めていました。
第一次産業は、自然を相手に作ったり採ったりするものです。天候に左右される出来高です。
社会の仕組みが市場です。大量生産と大量消費のつなぎ役です。

消費者に近い場所で、天候に左右されないで栽培できる野菜や果物を作り、
消費者に直接売りたいと考えました。
ビルディングで作る農業をイメージしていました。ビルディングの一階に売り場を作る。
多層階で、水耕栽培をする。

段々畑の一番上で肉牛を自然の中で育て、糞尿を有機肥料にして、少し下の畑で消費する。
下の畑でできたものを家で加工する。加工したものを自社の店舗で売る。
あるいは、直接全国に配送する。

それを学びたいと、大学の工学部に入り阿蘇の牧場でアルバイトをしました。
父に夢を語り、継がしてほしいとお願いしました。
そんな夢みたいなことを追いかけるために、大学に行かせたのではないと断られました。
苦労して農業をやってきた。お前には、別の人生を歩いて欲しいと諭されました。

紙に画いた餅は食べられません。
夢を忘れ、大学で楽しいことばかりを追いかけてしまいました。
父が弱り、お前はまだ農業をやる気があるかと言われた。
食に関係する企業で自分を試したいと、志望は変わっていました。
米に関係する会社に入り、食品加工のメーカーに転職し、
エンジニアリング会社に転職し、食品加工工場のプロジェクトに関わってきました。
それがよかったのかどうかわかりません。
言えることは、高校時代の夢を追いかけていたら、きっと挫折している。
父と同じように、兼業農家になっていただろうと思います。
余りにも知らな過ぎた。今だから言えることです。
食や花の国際化も進み、安くて美味しいものを効率的な輸送手段と
新鮮さと安全を担保する物流手段が構築されている。

今は、知恵もつきリスクとリターンの予測が付くようになりました。
では、改めて夢を追いかけるかと問われたならば、やってみたい。
今は、暮らしの中で農業をやっています。
人々は、何を求めているか。
安全・安心の食材供給を農業に求めているだけではない。
緑を保全する山との境にあるのが農業です。
暮らしがあっての農業です。
農業人が、自分で売価を決められる時代が来ました。
千代田区の真ん中で水耕栽培がおこなわれ、町中のビルディングの屋上に畑が現れています。
農業は、単なる食料生産だけではない。食を中心にして集まる機会になっています。
暮らしの中で、収穫を祝う祭りのようなものです。

島の耕作放棄地に地上絵を描いたって誰も何も言わない。
海上から地上絵を愛で、近くにより地上絵の一部の花を摘む。
癒しも作る農業です。
地方で採れる、新鮮な食材を一流のシェフ(あるいは、地元の料理自慢)が美味しいものに仕上げる。
都会に住む人が、しばしの休息と絶品の産物を目指して動く。
池のほとりで、軒に揺れる反射する水面が、爽やかな風と一緒に音楽を奏でる。
やっと、日本もそんな時代になった。
暮らしの中の農業を継承する人材が不足している。
ブラジルから日本に来て、農業の虜になって永住される方もいます。
人財は、世界中から集まる。

「将来の夢」は、紙に画きながら少しずつ実現している。
スローライフの中に夢を見ている。

赤とんぼ 昔からそこに いたような

2020年2月6日
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