いままで読書と言えば、移動中の新幹線やフライトがメインで、数冊ぐらい一気に集中して読むようにしていました。医学以外の領域の知識を深め、ほかの領域の方とのネットワークを広げることでキャリアの幅を広げたいと思っています。
実用書やビジネス本、自己啓発本などがメインでしたし、駅や空港の書店で”平積み”になっているものは数冊まとめ買いして移動中にざっと目を通すやり方。iPADで読む本も買いましたが、以外に重くて不便に感じました。
最近、話題だった芥川賞受賞した「共喰い」という小説をようやく読みました。いままでに触れたことのない表現で、斬新な印象を持ちました。さすがに”文学”という芸術なので、こういう表現の方法もあるんだと感心しました。
いままで小説というと個人的には、実用性の面でなにか読むのが時間の無駄に感じて手をつけていませんでしたが、この田中さんの小説のおかげで表現方法を学ぶと言う点や人生の深みを学ぶ点で、小説に回帰したいと思うようになりました。
せっかく日本人に生まれて、日本語の機微や深さを学ぶ点で、夏目漱石、川端康成、谷崎潤一郎、芥川龍之介、ほか多くの偉大な小説家といわれている方の本も十分に読まずに人生を終わるのはもったいないと思います。40代なので、いまからこれらの有名な本をコツコツと読んでいけばまだ間に合うかな。思い立ったらすぐに実行しないと時間は待ってくれませんね。。
小説に関連して、実用書。
昨夜から読んでいる「日本人にしかできない「気遣い」の習慣」上田比呂志著
いままで、国外で世界の人たちと交流するなかで、どうしてもその対応にこころ傷ついたことが多々ありました。日本人としての”期待”を彼らがことごとく裏切るからですね。そういう期待そのものが文化の相違であることに気づくのは早かったのですが、日本人である私には国外よりも、日本が過ごしやすいと感じる理由のひとつでした。
文化の相違や価値観を超えて、相手の文化・社会基盤、言語化されない無意識の常識をそのまま受けいれ、理解し、在米中には、自分の身を守る、自分の意見を主張することで対応してきました。
それでも、やっぱり心地良くなくて、国外ではいつも攻撃的な気持ちにいつも自分を仕向けることが必要で、居心地が悪い感じでした。そういう場合、日本人以外はこうなんだと言い聞かせていました。
今回、この本で、この「居心地悪さ」「攻撃的にならざるを得ない」理由が、わかりました。はじめて、その違いが、この本で言語化されていたので認識できました。
「気遣い」の有無の違いだったんですね。基本的に、国外では、自分の好み、自分はどうしたいのかをはっきり言うほうが好まれますし、わかりやすいと認識されます。
国内では、自分の好みはあるけれど一度、飲み込んで、相手の意向を確認してからあわせるなどの対応をします。その是非はありますが、「相手を慮る(おもんぱかる)」という文化が、日本の世界に誇るユニークさだと改めて認識できました。
国外でサバイバルするには、「相手を常に考える」対応では、”踏み台”にされるリスクもあり、高い評価をされないなどマイナス面もプロの現場では起こります。
その兼ね合いをうまくできるようになることが私個人としては、重要なのだと改めて、思いました。
共存共栄と言葉では理解できていますが、実践となると難しいですね。
ライバルがいることで、いない状況にくれべ飛躍できる場合もあります。
世界的なデザイナーのコシノ3姉妹がそのように語っていますね。
実用書やビジネス本、自己啓発本などがメインでしたし、駅や空港の書店で”平積み”になっているものは数冊まとめ買いして移動中にざっと目を通すやり方。iPADで読む本も買いましたが、以外に重くて不便に感じました。
最近、話題だった芥川賞受賞した「共喰い」という小説をようやく読みました。いままでに触れたことのない表現で、斬新な印象を持ちました。さすがに”文学”という芸術なので、こういう表現の方法もあるんだと感心しました。
いままで小説というと個人的には、実用性の面でなにか読むのが時間の無駄に感じて手をつけていませんでしたが、この田中さんの小説のおかげで表現方法を学ぶと言う点や人生の深みを学ぶ点で、小説に回帰したいと思うようになりました。
せっかく日本人に生まれて、日本語の機微や深さを学ぶ点で、夏目漱石、川端康成、谷崎潤一郎、芥川龍之介、ほか多くの偉大な小説家といわれている方の本も十分に読まずに人生を終わるのはもったいないと思います。40代なので、いまからこれらの有名な本をコツコツと読んでいけばまだ間に合うかな。思い立ったらすぐに実行しないと時間は待ってくれませんね。。
小説に関連して、実用書。
昨夜から読んでいる「日本人にしかできない「気遣い」の習慣」上田比呂志著
いままで、国外で世界の人たちと交流するなかで、どうしてもその対応にこころ傷ついたことが多々ありました。日本人としての”期待”を彼らがことごとく裏切るからですね。そういう期待そのものが文化の相違であることに気づくのは早かったのですが、日本人である私には国外よりも、日本が過ごしやすいと感じる理由のひとつでした。
文化の相違や価値観を超えて、相手の文化・社会基盤、言語化されない無意識の常識をそのまま受けいれ、理解し、在米中には、自分の身を守る、自分の意見を主張することで対応してきました。
それでも、やっぱり心地良くなくて、国外ではいつも攻撃的な気持ちにいつも自分を仕向けることが必要で、居心地が悪い感じでした。そういう場合、日本人以外はこうなんだと言い聞かせていました。
今回、この本で、この「居心地悪さ」「攻撃的にならざるを得ない」理由が、わかりました。はじめて、その違いが、この本で言語化されていたので認識できました。
「気遣い」の有無の違いだったんですね。基本的に、国外では、自分の好み、自分はどうしたいのかをはっきり言うほうが好まれますし、わかりやすいと認識されます。
国内では、自分の好みはあるけれど一度、飲み込んで、相手の意向を確認してからあわせるなどの対応をします。その是非はありますが、「相手を慮る(おもんぱかる)」という文化が、日本の世界に誇るユニークさだと改めて認識できました。
国外でサバイバルするには、「相手を常に考える」対応では、”踏み台”にされるリスクもあり、高い評価をされないなどマイナス面もプロの現場では起こります。
その兼ね合いをうまくできるようになることが私個人としては、重要なのだと改めて、思いました。
共存共栄と言葉では理解できていますが、実践となると難しいですね。
ライバルがいることで、いない状況にくれべ飛躍できる場合もあります。
世界的なデザイナーのコシノ3姉妹がそのように語っていますね。