先の「麻しん排除認定」につき、追記です。
当時の思いを思い出しながら、西太平洋事務局のシン局長のスピーチを聞いていました。
フルタイムの大学院生当時のJohns Hopkins大学の卒業課題 (integrated experiencesと当時呼ばれていました。
HopkinsのMPHはthesisを要求しておらず、その代わりの課題です)で取り組んだ麻疹対策。
2002年から2003年頃、最終ターム。Baltimoreの当時住んでいた、とっても親切な大家さんから借りていたタウンハウスの2階で、母国で猛威を振るう麻疹をなんとかしたいと思い、文字通り"たましいをこめた”仕事として書き上げました。
大学院の課題で終わらせず、それを公開する手段として3つ行いました。
1. 日本医師会総合政策研究機構 (日医総研)のワーキングペーパーとして
「麻疹の抜本的対策への提言」ワーキングペーパー No. 88
http://www.jmari.med.or.jp/research/research/wr_217.html
2. 医学論文への投稿
Lancet 2004年
http://www.thelancet.com/pdfs/journals/lancet/PIIS0140-6736(04)16715-9.pdf
3. 医学界新聞への投稿
2003年8月18日号
「日本の予防接種行政を考える」
私はその後2005年から再び、日本の医療現場で、主に感染症教育と診療にて勤務するようになり、ワクチン接種そのものの対策には直に接する機会は少なくなっていました。現場ではワクチン未接種の患者や感染対策に頻繁に遭遇し、悩む日々がありました。
そのような日々を思い、ご関係者の方がたと懇親会で再会できましたことが何よりうれしかったです。
ここからまた、次のステージに向けて、今度は風しん、ムンプス、水痘、B型肝炎など対策が遅れている疾患についても取り組む礎(いしずえ)にしたいと感じています。
当時の思いを思い出しながら、西太平洋事務局のシン局長のスピーチを聞いていました。
フルタイムの大学院生当時のJohns Hopkins大学の卒業課題 (integrated experiencesと当時呼ばれていました。
HopkinsのMPHはthesisを要求しておらず、その代わりの課題です)で取り組んだ麻疹対策。
2002年から2003年頃、最終ターム。Baltimoreの当時住んでいた、とっても親切な大家さんから借りていたタウンハウスの2階で、母国で猛威を振るう麻疹をなんとかしたいと思い、文字通り"たましいをこめた”仕事として書き上げました。
大学院の課題で終わらせず、それを公開する手段として3つ行いました。
1. 日本医師会総合政策研究機構 (日医総研)のワーキングペーパーとして
「麻疹の抜本的対策への提言」ワーキングペーパー No. 88
http://www.jmari.med.or.jp/research/research/wr_217.html
2. 医学論文への投稿
Lancet 2004年
http://www.thelancet.com/pdfs/journals/lancet/PIIS0140-6736(04)16715-9.pdf
3. 医学界新聞への投稿
2003年8月18日号
「日本の予防接種行政を考える」
私はその後2005年から再び、日本の医療現場で、主に感染症教育と診療にて勤務するようになり、ワクチン接種そのものの対策には直に接する機会は少なくなっていました。現場ではワクチン未接種の患者や感染対策に頻繁に遭遇し、悩む日々がありました。
そのような日々を思い、ご関係者の方がたと懇親会で再会できましたことが何よりうれしかったです。
ここからまた、次のステージに向けて、今度は風しん、ムンプス、水痘、B型肝炎など対策が遅れている疾患についても取り組む礎(いしずえ)にしたいと感じています。