かなり昔・・・
やっと、自分らしい子育てができるようになってきたな、と思ってた頃に書いた文章をここに書いてみます。
私の、一番大事にしている部分です。
お母さんを支えること。
それが子どもに対しても結局はよいことになっていくということ。
頑張ってるお母さんを応援したいなと、そのころからずっと思ってきました。
やっと念願かなってひだまりクリニックで仕事ができるようになったのは、この文章を書いた11年後でした。
仕事のことで悩むお母さんは多いけど、まだまだこれから!いろんなことができるってことですよね。
妄想、大事です。私も11年温めていました。
このころの文章の内容、基本的に全く今と同じ気持ちです。
二人目でお世話になった産婦人科医院の子育てサークルの会報に書いたもの・・・
お母さんへのエールになったらいいなと思うので、ここにも・・・
「母性って種みたい」
私は、自分の経験を通して、育児のためには、まず納得できる幸せな出産ができるように考えるところからだと考えています。
そして、それを伝えたいと思っています。
一人目は夫の勤める病院で、切迫早産で10週間の点滴入院をした後に出産しました。
痛いと言ってもまだまだと一人にされ、自分もぶざまな恰好をさらしたくないういいかっこしい(見栄っ張り)で、
助けを求めないまま限界まで我慢した挙句、介助が間に合わず、ひどい会陰裂傷になり、一週間後に手術を受けました。
自分のことで精一杯で子どもに心が向かないような不自然な感情に悩まされました。
「知識は健康を作らない」ということを日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)がおっしゃっていますが、まさにそのとおりの育児でした。
小児科医なんて恥ずかしくて誰にも言えないひどい育児でした。
親としての自信は何もなく、ただ人の目や平均というものが気にかかり、
ありのままの子どもを受け入れず、どうしてこの子はこうなんだろうと悩む日々・・・・
私の不安や悩みを反映していたのでしょう。とても不安定で神経質でよく泣く子でした。
(今、優しくて明るい子に育っています)
小児科医として復帰して、子どもを持っていたからこそ気付いたのは、自分の育児のおかしさでした。
ある拒食症の女の子との面談で、その子が口にした言葉が私を大きく揺さぶりました。
人間が生きる上で乳幼児期の「自分はかけがえのない存在だ。愛されているんだ」という実感がいかに大事かよくわかったのです。
病気とつきあいながら20歳になった彼女は、
「親が私を愛していなかったのではないのは頭ではわかるけど、私には、愛は伝わらなかったんです」
といいました。
愛していても伝わらない・・・なんて悲しいことでしょう。
このままでは母親としても小児科医としても中途半端なままで後悔すると思い、
今度こそちゃんとお産と向き合おう、納得の子育てにしていきたいと思いました。
念願かなって二人目を授かり、
もう納得できない疑問ばかり残る出産はもういやだという一念でさがしあてたのが産婦人科医の大野先生でした。
妊娠中の精神状態はよいものではなかったのですが、今度こそは納得できるお産をしたいという気持ちはいつも強く持っていました。
また、そのための努力も自分なりにしました。
多くの人に見守られる中、迎えた自宅での出産は、本当に多くのことを教えてくれました。
あたりまえで本質的で大事なこと、だけど、便利で効率重視のこの世の中で、忘れられがちなことでした。
それまでの苦しさゆえに学んだとも言えるし、それゆえにたどりついた幸せだとも思います。
こういうと、一人目は否定されてかわいそうとか、一人目でできなかったことを二人目で取り戻そうとしているみたいといわれることがあって
辛いのですが、苦しかったことをも認めるところから、一人目の子との新しい関係に踏み出せたのだと思っています。
それには、一人目の時の妊娠出産をしっかりふり返り理解する必要が私にはありました。
二人目の納得できる幸せなお産のあと、当時の自分と小さな赤ちゃんを思いだし、どれほど泣いたかわかりません。
支えられていない私がかわいそうでかわいそうで。
だから、育児に悩むお母さんは、私にとってほとんど分身、本当に切ない存在です。
納得できるお産は自然な母性感情の第一歩だと思います。
赤ちゃんを産んで抱けばだれでも母性を本能的に感じるかといえば、これは否でしょう。
自然な場から離れて生活し、便利なものに囲まれ、知性を持った人間は、動物的な感性を忘れていて、母性を感じにくいのではないかと思います。
私のように自分の身体や心の傷で辛い人・納得できない思いを抱えている人は、自然な母性が育ちにくい状態だと言えます。
経済的な不安、家族からの支えがない場合、孤立、夫からのDV・・・子どもや自分の病気・・・などなど、悪条件はいくらでもあります。
もちろん、個人の資質の問題も大きいし、周りのサポートは大きな因子でしょう。
でも、まず最初の満足できる納得できるお産と医療の場の温かなケアは最初の大きなポイントです。
母性って種みたいだと思います。
人がいろいろであるように、種にもいろいろあります。
固くてなかなか芽がでないものや、とても芽がでやすいもの。
育つのに時間のかかるものやら、すくすく育つもの。
夫の愛情や支えという肥料がとても芽を出しやすくしたり自分で大切に育てることが出来たり。
この場合、蒔かれた大地というのはお産そのもの、産む場所での温かい介助ということでしょうか。
最初に水をあげて手入れをするのは、お産に臨む自分と介助者でしょう。
そして、赤ちゃんと出会ってからは、赤ちゃんに鍛えてもらうこともあり、夫や家族、友人や先輩、素晴らしい本との出会いが肥料になることもあります。
赤ちゃんが母親に託されているということは、種の蒔かれた大地におひさまが当たっているということのように思えます。
試されているというか・・・頑張りなさいという天からのメッセージのような気がします。
幸せは簡単には手に入らない。
でも、あなたのいるその場所で、毎日一日一日を一生懸命生きてごらん、焦らなくても大丈夫。
そんな声がやっと聞こえてきたなぁと母親になって8年目にやっと思えるようになってきました。
(2012・2 あすかネット 9号から一部改変)
懐かしい・・・若い母親でした。
でも、お産に対する思い、母親を支援しなきゃって思いは全くかわってないですね~
この時と変わっているといえば、もう少し緩やかな感じになっているかと思います。
思っているのと違うお産になる場合だってあります。
どんなに努力してても、どんなに順調な経過であっても・・・
誰にだって、それは起こりえます。
どんなに医療が進歩してもです。
だから、そうなったときのことも考えてほしいということをより強く言うようになったかなと思います。
理想と違っても・・・預かった命を元気にこの世に生み出すのは母親にしかできないこと。
誇りをもって、その命を丸ごと感謝して受け入れてほしいという気持ちがより大きくなっています。
あたりまえです。帝王切開だって、吸引分娩や鉗子分娩だって。
望んでた立ち合いにならなかったとしても。
早産でも、病気がわかっても・・・
命なのですから。
自分が生み出した命を丸ごと感謝して抱きしめてほしい。
よく来たね、頑張ったね。ありがとうと・・・
そういう気持ちに母親がなるようにどこまで頑張れるか。
どこまでお母さんを大事にできるか。
それは助産師さんはじめとして、産婦人科や小児科の医療者の支えで左右されることもある。
医療者の努力で、お母さんのスタートは大きく変わることもある。
それぞれの精一杯で、母親を支えるのは医療者の大きな仕事ですね。
そんな意識を忘れないでいたいと、私も改めて思いました。