帰国後、少しずつですが、peer-reviewed journal のrefereeをさせていただく機会が増えてきています。
この3年間ぐらいは、毎年15-20ぐらいのpaperをreviewしています。日本の英語雑誌も多いのですが、欧米の雑誌のものもあります。
欧米のものでは、医学教育という軸で、学生時代に大好きでだったAnatomyの教育に関する雑誌でassociate editorを勤めさせていただいています。また先日は、専門分野に非常に関連している疫学関係のjournalで、refereeとしてreviewさせていただき、とても勉強になりました。
疫学のその雑誌は、私ともう一人の合計2人でreviewしていますが、一方のかたが疫学の専門家のようで、非常にきめ細かく、academic なコメントを書いており、それを見るだけでも非常に勉強になって喜んでいます。もとの論文自体が非常によく書かれているもので、その手法、書き方、分析の方法などを読むだけでもかなり勉強になったのですが、コメントにより、さらにSharpにいかにアプローチするのか、その論点を学びました。
話題はそれるのですが、関連して想起することを書きます。
「真理の探究」ということから始まった自然哲学philosophyから、現代のscienceへ、いろいろ思いをめぐらしています。
大学入学前に、哲学にとても興味を持ち、医者になるか、哲学科に行くか迷った経験もあります。
哲学科に行けば医師にはなれない。しかし、医学部にいって医師になっても哲学はできる、と思い医学部に最終的に決めました。
18-9歳のころの興味が、Michael Sandel教授の芸術と呼べるくらいのすばらしいセッションによって、一挙によみがえりました。
いまオランダの大学を通して、医学教育学を学んでいますが、
「人が学ぶとはどういうことか」
「どういう教育が効果的なのか」
「どういう教育で、behavioral change行動変容が見られるのか」
私の究極のQuestionは、
「どのような教育を提供すれば、医師のclinical performaceが向上するのか」
などの疑問を解きたいと思っています。
この3年間ぐらいは、毎年15-20ぐらいのpaperをreviewしています。日本の英語雑誌も多いのですが、欧米の雑誌のものもあります。
欧米のものでは、医学教育という軸で、学生時代に大好きでだったAnatomyの教育に関する雑誌でassociate editorを勤めさせていただいています。また先日は、専門分野に非常に関連している疫学関係のjournalで、refereeとしてreviewさせていただき、とても勉強になりました。
疫学のその雑誌は、私ともう一人の合計2人でreviewしていますが、一方のかたが疫学の専門家のようで、非常にきめ細かく、academic なコメントを書いており、それを見るだけでも非常に勉強になって喜んでいます。もとの論文自体が非常によく書かれているもので、その手法、書き方、分析の方法などを読むだけでもかなり勉強になったのですが、コメントにより、さらにSharpにいかにアプローチするのか、その論点を学びました。
話題はそれるのですが、関連して想起することを書きます。
「真理の探究」ということから始まった自然哲学philosophyから、現代のscienceへ、いろいろ思いをめぐらしています。
大学入学前に、哲学にとても興味を持ち、医者になるか、哲学科に行くか迷った経験もあります。
哲学科に行けば医師にはなれない。しかし、医学部にいって医師になっても哲学はできる、と思い医学部に最終的に決めました。
18-9歳のころの興味が、Michael Sandel教授の芸術と呼べるくらいのすばらしいセッションによって、一挙によみがえりました。
いまオランダの大学を通して、医学教育学を学んでいますが、
「人が学ぶとはどういうことか」
「どういう教育が効果的なのか」
「どういう教育で、behavioral change行動変容が見られるのか」
私の究極のQuestionは、
「どのような教育を提供すれば、医師のclinical performaceが向上するのか」
などの疑問を解きたいと思っています。