私の身近にDVがあって、それを加害者はもちろん被害者もその家族も気付いていなかったということがありました。
結婚前から始まったというそのDVは、証拠の残らないゆっくりと被害者の心を壊していく精神的な虐待、モラルハラスメントです。
被害者は自分が悪いと思い込み、加害者が怒り狂うのは自分のせいだと罪悪感に苛まれやがてうつ病を発症しました。
加害者は子どもを巻き込み、被害者をさらに追い込み孤立させました。
被害者は浮気に気づいても「こんな母親でこんな妻なんだから仕方ない」と思うほどに、マインドコントロールされていました。
でも、周りにそのおかしさを指摘され、浮気しながら同じように怒鳴り、罵り、うそをつく夫に、異常さをみつけ、やっとDVだったと思えるようになりました。
彼女はモラルハラスメントという言葉もDVという言葉も知っていました。
そして、チェック項目を夫婦の二人分でやってみたら、自分の方がチェック項目が多く、「私の方が暴力的だと思ってた」といいます。
彼女は、日々の生活の中、子どもに手を挙げたこともあったからです。
一方、すさまじい暴言の加害者は決して子どもにも妻にも手をあげることはしませんでした。
「おまえなんか木端微塵にしてやりたい!」
「おまえなんぞを殴ったら手が腐る!」
ということはあっても・・・。
この言葉はモラルハラスメントそのものですが、 彼女は「自分の方が暴力的だ。悪いのは私だ。」と思い続けました。
「あきらめちゃだめだ。」
「私が変わらなければ。」
子どものために、頑張らなければ・・・その一心でなんとかよい家族になりたいとあきらめないで頑張りました。
そして、力つきました。
改めてそういう目で見ると、子育て中の夫婦の問題の中に、こういうことは少なからずあると思います。
子どもの健診で、とてもストレスの高そうなお母さんに聞いたところ(勤務病院の小児科健診では、ストレスについてのアンケートがあるので、すぐにわかるのです) ・・・
いつも、夫が掃除のことで細かく非難するのでとてもストレス。
自分でやってとか反抗すると、キレて興奮して怒鳴りだすので、つい我慢してしまう。
いつも私一人が我慢している。
という3歳と1歳のこども二人を育てるお母さんでした。
夫婦のどちらかが我慢しているのは対等じゃないですよね。
そんな生活がストレスで、ついつい過食して太ってしまったとも言っていました。
児童館で、職員の方に話を聞いてもらったら、「どこでもよくあることなのよ。」「みんな我慢しているよ。」と言われて余計につらかったとのこと。
(これって、二次被害ってやつです。)
もっと、子育て支援に携わる者は、こういうこともわかってそういう目で見ることも大切だと感じました。
それで、レジリエンスの講座に行ってきました。
DVか、単なる夫婦喧嘩か、どこで見分けるか・・・。今日、レジリエンスの講座でいただいた資料にわかりやすい見分け方がありました。
次の二つが含まれるのがDVの特徴です。
①被害者が加害者に対して恐怖心を持っていること
②加害者が被害者を痛めつける行為を行っていること
身体的な暴力がなくてもDVなのです。
DVには、身体的、性的、精神的、経済的なものがあります。
精神的暴力をモラルハラスメントといいます。
職場でのパワハラは、よく知られるようになりましたが、家庭内のモラルハラスメントも深刻で、そういう目で見ると意外に多いと思います。
でも、知られていない。
そして、被害者である本人がそうと意識していません。
さらに、そういう経験をしているかどうかは大きな意識の差を作ります。
経験していない人には信じられない世界なので、心配しながらよいアドバイスをと思いながら傷つける言葉をいっていることがあるのです。
先ほどの二次被害ですね。
もしも、これかも?と思ったらどうしたらいいのでしょうか?
女性支援センターで相談するとか、モラルハラスメント被害者同盟という経験者が集まる掲示板を見てみるとか、でしょうか。
モラルハラスメントについての本も最近多くなっていて、図書館にはそろっています。
身体的なDVは誰にでもわかりやすい。けれど、モラルハラスメントはわかりにくいです。
けれど、大きな傷になり人格を崩壊させ、人生を狂わせます。
最近、DVで離婚した、とか、里帰りの後戻れないでいる、とか、今シェルターにいて行方をくらませている、とか、そんな話を健診の場で聞くことが多いので、重い話ですが書いてみました。
感じ方も様々なので、同じことがあっても同じ被害がおきるわけではないのですが。
そして、最初の方のように、出回っているチェック項目もまた落とし穴があります。
けれど、夫婦関係が発端になっている自分の中で何かもやもやする違和感やずっと続く心の重さがある人は、振り返ってみてはと思います。
お母さんが幸せでいることが、子どもの幸せにつながるのです。
子どものためにと、不幸を我慢することは決して子どもの幸せにならないと思います。
お母さんもお母さんとして自分自身の人生を歩み、幸せにならないと。
すべてのお母さんが支えられ幸せなお母さんになれるといいと祈っています。
もちろん、「幸せ」って多種多様で人によって違うし、環境も課題もさまざまですから、ひっくるめた上での納得できる幸せというのかな?
そこを目指して頑張りたいですね。
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