ひだまりクリニック~産んだ後にも母親学級~

杉並区で小児科医がひらいている母子で集えるクラスです。

レジリエンスファシリテーター養成連続講座②児童虐待の陰にDVあり

2012-07-08 22:43:24 | 家庭内の暴力について

レジリエンスの講座、連続講座は初めて行きましたが、夫婦間の問題を抱える方にはお勧め!

北は北海道から、南は沖縄まで、熱心な行政の方、助産師さん看護師さん、そして☆さんたち。

☆さん(ほしさん)というのは加害者のこと。

自分の力で光る力がある☆なんだ、一人一人輝く力があるそして、それぞれ違う、でもそれぞれでいい☆なんだ、

ということで、☆さん。「被害者」でなく。

対して、加害者はバタラーでBさんといっています。

☆さんたちは、もやもやもやもやの人生が大きくなった子どもの問題で気が付いたという人も、

やっていけないと離婚して何年もたってあれはDVだったんだと気づいたという人も、

親との問題で、という人も・・・

二十年以上「ひどい夫でもいい父親だから、自分が頑張ればいい」と思い込んでいた人も・・・

回復の途上という人もいれば、過去のことという人もいれば、

過去のことだと思っていたのに、講座で苦しくなったという人も・・・

だれもが安心して話せるという空間ですから貴重なことです。

私は、身近でDVを目の当たりにして、これは小児医療の健診にとても必要な視点だと思いました。

つまり、「虐待の後ろには見えなくなっているけれどDVがあることもある」ということです。

今回も、参加して確信しました。

虐待までいかなくても、かわいいと思えない、激しく叱ってしまう、

そして、それを責められ自分でも自分を責めている。

その陰に、対等でない、支配されている(怖くて気を遣っている)パートナーシップがあるのです。

パートナーシップの話では・・・

健全なパートナーシップのことが出てきました。

二人でいれば幸せ・・・恋愛の幸せの絶頂の幸せは不健全なパートナーシップだという話。

相手の目や気持ちを気にしすぎて、自分らしさよりも相手の好みを尊重してしまって、

とりこまれていく・・・

そういう不健全な関係を恋愛の名のもとに肯定しがちなメディアがあるのだという。

健全なパートナーシップは二人の境界線ははっきりしていて、二人の存在も同じ大きさ。

そして、二人だけでない関係性もある。

相手以外に友人・家族・職場・趣味・・・など、いろいろな世界がそれぞれにある。

そして、それをそれぞれに楽しむ。

興味がない趣味に相手が夢中なとき、「じゃあ楽しんできてね」「頑張ってね」と応援できる。

けれど、Bさんは「そんなことくだらない」「何が楽しいの?」と見下した言い方をする。

不健全なパートナーシップでは、だんだん自分らしさはしぼんで、

相手に気遣い、興味をもてなくなったり、遠慮していかなくなったり。

そして、気付けば、自分らしさは小さくなり、Bさんの存在が大きく境界線もぼやけてしまい、

Bさんの中にとりこまれている。

前回のレジリエンスのまとめにも書いたけど、

「対等」でないということなのね。

健全なパートナーシップはあくまでも対等なのだ。

対等でないから、罵倒を受け入れてしまう、そして、自責を募らせ、自尊心がなくなっていく。

自分の感情にふたをして、処理に困り爆発したり、感情鈍麻に陥ったり、うつになったり・・・

自分はおかしい、私はこんな人間だったの?と苦しくなってくる、自分がわからなくなり混乱する。

健診では、その目で見れば、怪しい?という人はまれではない。

時には、逃げてきたという人にも出会う。

母子手帳を持ってくることもできなかったという人も。

何ができるのだろう?

自覚して支援を欲しいと思ってる人に。

そして、自覚なく苦しい思いを抱えている人に。

学びたい。そして、力をつけたい。

そういう気持ちでいっぱいです。

知識は自分の力になります。

いつか、ひだまりクリニックで、苦しんでいる人のための集まりをしたいです。

でも、まず自分がしっかり運営できる自信をつけなくては。

そして、一緒にやってくださる仲間を見つけなくては!

まだまだ先は長いかな?

でも、頑張りたいです!

「子育て支援は母親支援から」という私の確信は、

このレジリエンスの講座のみなさんとは共通の思いで、本当に嬉しかったです。

今月末にもある最終週の講座もとても楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 


レジリエンスの講座①・・・ファシリテーターって何か?

2012-06-19 06:36:35 | 家庭内の暴力について

レジリエンスのファシリテーター連続講座に先週末行ってきました。

DVのことをしっかり考えていきたい学んでいきたいと思っています。

以前から産科病院の健診でときどきいたのですが、

最近そういう目できちんと見ると本当に多いなぁとおもうからです。

保健センターでの健診にもちらほら・・・

そして、その人は気付いていないことも多いのです。

だから、混乱していたり苦しかったり自信がなかったり自分を責めたり・・・

そういう人に「あなたはDVを受けているかも」と言うことはできないでいます。

どうしたら、よりよいアドバイスができるか、どうすればその人の人生をよりよくしていくのか・・・

そんなことは人生の一瞬しか出会えない私には・・・と尻込みしてしまいます。

自信を持って気づきのきっかけになる言葉をかけてあげられたらと思います。

DVの自覚をもっている人が、短期間にこうも変わるの?ということが健診でありました。

6か月の健診で、そのお母さんはとても暗い顔をしていました。

「夫から二人目の産後に暴力を受け、実家に避難していて家に帰れないままです」と、

「とても一緒にやっていけないが、私の気持ちを優先して、子ども達から父親を奪ってしまっていいのか?悩んでいます」と。

「別れた方がいいでしょう」とは言えないですよね。

それは彼女の人生の決断であり、彼女自信が決めることですから。

彼女の話を聴いた後で、「お母さんが幸せでいることは、子どもにとってはすごく大事なことなんですよ。」

と言いました。

これは、本当に私が確信していることで追いつめる言葉にはならないと思ったので。

身体的暴力のことしか彼女は言ってなくて、(その出来事が一番暴力とわかりやすいのですが)

でも、精神的な暴力もかなり受けていたのではないかと話を聞いていて思いました。

話はどんどんでてきました。

自分らしい決断ができるといいね、頑張れ!って思いで見送りました。

その後、9か月健診で、晴れ晴れとした顔で見えて

「先生のアドバイスで決断できました。別れました。両親も見守ってくれています」と報告してくれました。

よかったな~と思いましたが「私が別れた方がいいって印象出してた?」と質問したら、

「いえいえ、自分で決めました。大丈夫です。でも、私が生き生きできないのはよくないって本当に思えたんです」

と答えてくれました。

顔つきが数か月でこれほど変わるのかと、私は惚れ惚れして見とれてしまいました。

そして、本当によかったと、強い印象が残っています。

彼女はその後・・・今どうしてるのか・・・わかりません。

でも、自分で決めた自信で新しい人生を歩いてるのではないかと思います。

そうであってほしい。

ファシリテーターと講師の違いが、今回の講座ではまずありました。

講師は「教える人」「良し悪しを決める人」「答えを持っている人」

ファシリテーターは「自分の内側を見つめる作業を見守る人」「安全を配慮する人」

と最初にありました。

答を出すのは本人であり、そしてファシリテーターは支援や情報を対等な立場で手渡す。

対等でない支援は傷つきにつながる、同情でなく共感を。

そんな話がまずありました。

私が健診で気をつけていることと、まさに合致しています。

健診でも、本当にそう。

母乳育児をしたい人に、その時にできるいろいろな方法を伝えながら(対等に情報を示す)、

一緒に考えて、見守る。

こうしなさい、これが正しい、そういう態度をとりたくないといつも思っています。

情報は伝える、それは上からの押し付けでなく、客観的な医学的な本当のこと。

そして、納得して本人に選んでもらう。

予防接種もこれにつきます。

今、私がツイッターでお産のことで一生懸命言いたいのはそういうことなのです。

140字で上手にまとめられなくて主張したいことが反感をかっているように思えるのですが。

お産の危険があるのに、自然出産だなんて!という意見に、もちろんそうだと思います。

母子の命が第一なのは、あたりまえ。

でも、この講座を受けてしっかり感じたのは、医療の場にある人のアドバイスが、

対等でなく(プロとしての情報や指導はもちろんあるでしょうが)、

なんでこの人はこんなにこだわるんだ?というような気持ちのどこかに上から目線がないでしょうか?

こんなことにこだわるなんて変わっている人だと決めつけていないでしょうか?

医療の中の家父長制、「医者がいうのだからまちがいはない、言うことをきいたらいい」(「お父さんのいうことは絶対」みたいな)

そんな気持ちがどこかにないでしょうか?

そういう上下関係力関係は傷つきをもたらします。

今回の講座のファシリテーターの説明は最初のごく一部。

消化不良を起こさないように、ここで、きちんとまとめて書いていこうと思います。

講座の内容はどんどんシェアしてくださいということですので。

本当に参加してよかったです。

知識を自分の生きていく力にしていきたいです。

力と言っても暴力の力でなく。人に対する力でなく自分の力に。