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駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

6月終了!

2010年06月30日 | 駄日記
6月30日(水)
今日で6月も終わり、明日からは7月。
いやあ~、7月といえば、いよいよ真夏に入るような気がしますね。
夏休み、プール、海、山、セミ、虫かご、麦わら帽子、かき氷、スイカ、花火、お祭り、蚊取り線香、海パン、宿題、図画工作、扇風機、うちわ、キャンプ、飯ごう炊さん、BBQ・・・
きりがないくらい連想できちゃう。
ウキウキしますね、7月。
それにしても、6月は音楽活動が少なかった分、他の出来事がいろいろとあってきつかったなあ。
体調もなんか良くなかったし。。。
でも何とか乗り越えてきたんで、明るいイメージの7月でスカッといきたいです。
ライブ予定もいくつかありますしね。
よっしゃ~。
夢を持っていきましょうや!
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無呼吸症候群?

2010年06月29日 | 駄日記
6月29日(火)
以前のNHKのガッテンで知ったんだけれど、無呼吸症候群の潜在的患者数というのは、男女問わず、また肥満型じゃなくても中年成人の半数近くにも及ぶと言ってもいいらしい。
TVでは一見やせ形の女性の方は、無呼吸症候群という医師の診断に驚いていたけど、そりゃそうだ。
デブの中年いびきオヤジというイメージがありますからね。
夜中に何度も目覚めたり、朝の目覚めがすっきりせず昼間眠くなって仕方がないオレなど、まさにそんな気がしてるので、興味シンシン見てた。
ただ、オレはいびきをかかない。(らしい)
それに、一般的にいわれるような肥満体形ではない。
まあ酒ばっかり飲んでるんで、ビールっ腹ではありますけど。。。

でも、こないだ夢で自分の呼吸が止まるのを見た。。。
だいたい、オレは夢を見ないタイプ。つか、見るんだけどすぐ忘れるタイプ。
なのに、呼吸が止まるなどという夢を覚えている時点で、やばくね?みたいな。
ちょっと前まで、かなり精神的に沈んでしまってウツ状態だったので、そんな夢を見たのかなあ。
このところ、やっと最悪の状態から脱したような気がしているので、そのうち、スッキリとした目覚めが得られるかも知れないなあ、などと願いつつ。

それにしても、「弱り目に祟り目」とはよくいうもので、よくない時にはよくないことが重なるもんです。
決定的な不幸が重なるということじゃなく、ちょっとした苦痛やら不幸など。
例えば、ただ道を歩いているだけなのに、ちょっとしたタイミングでクルマの出入りの邪魔になったとかで文句言われたり、クルマを運転していたら信じられないような割り込みにあって心臓が止まるような気分になったり、混雑する朝の駅で若い女の子に触ってもいないのに痴漢にあったように睨まれたりと、普段なら「何だバカやロー!」って反撃したくなる場面でも、ショボンと落ち込んでしまう。
これ、全部ここ1週間ぐらいのクソな出来事。
でも、今は負のスパイラルからの脱出をしつつあります。
絶対がんばらんぞ~!へらへらしま~す!
へへへ。
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ドラマーのクルマ

2010年06月27日 | 駄日記
6月27日(日)
長らくお世話になったソリオ君ともお別れしました。
思えば、ある人から中古で格安で譲ってもらって5年ぐらい乗りましたが、その間いろいろなことがありました。
楽しいことも嫌なことも、けっこうソリオ君と一緒でした。
泣きそうな事件もけっこうあったな。。。く~。。。
全然趣味じゃないクルマでしたけど、乗ってしまえばなかなか便利でした。
オレ、クルマに特別な思いって何にもないので、安く手に入って、普通に乗れれば何でもよかったんです。
ただ、ドラムを積めるという条件だけはクリアしないとNGなんですけどね。
このクルマ、軽みたいな大きさの割にけっこう広くて荷物はたくさん積めるし、軽みたいなのに1,300CCなので案外走るし、車重が軽いから燃費はいいし、特段モンクはありませんでした。
ただし、去年からファンベルトがキーキー鳴り出して、2回修理に行ったのに直らないという結果に嫌気がさして、取り替えを決意しましたね。
だってエンジンが温まるまでは、走り出すたびものすごい悲鳴を上げて歩行者の注目を浴びてしまい、恥ずかしいのなんの。。。
ポルシェとかランボルギーニに乗って振り返られるっていうならかっこいいんだけどねえ。
じゃあ新車にかっこいいスポーツカーを乗りたいかって言うと、全然思わないんだよね。
まあ、お金がないっていうのが一番ですけど、それよりも、やはりドラムが積めるっていうのが第一条件になります。
そんなわけで、次のクルマも荷物の載せられるファミリーカーってわけで、特に魅力的なクルマじゃありません。
エコカー減税と補助金の甘い囁きに負けました。
来月から、ローン地獄が始まります。。。
く~
ドラマーのくせに、超かっこいいスポーツカーに乗ってる富豪たち。
ゆるせん~!つか、単に羨ましいぜ~。。。
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PPF/アヴァンティ・ライブ

2010年06月26日 | ライブレポ
6月26日(土)
久し振りにPPFのライブに参加できました。
豊橋・アヴァンティでのライブでした。
このところ、PPFは野外でのイベントに参加したりしてひじょうにアグレッシブに活動していますが、自分のスケジュールと合わなくて欠席ばかりでした。
いつも申し訳なくて後ろ髪引かれる思いでしたが、今夜は参加できてよかった。
しかも、今月は音楽活動自体が少なくて、それ以外の出来事でのストレス発散もできない状況が続き、ウツウツと気分が晴れなかったのでかなりスッキリしました。
コンガを叩くのも先々週のWATTS以来ですし、パンパンと思い切り手のひらを打ちつける痛みが何とも言えず心地良い。(でもMじゃないっすよ。。。)
アヴァンティのステージはけっこう広くて、フルメンバーだと大所帯で大荷物のPPF(オレのせいじゃん・・・)にはちょうどいい広さ。

ライブ直前のステージで
今回は、写真撮影をお願いする暇がなかったのでこの画像のみしかありましぇんけど。
相変わらず、イグアナ細野氏のボーカルは熱かった。
カルロス岡部とタカヒロ両氏のギターバトルは見応えありました。
キタ~!って感じの見事な爆音でした。
山ちゃんのベースも、吉田さんのキーボードも音がはっきりくっきりとバランスも良くて演奏しやすかったし、鈴木さんのドラムもバキバキ来てました。
それとハコの古いグレッチのセットがサイコーなんだよね。
鈴木さんとドラマー同士、ひたすら「欲しい」って言い合ってる。
Wコロンの「ねずっちです」じゃなくて「ぐれっちです」みたいな。あ、イマイチ。。。
だけど考えてみたらオレはまだ叩いたことがなかったじゃん。(笑)

久し振りにやる曲では新鮮なんだけど、オレ自身前ノリでキメキメに行けなくて超反省。
練習不足ですハイ。。。
次は大阪ツアーがあります。
それに向けて頑張らないと。
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なんでかなあ・・・

2010年06月25日 | 駄日記
6月25日(金)
全然TVを見たいなんて思ってもいなかったのに、夜中にふと目覚めて時計を見たら3時半過ぎ。
昨夜は0時過ぎに寝たから、普通は5時半に目覚ましで起きるはずなのに。
妙に目が冴えちゃって、TVを付けたらちょうどあの本田選手のゴールが決まるところだった。
「あ、やってる」ってちょっと驚きつつ、しかもあの芸術的なゴールを見てしまったので、そのまま最後まで応援してしまった。
「どうせ勝てっこないしサッカーなんて絶対に見ない」なんて思っていたくせに。
勝手なもんだ。悔しいが今日は寝不足。

昨夜、ブログのコメントをいただいていたので、コメント返しをしたんだけど、今日になって読み返したらすごい攻撃的な反論をしているような書き方でビックリ。
そんなつもりじゃないのにと思い、あわてて書き直す。なんであんな書き方をしたのかなあ。超反省。ゴメンネ。

今日、実家の土地とお墓の問題で、いつもノドに大きな魚の骨が刺さっていたような感じだったのが、やっと一つ片付いた。
寂しいという気持ちは確かにあるが、少しだけすっきりとした気分を味わうことができた。
あと一つも、はっきりと決断をして動きだすことができたし、後は実行するのみ。
気持ちの奥底にある後ろめたさが解消される日は来るのか。
あちこち走りまわり、久し振りにきょうだいと揃うこともできたし、ひじょうに疲れた。
しかし、いい疲労感だと思えるのが嬉しい。
それにしても、全く音楽的じゃない日々。
明るくいい方向を向きたくて、日射しを求めてきょろきょろしている感じ。
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テンション上がらず

2010年06月24日 | 駄日記
日記が書けん。
どうもいけましぇん。
ちょうしわりい~。。。
今年の夏至は6月21日、今週の月曜日でした。
日中の時間が年間を通して一番長い日。
でもさ、それを過ぎたら、仕事帰りの電車の車窓から見える夕暮れが何だか寂しくてたまらない。
え~?気分はもう秋?
何故か、寂しい気分と悲しい気分が波打ち際のようにやってきやがる。
くそ。
名古屋場所をどうするかで揺れる相撲協会ぐらいにユーウツ。
でも、開催できなかったらどんだけの損失が出るか計り知れない中日新聞社とか弁当屋とか、名古屋の関連企業のユーウツから比べたらどうってことないか。
相撲界を追放されるかどうかで目の前が真っ暗の琴光喜と比べたら、全然お気楽だ。
まあ分かってるっちゃあ分かってるんで。
がんばらんどこ。へへへ。。。
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「ザ・コーヴ」全国上映について

2010年06月22日 | 駄日記
6月22日(火)
和歌山県太地町のイルカ漁を批判する米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」。
どうやらこの問題の映画、来週から順次、全国ロードショーらしいですね。。。
まあ、確かに米アカデミー賞長編 ドキュメンタリー賞受賞作品であることは間違いないし、内容については賛否両論、話題沸騰で怖いもの見たさに観に行かれる方も多いことでしょうから、ヒット間違いなし?
折しも、今夜のニュースでもクジラ漁を巡る国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会での捕鯨国と反捕鯨国の考え方の相違が相変わらず大きく、2日連続で協議が休会して、「決裂」を危ぶむ声が強まっているらしい。
反捕鯨国のニッポン叩きの激しさは言うまでもない。
まあどこの国でも自国の国益を守るために、ニッポンなどというどうでもいい他国を陥れることは当たり前である。
例の反捕鯨団体「シーシェパード」による卑劣な暴力による攻撃的抗議行動は、怪我人も出て多大な損害を被っており、この事件については明らかなテロ行為であった。
ニッポンの新聞やTVなどのマスメディアは、例の事件についてはかなり冷静な大人の対応をして、「事実を正しく伝える」ことだけにかなりの神経を使っていた。
しかし、今回の「ザ・コーブ」上映に関しての、ニッポンの利害関係にある団体が上映反対行動を起こしたことに関しては、社説などでかなりヒステリックともいえる反応をしていたことが気になった。
例えば、中日新聞では「イルカ漁映画 議論はまず見てから」という社説を載せていた。
“意見や情報を発信する自由がしばしば妨げられ、異論が封じられるようでは民主主義が危うい。公的機関はもとより市民一人ひとりにも、「表現の自由」を支え、守り抜く責務がある。
いつまで同じことを繰り返すのか。自分と違う意見を無理やり葬り、脅された側もあっさり屈してしまう。和歌山県太地町のイルカ漁を批判する米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」をめぐる事態はそういうことである。”
と、手厳しい。
がしかし、この映画って、「オレたちの愛する可愛いイルカを殺して食ってやがる野蛮な国民を叩け」という意図のもとに、ニッポン叩きのために構成され、普段は見せない現場を盗撮し、血の海を強調したりと悪意を持ってグロく編集された映画なんだろうし、これは一種のプロパガンダなんだろうと思う。
いくらクジラやイルカを食わないからって、悪趣味そのものじゃないか?
オレたちだって、肉も食うけど場の牛肉や豚肉や鶏肉の血の海なんか見たら食欲なくすよ。
普通は関係者以外には見せないもんなんだ。
これを「表現の自由を脅かす」と口角泡を飛ばして論じられても説得力が感じられない。
なんで、ニッポンのマスメディアって他国の利益について、とことんお人良しなんでしょうか。
他国からの攻撃については同調して政府を叩き、理不尽に国益を損なうことに関しては、国際社会に言いたいことがあってもぐっと我慢し口を噤む。
一体、誰のためのメディアなんだろうか。
オレはこの映画、見たいとは思わない。
グロいのは嫌いだから。
ちなみに、イルカは体長が大きいものはクジラと呼ばれるらしい。
先日、TVで劇団ひとりが言ってたような気がする。
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豊橋空襲から65年

2010年06月21日 | 駄日記
自分は、豊橋に引っ越してきてからまだ10年にも満たないので、この町の歴史については疎いのですが、戦争末期に大空襲があったことだけは知っていました。
FMトヨハシというローカルなラジオ局ですが、毎週土曜日の夕方に、「豊橋空襲を語り継ぐ会」の代表者が分かりやすい解説をしている番組があって、体験者の手記を朗読したり、関連書籍を紹介していて興味深く聴いています。
その空襲があった日が、65年前の6月19日未明から20日ということです。
この日、豊橋市内は米軍のB29による爆撃で火の海となり、624人の市民の尊い命が一瞬のうちに失われました。
こう言ってしまうと単なる数字のようですが、この町で後にも先にも624人もの生命が一日で亡くなるということはないわけで、阪神淡路大地震などの大災害にも匹敵するような大事件です。
今、そこに住んで平和な日々を享受している我々としては、決して忘れてはならない事実です。
終戦まであと2カ月というこの時期は、もうニッポン本土は米軍のやりたい放題でした。
はじめは、軍の施設や軍事工場などを中心に爆撃目標としていたのでしょうが、ほとんど無抵抗状態のこの戦争末期では、攻撃する側からしたらより多くの人間を殺戮するためだけのゲーム感覚もあったのではなかろうかと思われます。
事実、この時期は豊橋以外にもあらゆる都市の民間人が居住する地域を目標にして、焼夷弾を投下して、当時の木と紙でできた市民の家々を焼き尽くしました。
悲惨な戦争が確かにあったわけです。
自分は、戦争を知らない世代ですし、これからのニッポンは戦争を知っている世代はどんどん少なくなっていきます。
だから余計に、この悲惨な戦争を知って、語り継いでいかなきゃならんと思っているわけです。
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ロバート・B・パーカー遺作

2010年06月19日 | 読書
今年の1月に突然の訃報で、世界中のパーカーファンは悲しみにくれました。
この自分もその一人。
それほど読書家でもないオレが、これほど悲しい思いをするのは何故か。
まだ20代の頃、インターネットも携帯電話もなくて、世間は今ほど読書離れしていない時代に、ロバート・B・パーカーという作家の代名詞となったスペンサーシリーズのブームがありました。
そんな中、平凡な(夢や希望や物欲や食欲や性欲に溢れた)若者であったオレも、例に洩れずこの人の作品に出合い、いとも簡単に心をつかまれたのでした。
それから30年ぐらいの間ずっと、年に1~2度ぐらいのペースで本屋でこの人の新作を見つけては買いこみ、時間をかけてじっくりと読むという習慣となっていました。

訃報を新聞で知り、今後はもう二度とスペンサーに会えないと知った時、自分の両親が亡くなった時よりも、ある意味ショックでした。
しかし、以前の日記にも書きましたが、日本語訳は時差があるので、ニッポンでの未発表の出版があるだろうと、最後の望みというものがありました。

そんな彼の遺作は3月に追悼出版された「勇気の季節」でした。
もちろん、本屋で見つけた時には小躍りして買ったわけですが、書棚から取り出すときには手が震えるような気持ちの高ぶりを覚えました。
それとあわせて、隣にあって2008年に出版されていた、兄弟本とも言えるような若者向けの「われらがアウルズ」も未読でしたので購入。
実に多作なパーカーですので、この手のスペンサーシリーズではない小説もたくさんあります。
気付くと知らぬ間に出版されていて、買いそびれたこともよくありました。
しかし、もう読むこともできないと嘆いていた彼の小説を一気に2冊も手に入れてしまい、嬉し過ぎて、なんだかもったいなくて読みたいけど読めない、みたいな感情さえ生まれました。
でも実は、名古屋駅からすぐに電車の中で読み出しましたけどね。
この青少年シリーズ、この次のテーマは何だろうかと「あとがき」にも期待を込められて書いてあったけれど、連続ものになりそうな気配がありました。
内容は、パーカーの少年時代の古き良き思い出が溢れていて、スポーツと恋と友情と正義感というものを題材に、のほほんとパーカーの祖国に思いを馳せるといった趣向でした。
「われらがアウルズ」はバスケット・ボール、「勇気の季節」はボクシングという、パーカーの得意な知識があちこちに、しかもごく単純に散りばめられています。
そして、スペンサーシリーズもそうなんだけど、貫き通す主義は変わらない。
「米国は正義の国、その国民である自分も正義感と誇りは絶対に不変だ。たとえ世の中が変わり、考えは古臭くなったとしても、結局最後に正義は絶対に勝つんだ」というメッセージに溢れています。
オレは、この人の作品を読むといつも「これでいいのだ」と思う。
設定やストーリーが多少ぎくしゃくしても、「これでいいのだ」と思う。
たとえ、これは失敗作?と思えるふしがあったとしても、やっぱり「これでいいのだ」なのですのだ。
だって、ロバート・B・パーカーが書いたんですもの。
あ~、スペンサーシリーズの未発表の遺作出版がありますように。
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エコエコって言うけれど

2010年06月17日 | 駄日記
ちょっとまずいですね。
あのオバマさんが緊急演説をした、例のメキシコ湾の原油流出事故だけど、2か月近くもずっと大量に漏れ続けて、未だ止める目処が立たない。
明らかな人災であるにもかかわらず、どの対応策も全く歯が立たず、もはや地球規模の大災害となっていて、なおもなすすべもなく原油は大量に漏れ続けているのを、我ら弱き人間たちは指をくわえて眺めているのみだ。
もしも、このまま何ともならないとしたならば、まさに地球の終焉を想像させる恐怖の時代に、既にこの地球は入り込んでしまっているのかもしれない。
結局、映画のヒーローのような、たった一人で解決してくれるスーパーマンはいないのだから。

エコだなんだと、ごみの分別や買い物袋の提供禁止などの省エネ対策や、クールビズやこまごまとした企業努力など、涙ぐましい努力にやっと慣れてきた感もある我々ニッポン人だが、こんな小さくて苦しい努力が、ほんの数分数秒で全て水泡に帰する程の規模の大災害である。
じゃあ、そんな小さな努力をしても無駄だ、と言いたいわけじゃない。
オレなんか、結果として何にもできないわけだから、せめてできることをしようと思うわけ。
それは何だといえば、やっぱり地道な省エネだとかエコとかいう、あんまり嬉しくない小さな努力をより頑張って続けるしかないのなかと思う。
これが、小さな小さな努力が積もり積もって大きな力になる。
スーパーマンの存在に近づけると信じるしかないのではないのだろうか。
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