ひだまりクリニック~産んだ後にも母親学級~

杉並区で小児科医がひらいている母子で集えるクラスです。

つらかった時期に寄り添ってくれた人の話

2014-10-19 15:46:30 | 今までにであったさまざま

最近、普段の業務に忙しくてあまりブログの更新もできません。

本当は、いろんな医療情報などを出していきたいと思っているのですけれど・・・

今日は・・・

長い付き合いの素敵な女性、私にとってはお姉さんみたいに思っている方のこと、

書いてみようと思います。

二人目のお産のときに出会った助産師さんです。

一人目のとき、とてもつらい(私にとっては)妊娠と出産と産後をすごし、

育児不安でいっぱいで、たぶん、ひだまりに集まってくれる誰よりも不安だったと思います。

外にいけないくらい不安だった。

(不安な人つらい人ほど外には出られないものだと思います)

そして、ずっと子どもは一人でいいと長い間思っていました。

けれど、何年もたって、小児科医として摂食障害の女の子と話していて、

このままでは、小児科医としても母親としても中途半端だと感じました。

そして、今度こそ納得できるお産をしたいと探して出会ったのが、

ある産婦人科の先生と助産師さんである彼女です。

妊娠期間も、出産のときも、産後も・・・

彼女には、こうした方がいいといわれた覚えはあまりありません。

私がこうだろうかああだろうかと思ったことを口にするのをいつもいつも受け止めてくれてニコニコと聞いてくれていました。

母乳マッサージに定期的に行ってたのは、彼女とおしゃべりがしたいからというのが一番の理由でした。

穏やかな微笑みにいつも安心をもらっていました。

私の今の仕事での目標は、私が彼女に対するような気持ちをお母さんたちに持ってもらえたらということです。

人と接するときのお手本にしている人です。

マイ助産師さんですが、マイお手本です。

極上の支援者といっていい人だと思います。

支援者のお手本。

何も言わないのに、導いている人です。

導いているというわけではないですね、そこに彼女の意志はないから。

いつも信頼してくれて見守ってくれていたんだと思います。

だから、安心して自分らしい選択ができた、自分らしくいられたのでしょう。

出会ってからもう16年。

二人とも、いろいろな転換期があり・・・

彼女も私もその時々で、納得できる選択をし続けた結果、

彼女は助産師をやめてパートナーとオーストラリアで暮らしています。

彼女が助産師をやめる選択をしたとき、

どれほど彼女に助産師をやめないでと説得したいと思ったことか・・・

私の方は、励まされながらやりたかった仕事に少しずつ近づいています。

ときどき日本に帰国してた折々に会っていたのですが・・・

オーストラリアで重い病気を発症されました。

でも、やはり私のお手本。

治療をどこでどのように受けるかをきちんと選択し、

治療法について様々な角度から勉強して、前向きに頑張っています。

やはり、尊敬するお姉さん、だな・・・

遠いところで頑張っている彼女を応援してます。

ずっと祈っています。

彼女の今が、今日が穏やかなものでありますようにと。

「優曇華の花」というブログを日本語で書かれています。

うどんげ、と読むそうです。

今までも、オーストラリアでのこと、ガーデニングのこと・ペットのこと・石鹸作りやお料理やらの日常生活のブログを書かれたましたが。

今は、新しいタイトルで前向きな闘病のことを中心に書かれています。

彼女のブログを見ると、私も力をもらえます。

生きるということは何なのか教えられる気がします。

自分の力を尽くして誠実に前向きに、朗らかに、できることを積み重ねて努力していく。

そんな姿は、私にとって憧れであるし、目標でもあります。

すごい方なのです。

大好きな大好きな人です。

とっても大切な人です。

おつきあいさせてもらうと、私も頑張ろう!と思える人です。

私にも何かできるかもしれない、と励ましをくれる人です。

 

 

 


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