ひだまりクリニック~産んだ後にも母親学級~

杉並区で小児科医がひらいている母子で集えるクラスです。

「知ろう小児医療 守ろう子どもたちの会」との10年

2017-04-21 23:07:02 | 今までにであったさまざま

先日、あるお母さんが生き方WSを受けて面白かったという話から、自分の生き方を振り返ってみたりしました。

その方は10年先20年先ということなんですが、私の年齢だとやはり振り返りなんですね。

(もちろん、まだまだ先は見据えてますが・・・)

「ひだまりクリニック」という開業したらつけたい名前を考えたのも、なんとなくおうちみたいなクリニックをしたいなと考えたのも

ほぼ20年前なんです。

それは、二人目の出産後、授乳中の妄想からあれこれ考えてのことでした。添い乳しながら・・・

一人目と二人目で、ケアが違うとこれほどに子どもに対してのかわいいという気持ちやしんどさが違うのか?と実感したころ。

その後、三人目もさずかり、どっぷり子育てに暮れて、パートで外来や健診はしていたけれど、

はた!と将来を考えたのが10年ほど前です。

24歳で医師になり65歳で定年とすると、ちょうど折り返しのあたりで・・・

一緒に働いていた人たちはどんどんキャリアを積んでいるのに、私は目の前の仕事をあまり進歩もなくこなしている?

時間の切り売りみたいな?と思ったりもしました。

このままパート医で終わっちゃうの??と・・・

もちろん、どんな仕事にもいつも学びがあるのですが、キャリアとしてはあまりにもお粗末な仕事量でしたから・・・

かといって、当直がついてくるようなフルタイムの仕事はもうとてもできないし・・・と

そんなちょっともんもんとしてた頃、「知ろう小児医療 守ろう子どもたちの会」に出会いました。

会は、この春10周年です

というか、代表のあまさんに小児医療講座をしてもらえないか?と誘われたというか。

勇気を出して引き受けてやってみて、すごく刺激を受けました。

そして、私が伝えたいことは、お母さんたちも知りたいことなんだな・・・と思いました。

当時、小児科医や産科医の医療現場の疲弊(実際、私の上司は過労自死をしています)が言われだしたころでした。

でも、心配な親にしたら、医療を受けるのを遠慮しなくっていいとも思っていました。

というか、親にとってそれがどんなに苦しいことかもよくわかるから。

実際に経験してるので・・・

だから、知って安心してほしいということが先なんだよね、と心がけています。

知ることで自分にとってよりよい納得できる医療の受け方ができるといいよね、と。

「知ろう小児医療守ろう子どもたちの会」のみなさんからは、その後もずっと応援しあう仲です。

代表のあまさんの意見はいつもうんうんそうだよね~って思うし、応援したいな~と思います。

そして、逆に応援されることで、今のひだまりクリニックがあるのです。

迷ったとき、最初に何をしたかったのか思いださせてもらって、背中を押してもらってます。

知ろうの会のみなさんも、本当に楽しくって頼りになる方々ばかり。

今は、本業が忙しくて、あまりお手伝いできないのですが、いろいろ参加してた最初の頃は本当に楽しかった。

会の説明はあまりできてないですが、ぜひぜひHPをのぞいてみてください。

協力医のところには私も文章を書かせてもらってます。

1年に1回の通信もひだまりクリニックにありますので、興味ある方はお手にとってみてくださいね。

というか、入会しませんか?

お得で楽しい会ですよ~

「できる人ができるときにできることを」がモットーの会です。

メルマガもお勧め

HPからダウンロードできる,病気の経過をわかりやすく書き込める「こどもからだメモ」もお勧めです

 

 


戸井口さん、ありがとう

2016-03-27 12:53:20 | 今までにであったさまざま

妊娠出産につまづいて傷ついて、子育てに心底悩んだ自分だからこそできる仕事をしたいと思っています。

でも、それを仕事にしようと思えるまでには、本当に長い年月がかかりました。

実に6年半。

実際にクリニックを立ち上げたのは、最初に思ってから13年。

長男の出産で、切迫早産・病院なのに助産師不在・会陰裂傷・再手術・・・さらに、その状況でも助産師からケアされず・・・

とても苦しくて寂しいお産だったと思います。

次男で、納得できるお産をと思いました。

そのお産で出会ったのが戸井口さんでした。

静かなたたずまいで熱い気持ちを持つ人。

多くを語らないけれど、深い思いやりを持つ人でした。

「人を支える」ということができる人に、私は初めてそのとき出会いました。

どんな思いもすべて吐き出させてくれた、何も否定せずに何も肯定すらせずに、言葉のまま思いのまま受け止めてくれました。

彼女を信頼して、彼女は私を受け止めてくれて、大事にされて、初めて私は母親になれたのだと思います。

 

10年ほど前にオーストラリアに移住。

何度となく助産師という彼女の天職に戻ってとお願いしたのだけれど、戻ってくれることはなかったです。

その後は、時々帰国のときに会う程度でした。

ほんとは、一緒に働くのも夢でした。

1年半ほど前に、悪性の病気の名前を告げられ、何度となくやり取りを重ね、行かなきゃって思ったけれど、少し遅かったです。

お休みをいただいたのは、きちんとお別れをするためでした。

会って感謝の気持ちを伝えたかったけれどかないませんでした。

優しい穏やかなあの笑顔を見たい、声を聴きたい。

でも、もうこの世では会えません。

何も、お礼らしいことはできなかったけれど、

何かできるとしたら、大好きな彼女に導いてもらった仕事を頑張ることです。

傷ついて悩んだ私だからこそできる仕事です。

 

「無理しちゃだめよ~」って声が聞こえてきそう。

よくそう言われたものです。

自分が病気なのに、忙しい私を気遣っての言葉はとても多かったです。

「ケアする人のケア」という言葉も彼女から教わりました。7

 

彼女と出会えたのは、とても幸運なことでした。

人との出会いは奇跡なのかもしれません。

私の人生のキーパーソンです。

苦しくてもがいていた私を真に支えて引き上げてくれた人です。

そういう奇跡的な出会いが誰の人生にもあるのかもしれません。

ただただ感謝をするのみです。

 

この旅は、ご家族や彼女の人生のさまざまな時期の友人たちがあつまり、彼女の人生を追体験するような旅でもありました。

「私は幸せだ」と人生の最終章で言い切った彼女は、本当にすごい人だと思います。

感謝の気持ちを、精一杯仕事をすることでお返ししたいと思います。

戸井口さん、本当にありがとうございました。

 

 これは、戸井口さんと私の3人目の赤ちゃんが2か月の頃(2002年)

古い汚れた写真を撮影したものですが、とても彼女らしい写真だなと思ったので・・・

スカートでなく写真が汚れてて・・・ごめんなさい。

 

 

 

 


人生のなかでの出会い

2016-02-28 00:44:06 | 今までにであったさまざま

私が、仕事をしていて、一番大事にしていることの一つは

「子育て中の母親が支えられていることが子どもの幸せにつながる」ということです。

私自身が子育て中、支えてもらえなくてとてもつらかったこと。

専門家に支えてもらって、とても子育てが自然と楽に楽しくなったこと。

両方経験する中での確信になりました。

その専門家の一人が、私にとってとても大事な友人でもある助産師さんです。

優曇華の花というブログを紹介したことがありますが、その助産師さんのブログです。

彼女に支えられて、私は多くのことを学びました。

母親を支えるということ、いえ、人を支援するということ、その時に自分の思いの持ち方。

人を受け入れるということ。自分の偏りを修正していくこと。そうしながら自分も保つこと。

つまり「私も大事、あなたも大事」ということですね。

本当に多くのことを教えてくれた大恩人です。

彼女と出会っていなかったら、今の仕事をしていなかったかもしれません。

(そんな出会いのもう一人は、知ろう小児医療の会の代表、いつもお尻をたたいてくれる、いや背中をおしてくれる)

だから、よく出会えたなという思いもあります。

よく出会えたな、豊かなおつきあいができたな、と。

大きな病気になってしまって、でも、医療者として冷静に自分の病気に向き合って前向きに闘病を続けて・・・

ブログを見ていて、なんと強い人かとおもいます。

そして、彼女のことを誇らしく思います。

彼女と友人でいることに誇りを感じます。

だから、彼女が教えてくれたことを大事にして、彼女がくれた仕事を一生懸命することが彼女への恩返しだなと思っています。

今、オーストラリアで生活していて、3月末に会いに行きます。

短期間ですが、24日から28日まで、お休みをいただきます。

 

人生の中での出会いは不思議ですね。

どこかに仕込まれているようです。

その時には引っかからなかったのに、後になって気になってくることもあったり・・・

多くの出会いと、その人との関わりが今の私を作っているのです。

そういうことが歳を重ねて、だんだんはっきりしてきました。

だから、私も、応援するという関わりを作っていきたいなと思います。

恩返しになるから。

直接に恩返しができないなら、他の人に、お役に立つことがお礼になるかも・・・

そうだったらいいなと思いながら、いろんな方とお付き合いしています。

一番応援したいのが、「お母さん」という人たちです。

子どもを身ごもり、胎内でそだて、産み、休む間もなく育てる日々・・・

心と身体を傷つけないとできないことだと思っています。充分に喜びもあるのですけれどね。

ところが、お母さんという人たちは支えがないと、本当に辛くなってしまうんですよね。

枯渇するんだと思います。

そうなると、考え方までネガティブになってしまって・・・

私なんて、お母さんだなんて、と自分を責めてしまったり、子どもの行動や感情をうまく受け止められなくなってしまったり。

でも、子どもを育てているってことだけで十分ですよね。

世話をしてるだけで十分。

うまくいかないときは誰にでもしばしばあります。

私はそんなとき、「明日になったら今日は過去!」と唱えて早めに寝ることにしてました。

今なら「思い通りにならない日は明日がんばろう~」ってことです。

明日はくる、また新しい気持ちで頑張れる日がくる。

開けない夜はない。

終わらない嵐もない。

大丈夫大丈夫、そう唱えて深呼吸してみてください。

自分だけじゃない。

いろんな悩みを誰だって抱えてると思います。

悩んでいるときは、もがいて苦しくてモヤモヤして、くらい場所にいて、先が見えなくて辛いと思います。

でも、あとから考えると、その時期に成長したんだな~って思えるんだと思いますよ。

苦しさを知ったら、その分、わかることもありますね。きっとあると思う。

私も、まだまだ苦しいことがあります。

これからだってあると思う。

たぶん、まだまだだから苦しいんでしょう。

もっと学びなさいってことで、苦しい経験があるんだろうと思います。

もちろん、苦しいことだけでないから、人生やっていけるんだとも思います。

なんか抽象的なことばかり書いてしまった・・・

あるお母さんの苦しい胸のうちを知って、何か力になれたらいいのですが、それもできず・・・

でも、ただただ応援したいという気持ちで書いてみました。


つらかった時期に寄り添ってくれた人の話

2014-10-19 15:46:30 | 今までにであったさまざま

最近、普段の業務に忙しくてあまりブログの更新もできません。

本当は、いろんな医療情報などを出していきたいと思っているのですけれど・・・

今日は・・・

長い付き合いの素敵な女性、私にとってはお姉さんみたいに思っている方のこと、

書いてみようと思います。

二人目のお産のときに出会った助産師さんです。

一人目のとき、とてもつらい(私にとっては)妊娠と出産と産後をすごし、

育児不安でいっぱいで、たぶん、ひだまりに集まってくれる誰よりも不安だったと思います。

外にいけないくらい不安だった。

(不安な人つらい人ほど外には出られないものだと思います)

そして、ずっと子どもは一人でいいと長い間思っていました。

けれど、何年もたって、小児科医として摂食障害の女の子と話していて、

このままでは、小児科医としても母親としても中途半端だと感じました。

そして、今度こそ納得できるお産をしたいと探して出会ったのが、

ある産婦人科の先生と助産師さんである彼女です。

妊娠期間も、出産のときも、産後も・・・

彼女には、こうした方がいいといわれた覚えはあまりありません。

私がこうだろうかああだろうかと思ったことを口にするのをいつもいつも受け止めてくれてニコニコと聞いてくれていました。

母乳マッサージに定期的に行ってたのは、彼女とおしゃべりがしたいからというのが一番の理由でした。

穏やかな微笑みにいつも安心をもらっていました。

私の今の仕事での目標は、私が彼女に対するような気持ちをお母さんたちに持ってもらえたらということです。

人と接するときのお手本にしている人です。

マイ助産師さんですが、マイお手本です。

極上の支援者といっていい人だと思います。

支援者のお手本。

何も言わないのに、導いている人です。

導いているというわけではないですね、そこに彼女の意志はないから。

いつも信頼してくれて見守ってくれていたんだと思います。

だから、安心して自分らしい選択ができた、自分らしくいられたのでしょう。

出会ってからもう16年。

二人とも、いろいろな転換期があり・・・

彼女も私もその時々で、納得できる選択をし続けた結果、

彼女は助産師をやめてパートナーとオーストラリアで暮らしています。

彼女が助産師をやめる選択をしたとき、

どれほど彼女に助産師をやめないでと説得したいと思ったことか・・・

私の方は、励まされながらやりたかった仕事に少しずつ近づいています。

ときどき日本に帰国してた折々に会っていたのですが・・・

オーストラリアで重い病気を発症されました。

でも、やはり私のお手本。

治療をどこでどのように受けるかをきちんと選択し、

治療法について様々な角度から勉強して、前向きに頑張っています。

やはり、尊敬するお姉さん、だな・・・

遠いところで頑張っている彼女を応援してます。

ずっと祈っています。

彼女の今が、今日が穏やかなものでありますようにと。

「優曇華の花」というブログを日本語で書かれています。

うどんげ、と読むそうです。

今までも、オーストラリアでのこと、ガーデニングのこと・ペットのこと・石鹸作りやお料理やらの日常生活のブログを書かれたましたが。

今は、新しいタイトルで前向きな闘病のことを中心に書かれています。

彼女のブログを見ると、私も力をもらえます。

生きるということは何なのか教えられる気がします。

自分の力を尽くして誠実に前向きに、朗らかに、できることを積み重ねて努力していく。

そんな姿は、私にとって憧れであるし、目標でもあります。

すごい方なのです。

大好きな大好きな人です。

とっても大切な人です。

おつきあいさせてもらうと、私も頑張ろう!と思える人です。

私にも何かできるかもしれない、と励ましをくれる人です。

 

 

 


朝日新聞の惜別から・・・佐々木静子先生・・・

2013-08-08 06:14:38 | 今までにであったさまざま

7月27日の朝日新聞夕刊の記事からです。

 

[あなたのうれしそうな笑い声は、どんな暗闇にも一条の光があることを思い出させてくれました]。

葬儀にカナダのカウンセラー、リンダ・ジンガロさんが寄せた言葉だ。

院長・理事長をつとめた東京都江戸川区のまつしま病院は、

「子宮と地球にやさしい病院」をうたう。

性暴力被害者らの診療に早くから取り組んだ。

昨年6月スタートした性暴力救援センター(SARC)・東京の代表でもある。

実はがん治療中だったが、今年1月に余命宣告されるまで伏せていた。

今年も元旦出番の職員のためにおせち料理を作ったという。

「看護師や助産師などのスタッフと対等に議論した医者」だと、まつしま病院の小竹久美子市長(56)は話す。

「あの事件で、私はようやく本物の産婦人科医になった」。

繰り返し語ったのは富士見産婦人科病院事件のこと。

必要な手術で多くの女性が子宮や卵巣を摘出された事件で、1980年に発覚した。

元患者らが病院側を訴えたが、勝訴確定まで23年。

その被害者同盟の医師団に加わり、カルテを読み解いた。

当時は勤務医。

手を引くよう忠告されたという。

けれども、産婦人科医療は誰のためか、涌きだした疑問は止まらない。

子宮筋腫や更年期障害について集会や雑誌で語るようになった。

「患者の側から見て、医者の自分に何ができるか考えていた」。

被害者同盟代表の小西熱子さん(61)はふり返る。

手術で一度は持ち直し、まつしま病院理事長室に泊まって働き、

「4月までSARCの相談者も診てくれていた」と平川和子SARC事務局長(66)が話す。

「最後までドクターでいたいと昔から言ってました」とおいの戸部隆宏さん(49)。

「すべてに気合が入った人でした」

(編集委員・河原理子)

 

先日病院の主催のお別れの会がありました。

その日、22年目の開院記念日でした。

開院記念日には、いつもいろいろな分野で活躍される方々の講演会がされていました。

佐々木先生の人生に触れることができ、改めてこの偉大な先生と、もっとお話ししたかったと思いました。

「暴力はゆるさない」

その強い意志に貫かれた人生に圧倒されました。

「すべてに気合の入った人」と身近にみてきた方は、自分の人生は大きな影響を受けたと会で最後に語ってくださいました。

まつしま病院のキャッチフレーズは「子宮と地球に優しい病院」。

「子宮」と「地球」・・・

韻をふんでいて、おもしろい発想だなぁと就職したばかりのころは思いました。

ゆだねることしかできない環境であると同時に、大切に守っていくという発想も大事なんですね。

そして、究極の個人的な環境であるのが子宮であり、究極の背景として大きな環境が地球です。

どちらも大事。

自分の周りの環境はもちろん大事。

大きな視野での環境も大事。

地球をよくしたい、よりよい未来を残していきたい。

それを両側からのアプローチで考えられていた人ではなかったかと思います。

ひたすら自分の情熱で突き進んだ先生の人生を見せていただいたお別れ会でした。

先生に亡くなる前にいただいたアドバイス、忘れません。

私がどん底にあったときに語ってくださった言葉も絶対に忘れません。

知ろうの会の話をしたとき、開業したとき、先生はいつも応援してくださいました。

「誰のための医療か」

先生の信念は、私がいつも思っていることとつながっていると感じます。

「納得の医療を受けてほしい」

「人を幸せにする医療をめざしたい」

「自然と医療は両立する」

そして、私の仕事の中でできることを先生の心を忘れないで頑張っていきたいと思います。

私の仕事は母親支援です。

子育て支援につながる母親支援。

まつしま病院での仕事の中で教わってきたことは、今の私の仕事で財産だと本当に感謝しています。

だから、大事にして、先生への感謝を持って、よりよい仕事をしていく。

それが先生へのご恩返しです。

佐々木先生、ありがとうございました。