関西の大学を卒業して、当時は珍しかったのですが、研修指定病院で研修をしました。
大学も二次試験に理科がないという理由で決め、国際医療協力をやっているという理由で研修病院も決めた、
なんとなく人生ですけど、出会いには本当に恵まれてきたことを振り返ると感じます。
大学時代研修時代にお世話になった先生はたくさんいらっしゃいますし、年々懐かしく思い出しますけど、
山本宏先生は格別の恩師といえます。
哲学とドイツ語の教授で、今は名誉教授です。
89歳でも、とってもお元気で4年前に続いて今年も東京での関東支部の同窓会に来てくださいました。
2008年3月のことで「日々是好日」ブログで今読んでも新鮮!
よく、こんなに素敵にまとめてくれてて・・・ありがとう!あまちゃん!
多分話はいろいろ聞いているのですけど、エッセンスとして私の中に入り込んでいるというか・・・
私の根っこにあるというか・・・
おっぱいの話。
自然との共鳴の話。
看護の話。
納得の話。
正常と異常の話。
食べ物の話。
いろいろな話に引き込まれました。
当時一つだけ、脳死の話だけは反発を感じましたけど・・・
(脳死患者からの移植は反対というもの、当時は反発したけど、今は・・・わからない・・難しい・・・つまり考えは曖昧に変わった)
医学を学ぶ学生にする自然の話は繰り返し繰り返ししてくださった。
初代学長古武弥四朗先生の言葉をよく講義で取り上げられていらした。
「本も読まねばばならぬ。
考えてもみねばならぬ。
けれど、凡人は働かねばならぬ。
働くとは、天然に親しむことである。
天然を見つめることである。
そうすれば、天然が見えてくる。」
だったとおもいますが・・・
「働くとは天然に親しむことである」というのが、突飛な感じがしてよくわからなかったものです。
天然を見つめること、見えてくること、それを医療を目指す若者にどう伝えるかが、大きなことだったのではないかと思います。
私は、先生が4年前に来てくださった時に切実に思ったことは、
医療は人を幸せにするものであってこそ、価値があるのだということです。
医療は自然のままなら死んだり苦しんだりすることを手を施すことでそれを避け、人を苦しさ・病気・死から救い出すということです。
自然と医療は対立するのでしょうか?
私はそうは思いません。
医療は自然の中に存在していると思うし、相反するものではないとも思います。
医療そのものが、自然発生的におこってきたものですし。
「目の前の苦しんでいる人を助けたい」という人間の自然な感情から進歩してきたものです。
もともと持っている自然の力(人間の免疫力)をうまく利用する医療が予防接種です。
人間が自然をコントロールできることはないでしょうし、それは、どんな学問でも同じです。
人を幸せにできるからこそ、医療は許されています。
医療そのものが目的でなく、医療によって人を幸せにすることが目的です。
医療があるからこそ、幸せであるということは確実にあります。
身近な例では、医療があるからこそ、幸せな助産院出産ができるということもあると思っています。
もちろん、病院の出産だって幸せだと思います。
病院は、でも、「幸せにする」という目的が見えなくなりやすいかもしれません。
日々、数値・記録・確認・手順・・・に追われがちになりやすいような気がします。
医学は幸せのための一つの手立てなのではないかと思います。
現代だからこその医療の利点があり、役目があります。
現代ならではの利点である医療こそ、上手に使わなければもったいないです。
その付き合い方、立ち位置もそれぞれなのかもしれませんが。
検索していてでてきたのですが、
古武先生は
「川に沿ってあるくのでなく川を渡りなさい」と言われたとのこと。
この言葉は知らなかった。
(ある年の大学の入試で小論文のテーマとして紹介されてました・・・私たちの年のテーマは「正常と異常」・・・今なら書けるかな)
人の決めた数値で判断するのではなく、人のいうことを鵜呑みにして考えることをやめるのでなく、
自分で天然と向き合って、それが正しいか自分なりの検証をせよ、
ということ なのでしょうか。
私の今の仕事は
「医療を納得して受けてほしい」という思いでしています。
自分のお産での挫折体験、納得できない医療がどんなに辛いか経験したことが原点です。
私の「納得」の言葉、そもそも山本先生からのつながりなのだと思います。
納得するためには、悩むこともまた必要かと思います。
悩むから納得にとどりつけるともいえると思います。
山本宏先生は私の本当に大事な恩師です。
迷った時に、語りかける恩師です。
まだまだ、お話しを聞きたい。
和歌山に行こうかな・・・