
小さな子供は、親を信じる。
子供が大きくなると、親は子供を信じる。
そうありたいものです。
さらに、親が歳をとると、子供は親を信じる。
それぞれの心理は、時と共に変化します。
子どもの虐待、歳をとった親の虐待が事件になります。
ありえないことだから、事件になります。
子供が事件を犯した時、親は子供を信じていたのにと後悔します。
親子だから、信頼関係はあるものと思い込みがちです。
会社でも同じです。
上司と部下の間には、信頼関係があるものと決めつけがちです。
かつて恋愛関係にあった夫婦も同じです。
お互いの利害関係が、違う方向になった(ずれた)時に、信頼関係は過去のものとなります。
置いてけぼりになった方が、裏切られたと思います。
子どもの親を呼ぶ声は、正直でせっぱ詰っています。
どんなこともおいて、危険を冒しても親は現れます。
信頼関係の成立です。
恋人が、ふとした疑念から相手の行動を観察するようになる。
やはりと思われる現象を見てしまう。
信頼関係は、もろくも崩れていくのです。
仮面夫婦を続けるか、いっそ別れてしまおうかと悩み始めます。
さて、問題はこれからです。
あんなにチャーミングだった奥様が、三段腹に
とっても格好よかった旦那様が、太鼓腹に禿げ頭となるのです。
その変化の期間があまりにも短いと、詐欺ではないかと思うようになり嘆きます。
旦那が愛撫をします。
そこは、お腹よ。胸ではないわ。
そこも背中よ。お尻ではないわ。
と奥様は、少しむっとしながら注意をします。
この注意が大事なのです。
結婚前に、両目を開けてみたのに。
結婚後は、勧めに応じて片目をつぶったのに。
今は、もう両目をつむるほどです。
心眼はどこに行ったのでしょう。
信頼関係は、毎日の真剣に向き合う努力でしか築けないのです。
判じ物のような信頼関係は何処にもないのです。
大家族で育った奥様は、二人分の分量が掴めないでいるのです。
美味しいものを食べさせてあげたいと、愛情が溢れているのです。
結婚当初は、旦那さまは義理でも少し丸くならなければなりません。
迷い道に陥ることは、どんな関係でもあります。
二人で話し合って決めることです。
想像した未来と違っても、現実と向き合うことです。
いくらでも是正できます。
そこは、二人とも想像できなかったパラダイスかもしれません。
何しろ向き合うことです。
手に手をとることです。
疲れていても、そのまま眠ってしまっても、手の温かみに奥様は満足するのです。
そうです。
二人の眼に映っているのは、かつてのそして今の素敵な相手です。
2015年10月1日