駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

ロッキンロール・ドラマーのキン○マ根性

2007年09月03日 | ドラム&パーカッション
9月3日(月)
オレはあの流行り言葉は使わない。
例のオカマ?のオッサンが流行らせた「ど○○け~」ってやつ。
あのオッサン、エライ人気なのだろうけど、別に興味はない。
オカマのクセにきれいじゃないし、喧しい。
ま、オカマなんて喧しくてナンボだけど。
オカマっぽいオッサンの生け花屋。
オカマっぽいオッサンの編み物屋。
オカマっぽいオッサンの兄弟。
まあ、見ていて害はない。だから人気なのか。
毒を感じないから、安心なのか。
中国産野菜のほうがよっぽど怖い気がするし。

ま、どうでもいいけど、オレは使わない。
何でかといえば、ただ、オレの単なる“キンタマ根性”で妥協しないだけである。
つまらんことだが。

逆に、オレのキンタマ根性で筋を通したいのは、ロッキンロールドラムでの「一生懸命プレイ」である。
これについては、普段から目指している“ルーディメンツ・ドラミング”の王道からすれば非常に矛盾に満ちていて、相反するものだ。
「でかい音を出したければ、力を抜いて、高いところから落とす。」
「へえ、しかしでござんすよ、ニッポン男児、力を抜いて勝負できやせんぜ」
「腕の重みと、スティックの重みをスティックの先に集中するだけで、でかい音がする。」
「ンなこた分かってますがね、ロッキンロールは汗かいてナンボでっせ」
「スティックの跳ね返りを上手く利用することが肝心」
「理論的にはそうでしょうよ、でも・・・そんなん関係ねえ!でもそんなん関係ねえ!」

実は、オレはつい最近まで、ここんところの矛盾に悩んでいた。
オレからすると、大いなるジレンマなのである。
一生懸命ドラミングは、大きな功罪がある。
“功”の部分は、言わずもがな「一生懸命は美しい」という独りよがりな美談的マスターベーションだ。
だけど、ドンバと観客一体で突っ走る瞬間は、“アノときに恋人と同時にイッちゃった!”的な見事な達成感と、“お前はオレのもんだ!”的な征服感を満たされる快感がある。

しかし、“罪”の部分は、悩みが深い。
終盤、ドラムソロが回ってきたときに身体的事情が応えきれない場合、どうする?という問題である。
すなわちグリコーゲンが使い果たされてしまったとき、高速8ビートの中で、16分音符と6連符をおりまぜた連打ができるか、リズム打ち以上の力いっぱいのソロプレイができるかという問題である。
ここで、力を抜いたルーディメンツ・ドラミングはやっぱりあかんやろ。と思うのだ。

ここは、往年のメル・テイラーのドラム・ソロを思い出して理想型としたい。
レギュラー・グリップの左手であっても、スティックを肩よりも高く振り上げて高速の16連符の連打に手癖の3連符をきれいに転がして決める。
ストレートにロックするという力勝負。
全盛期のメルさんといえば、陸上でいえば王者カール・ルイスである。今で言えば、新王者タイソン・ゲイである。
オカマではなく、ゲイである。
そんなメルさんの真似を、今ではロクに鍛えてもいないもうじき50のオッサンがやったところで、スティックを引っ掛けてひっ転ぶに決まっているではないか。
しかし、気持ちはいまだに新人だ。
オールスターゲームで打たれても打たれても、あくまでスピード・ボールで勝負する、新人の田中投手のように、潔く散りたいのである。
ストレート1本で砕け散る。それは恥であろうか、はたして男の勲章か。
オレは、まだこの“若気の至り”的男の美学を追求する、おかしなオッサンドラマーなのである。
キンタマ根性は永遠に不滅です。

つか、こんなことに悩むドラマーって、どんだけ~って感じだ。
あっ、言っちゃった。
コメント (6)
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