母から、もっと私が子どもだった時の子育ての話を聞いておいたらよかったと思います。
もちろん、結構いろんなことを聞いてはいたんですけど。
もう聞けないとなると・・・ね。
私は東京オリンピックの年に生まれて・・・高度経済成長とともに大きくなり・・・
そうそう、その年開通したのですが、オリンピックシーズンに新幹線に乗って帰省中、
「東洋の魔女、日本女子バレーが金メダル獲得!」とアナウンスされ、歓声が響いたっていってました。
飛行機に乗ってからずっと泣き通しだったとかね。
やはり、一人目、母も実家から遠く離れた地に(父の転勤先に)、心細かった育児だったのではないかなと思います。
そんなときに、頼りにしていたのが、社宅の先輩ママだったようです。
友達同士で、ずいぶん預けあいっこもしてたようです。
母のそんな先輩ママ仲間が、母が亡くなって三か月の昨日、お参りにきてくださいました。
当時の話を聞きながら、いい仲間と生き生きと子育てしてる母を改めて知りました。
3階から「けいこ~!」って声かけてたのを今でもよく覚えてるって話とか・・・
ここのおうちのお姉さんの七五三の着物は我が家の子、姪の晴れ着となっていますし・・・(今では珍しい古典柄で、逆に新鮮でカワイイの)
幼稚園の頃までしか近くにはいなかったのですけど、なぜかとても懐かしかった。
子育ての苦労ってときどき、親を悩ませたことを自分も親になって悩むことがあって、
長男が本当に離乳食を食べない子で、母と一緒にあれこれ工夫しながらやりましたっけ。
でも、本当に食べないの。
「お母さんだって食べなくて本当に苦労したんだから、仕方ないわよ~」と母は言ってました。
母にとっても私にとっても、おっぱいばっかりで離乳食がほとんど進まないのは新米ママには深刻な悩みでした。
私の一歳のころは体重も減って、かなり母を悩ませたようです。
今は私も息子も食欲旺盛、、、(私は着実に体重だけは成長曲線いまだに上がり続け・・・心配)
母も里帰りのときは祖母に手伝ってもらい、実家から離れた地ではよい仲間と子育てしていました。
母は、私と同じで、おっちょこちょいだったり、かっとなって怒りすぎたり、ご飯の手抜きも時々ありました。
(夏休みなんて、ふかし芋だけってときも。「戦争を忘れないように…」て!一言ついてたり)
三姉妹(小学校でいうと6年4年1年)の育児は本当に座れないほど、記憶が飛ぶほど、
一時は食べた記憶もないほど、という忙しさだったとのこと。
今のようなイクメンはいない時代、専業主婦は夫に頼れないという分業がしっかりあった時代です。
「子を持って知る親の恩」
「親の背中を見て育つ」
「親孝行したいときには親はなし」
「親はなくても子は育つ」
「親の思いは子で送る」
ことわざにはそうだよな~としみじみする深いものもありますね~
子育てはだれもが必死になり、我が子ゆえに見えないこともあったり、失敗することもあるけれど、
子どもは親の気持ちはよくわかっている、ということわざも多い。
親が甘いのを戒めるものや、「親の欲目」という言葉もあるように、自分の子どもは客観的にとらえにくいものとも。
でも、だからこそ、一生懸命になれるものなのでしょう・・・。
そして、親孝行したいときにはいない、という内容も多いです。
私もしみじみ残念に思います・・・
夏に行きたかった海外旅行を娘にプレゼントされて行ってくるのよ~との、
母の古い友人の言葉を聞いて・・・悲しくなりました。
もっと旅行に行ったらよかった・・・とか、そんなことは死まで短かったという結果がわかってからしか言えないけど、
治療をしないで楽しいことだけしたらよかったのかな・・・とか。
「親の思いは子で送る」という言葉が今の私にはぴったりかな?
お母さん、見ててね!
昔の子育て・・・シンプルで参考になる点が今もあります。
昔はよかった・・・みたいな回顧主義的な意味はなく、
単純で、今も通用する、本来あった日本のおおらかさはとても素晴らしい部分だと思います。
親を思う気持ちが、本当に自発的なところもすごいと思う。
これは、江戸時代末期から明治にかけて日本を訪れた外国人が口をそろえて絶賛している。
日本の子どもほど大事にされていて幸せそうな子は世界にないとか。
親は子どもを可愛がり、子は親が大好きで本当によくいうことを聞きお行儀がよい。
「伝統的子育て」がひとくくりにされて、ツイッターなどで酷評されてるのを見てると、
いい部分も本当にあるのになぁって残念だなぁと思います。
何もなくても育ててきた。
いろいろ工夫してやってきた。
人間の知恵はすごいと思います。
たとえば、健診でおしゃぶりって必要ですか?慣れさせておいた方がいいですか?って聞かれたら。
100年前にはなかったけど、ちゃんと赤ちゃんは育っているよね、とお話しします。
なくったって育つものは親が便利に過ごす(泣かさない)ためのものということです。
だから、絶対必要なものではない。
でも、否定もしない。
ニーズがあってうまれてきて、それゆえ販売されつづけているのだから。
でけど、声を出しておもしろがれるようになったり、コミュニケーションをしようとするときに、泣いて訴えたいときに、
その声の意味をさぐらないで(子どものニーズを考えずに)、うるさいからこれあげる、とおしゃぶりをハイ!てのは、
子どもの心を考えない行為・赤ちゃんの要求を無視すること・さらに言えば赤ちゃんとの関係をこちらから断ち切ることではないかな?と思います。
そういう点を注意して、声を出すようになったら自分なりの使い方を考えたらいいのでしょうね。
それだけに頼らないということです。赤ちゃんの気持ちを知ろうとする努力をしなくなるということですから。