ちょっと間があいてしまいました。
実は、ちょっと言っておきたいな・・・と思った一言のツイートが大きな騒ぎになってしまって・・・
ツイッターはこんなこともあるのね~ネチケットってあまりないんだな~とわかりました。
今頃?と言われそうですね。
「違いを乗り越える」そんなことを頭に入れつつ、数日間やりとりしました。
そんな中、車座委員での初回車座トークでワールドカフェの手法を取り入れるということで、
経験のない私は杉並区交流協会の主催する「100とも」に参加しました。
(「100とも」は「杉並区の100人とともだちだったら」の略)
前回の記事にあった「杉並80周年まつり」では、お天気にも恵まれ、楽しく80人インタビューできました。
そのビデオ上映をはじめにして、車座トークを10月28日の高円寺フェスのイベントの一つとして行います。
ワールドカフェって初めてでしたけど、いろんな人といろんな話ができて、それは刺激的で楽しかったです。
今日のテーマは「愛」
カフェ、なだけあって、いろんなドリンクがドリンクコーナーで自由にもらえます。
テーブルにはお菓子もあって・・・
それだけで参加費300円っていうのはなんてお得!
私はコーヒーを三時間で三杯もいただいてしまった・・・テーブルのお菓子も![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
どんな感じだったかというと・・・
最初に、7つのテーブルに分かれます。
各テーブルに5~6人。
まず、最初に「愛のつく単語」を書きだすということをテーブル対抗でしました。
「愛知県」「愛媛県」なんてふざけたのも入れてですが
座ったテーブルが一位!
で、すべての単語を書き出し、その中で気になるテーマをみんなで7個選びます。
そのテーマをテーブルごとに割り振ります。
気になるテーマに移動。20分×二回、そこで話し合いをします。
テーブルには模造紙が張ってあり、いろんな意見を書きだします。
私が選んだテーマは「家族愛」と「愛の架け橋」
テーマを決めるときには、メンバーも全員かえるようにしました。多くの人の話を聞きたいから。
いろんな話を聞きました。
同じ意見もあったし、違うなと感じるものもあった。
で、お互い考えることを言って聞いて、それがとても面白かった。
違う意見を聞くというのは、自分の意見がそれでいいのかということを改めて確認する作業ですね。
私の意見は自分の歴史から到達したもので、この年になると
なかなか変わるということは少ないけれど、
人の話を聞くと新しい視点は入ってきます。
(今回のツイッターのできごとでも、それは感じました)
で・・・私が今回多くの方と話をして「愛とは」の結論は・・・
恋というものはたぶん数年で熱い気持ちはなくなるけれど、愛に熟成されれば素敵
相手を理解したい・役にたちたい・尊重したいという気持ち、誠実でいたいという気持ち
愛は上下関係はなく対等である(夫婦だけでなく、教師と生徒・医者と患者・先輩後輩関係でも)
距離感も大事、でも、親子の場合、小さいときはその距離感が近くて、徐々に離していくのがいいのではないか
家族という単位は愛を学ぶよい場所である(というかそうありたいもの)
といったところでしょうか。
多くの人と心を開いて話し合うというのは、本当に楽しい。
その楽しさを損なわないように、人を傷つけないように、守るべきルールがある。
それを守れる大人であるということが(年齢や立場に関係なく)大事ですね。
ツイッターのことをちらりと話し合ったとき、ある若い男性が自分の周りで実際あったことをおしえてくれました。
ツイッターで原発反対のデモの呼びかけをした人に対して、
反論する人が現れて、対立が激しくなったときに、現実の共通の知人が引き合わせて話をするようにしたら、
違いを認めつつ、お互いの主張を聞きあうことができ、騒ぎは落ち着いたのだと。
ツイッターの匿名性には、自由に意見をいうことができるよい面と、
簡単に人を傷つけることができる悪い面があります。
面と向かってというのは、相手を感じながら話すこと。
言葉だけでの主張とは全く違います。
健診でも、同じことを伝えたくても、話し方をかえたりちょっと内容を変えたり、オーダーメイドの仕事ができるのが好きです。
小売店でなく小買店の発想ですね。
「違いを乗り越える」ことは簡単なことではないです。
だれにでも、譲れない主張がありますから。
でも、それでいい。
そうだからこそいい。
「みんなちがってみんないい」です。
自分の意見がしっかりもててるからこそ、人も認めることが出来るのだと思います。
人を攻撃したり、強く非難したり、落ち込んだりするのは、自分の意見に自信が持てないからなのかもしれないと思ったりもします。
子育てをしてきて、いろんな人の子育てをみてきてそう思います。
自分に自信がないと、いろいろなことを自信たっぷりに言われるとすぐに動揺してしまいますよね。
他人の主張を認められないからと言って、反対意見をいうときにふさわしくない言葉もありますね。
自分も注意しなくては、と思いました。
ご心配いただいた方もいらしたのですけど、大丈夫です。
医師として私にできる誠実な仕事をする、それだけです。
このようなときに、母の愛を感じます。
この春、母はなくなりましたが、直接声をかけてもらったりできなくても、優しく抱かれている感じがします。
人生が終わるとき、母が褒めてくれるようなことをしたい、そう思います。
私は、愛する人には誠実でいたいです。
大丈夫です。