駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

今日もクラプトン聴いてます

2024年04月06日 | オールドミュージック

4月6日(土)本日のJog&Walking=45分
今朝も気持ちよくJOG(半分は歩き)と草むしりができた。体調は悪くない。その間、昨日に引き続いてずっとクラプトンの1980年のライブアルバム『ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜』を聴いていて、改めてその歌声の心地よさに癒されていました。



この2枚組のアルバムは、たぶん20年ぐらい前に自分で買っているんだけど、その時はいろんなロックのアルバムを買い集めていて、このCDはあまり聴き込んでいないので妙に新鮮で、ブルースというジャンルということもあるのだが、79年のライブなのにちっとも古臭く感じない。敢えて言えば、「ヘンリー・スピネッティ」のドラムの音色が当時っぽい。シングルヘッドタムを使っているのと、スネアの音がメタルだぜって響きで今風ではないというくらいだ。そこはまあ、オレがドラマーだけにそう感じるだけなんだろうなってことで。でも、とにかくシビレル2枚組だ。

クラプトンはやはりライブ盤がいい。2002年発表の『ワン・モア・カー、ワン・モア・ライダー〜ベスト・ライヴ』は言わずもがなの名盤で、何と言ってもドラムは「スティーブ・ガッド」であり、最高のロック魂を見せてくれている。

世界を代表するジャズドラマーなのに、クラプトンのバックで叩くと完全にロック・ドラマーに豹変する。中でもオレの大好きな曲の「Bell Bottom Blues」では、ミディアムテンポでゆったりともっと軽やかに叩きそうなもんだが、ガチで根性のロックドラムでスネアなんかも思いっきり叩いている。本当に気持ちがいい。ガッド師匠にスタンディングオベーションであります。
てなわけで、もうしばらくウチにある限りのクラプトンの音源を聴きまくりそうですな。

 

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和田さんから連想、「買物ブギー」、そして「賣物ブギ」

2023年12月03日 | オールドミュージック

12月3日(日) 本日のJOG&Walking=休む
昨夜はレッスンが少し早く終わって、ゆっくり焼酎を飲みつつ晩飯を食べて10時半ぐらいに寝たが、夜中1時台に目が覚めて眠れなくなったのでそのまま仕事の時間まで起きていた。TVを付けてもつまんないので、またNHKFMの「ディスカバー・ビートルズⅡ」を聴き直した。聴き終るとちょうど仕事の時間になるんだ。聴き逃しサイトでは今日の昼まで和田唱さんの赤盤ニューミックスの話なんだけど、何度聴いても面白い。和田クン天才。すげー好き。ビーオタサイコー。

和田さんと言えば、もう一人オレの好きな和田さんを思い出しました。「ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド」(略してDTBWB)のギタリスト和田静男さん。1973年デビューの、言わずと知れた昭和のニッポンロック界のキャロルと並ぶ大スターバンド。大ヒットを連発して、75年には「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で紅白に出場し、レコ大で受賞しています。ちょうどオレは高校生で「スモーキン・ブギ」にもハマってました。高3の頃はタバコも吸っていたし。。。和田さんは確か21歳でデビューしていて、当時からすごいギターが上手い人という印象がありました。「港のヨーコ」のギターソロは今聴いてもどがっちょいいと思う。
和田静男さんとはもう10年以上前になりますが、ライブツアーのお供をさせていただいたことがあります。東日本大震災があった2011年の夏には新潟ツアーをご一緒したのが印象的でした。和田静男さんは歌もすごく上手くて、ライブでは渋いブルースなども弾いて歌ってましたが、「スモーキン」「港のヨーコ」「サクセス」「シークレット・ラブ」などDTBWBのヒット曲もレパとして演奏していました。なので、オレはCDを聴きまくってめっちゃコピーしたっけ。横浜出身でいらして、今も横浜で活動していらっしゃいますが、以前静岡市内でライブをご一緒した時には、当時静岡で暮らしていたお母さんを気遣う優しい人だったなあなんてことを思い出します。

そんな和田さんをなぜ思い出すのかというと、今NHKで放送中の朝ドラ「ブギウギ」であります。ブギの女王「笠置シズ子」をモデルにしたお話なんですが、彼女の代表曲と言えば「買い物ブギー」となります。有名な曲ですが、改めて聴いてみてください。

笠置シズ子 「買物ブギー」 (1950)

めっちゃくちゃいいノリです。昭和25年発表ですから、戦後の混乱期から高度成長期へ脱却を急ぐ日本の社会と同じスピード感があるんじゃないでしょうか。これをパロディー化した曲がDTBWBの「賣物ブギ」なんであります。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「賣物ブギ」(1975)

そもそも、バンド名も宇崎さんが日本一長いバンドにしようとブギの女王のブギウギから持ってきていますし、このパロディーも必然という気がしますが、しかしこの曲、いい作りです。「オッサン」連呼までパロっています。初めて聴いた時から大好きで、数多いヒット曲の中でも一番好きかもしれないです。
以前和田さんに「賣物ブギはやらないんですか」と聞いたら、「難しい」と言われました。(笑)

 

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改めて 大橋純子と美乃家セントラルステイション「RAINBOW」を聴く

2023年11月13日 | オールドミュージック

11月13日(月)本日のJOG&Walking=お休み
今朝も仕事は休みでのんびりする。珍しく連休だった。寒くなって、東北ではいきなり雪景色になってしまって、紅葉の山が真っ白に消えてしまったそうだ。

大橋純子さんが亡くなったというニュースに驚く。73歳だったそうです。今年の日記の4月30日に、ブックオフで大橋純子と美乃家セントラルステイションのアルバム「RAINBOW」を見つけて買ってきたと喜んで書いています。それを久しぶりに聴いて作品の素晴らしさを再発見して、1970年代の昭和日本ロックを改めて聴き直しだしたという経緯があるので、ひとしお寂しくなるのでした。

アルバム「RAINBOW」は1977年発表なのでオレは20歳だった。名古屋の寮に住んでいた頃、大橋純子さんの大ヒット曲「シンプル・ラブ」を聴いて、すごい歌唱力にシビレてレコード店へLP盤を買いに行った。オレはごくたまにしか行ったことはないけれど、当時まだ流行っていたディスコでも「シンプル・ラブ」はかかっていて、この曲がかかるとテンションが上がって酔っ払って迷惑をかけてしまった覚えがある。。。
当時はあまりTVへの露出度は高くなかった大橋純子さんは、オレの中ではパワーボイスとハイトーンのロックシンガーだった。その後、「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」などバラードが大ヒットして、TVでも引っ張りだこの人気だったが、オレの好きなロックシンガーという感じではなかった。いつしかオレは追いかけなくなってしまっていた。
このアルバムでは、「フィール・ソー・バッド」、「ナチュラル・フーズ」などの大橋さんの若々しく突き抜ける歌声に圧倒された。今改めて聴いてもすごい歌唱力だ。大橋さんは華奢でか細い小さな身体なのに、どこからあのパワーが出るのかと、当時から言われていたことを思い出す。美乃家セントラルステイションの演奏も上手くて、実にレベルの高いアルバムだと思う。日本のロックは凄い。

もうあの歌声を聴くことができないかと思うと、寂しく悲しいとしか言いようがない。稀有なロックシンガーを失った。ご冥福を祈ります。ありがとう大橋純子さん。

大橋純子と美乃家セントラルステイション シンプル・ラブ JUNKO OHASHI/SIMPLE LOVE

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改めて『ライブ・イン・リブ・ヤング』を聴く

2023年11月02日 | オールドミュージック

11月2日(木) 本日のJOG&Walking=40分
オレの好きな懐かし日本の昭和ロックのコーナー、今回は「CAROL(キャロル)」にします。何と言っても高校の時にハマってコピーしまくったキャロル。アルバムは『Live In Live Young』(1973年)であります。

「ライブ・イン・リブ・ヤング」は自分で購入して聴きまくり、ドラムもコピーしまくっていて、今でもドラムのフレーズはちゃんと叩けそうな気がするぐらい。だがこのレコードには悔しい思い出がある。高校の頃の家には同級生の友人たちがよく遊びに集まっていた。友人と一緒にたいして仲いいわけでもない新開という調子のいい男が遊びに来て、レコードを貸してくれという。大事にしていたので嫌だと言ったが、「すぐに返すから」とかなんとか言って、奪うように持って帰ってしまった。それから何度か外で会ったときに「レコード早く返せ」と催促したが、「今度持ってく」とか言い逃れをしてちっとも返さないままそれっきりになった。結局、新開が売ってしまったか誰かにまた貸ししたかでもう手元にはなかったんだと思うが、思い出したら腹が立ってきた。あのヤロー絶対に許せん。。。
そんなわけで、久し振りにCDでちゃんと聴きました。
そして改めてすごいなと思うのは、観客の黄色い声援と手拍子の音量が大きいという点。イヤホンで聴いているせいなのか、時には演奏より大きいのではないかと思える。昔はそんなに気にならなかったんだが、今聴くと演奏中もキャーキャーやかましいし、ずっと手拍子が入っている。
最初の「ヘイ・タクシー」のイントロは、ドラムのカッコいいフィルから入るのだが、キャーキャーにかき消されて聞き取りづらいほど。これは今思うと初期のビートルズのライブ映像を見るとそんなイメージなのだが、それを念頭に置いての編集だったんだろうかなんて思ってしまうが、それはそれとして、演奏が素晴らしいのは言うまでもない。キャロルって演奏が上手いんだよなと改めて思う。アウトロのウッチャンのスライドギターもなんともいい。
ほかの楽曲も素晴らしい。個人的に「憎いあの娘」が好きで、イントロからカッコいい。ユウ岡崎さんのフィルでオレは鳥肌を立てるぐらい好きだった。今にして思うのは、2拍3連のタム回しなどはリンゴ・スターの影響もありそうだと感じたが、当時はオレはビートルズのことは別に好きじゃなくて、キャロルがビートルズのコピバンからスタートしたとか、革ジャンスタイルがハンブルク時代のビートルズのロッカーズスタイルを真似していたことも知らなかった。オレは本当に何にも知らない。。。
ドラムに関しては、このライブではパールのドラムセットでシングルヘッドタムを使っている点が当時もすごく気になっていた。音が個性的でとても好きだった。今では殆ど使われないが、当時はこのタイプは流行っていてわざわざ普通のタムの裏ヘッドを外して使ったりした。音がストレートでアタックが強いので迫力があるが、その分単調で飽きられてしまったが、時代は回るので再びブームが来るかもしれない。
キャロルは高校の時から20代までよく演奏したが、30代にオールディーズバンドがメインになってから演奏する機会がなくなって、いつかまるまるコピーしたバンドをやりたいとずっと思っていたが、結局いまだに機会がない。頭も薄くなってリーゼントもできなくなり、もう諦めるしかないか。。。

キャロル / ライブ・イン”リブ・ヤング”

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改めて「CREATION」を聴く

2023年10月27日 | オールドミュージック

10月27日(金) 本日のJOG&Walking=休む
さてさて、再びオレの大好き昭和の日本ロックのコーナーにまいります。今回改めて聴くのは「クリエイション」のアルバム『CREATION』(1975年)であります。ギター&ボーカルの竹田和夫さんが、1972年に「ブルース・クリエイション」を解散して、紆余曲折後に新バンドとして「クリエイション」を立ち上げてのファーストアルバム。メンバーは、竹田さんのほかに、飯島義昭(g)、松本 繁(b&Vo)、樋口晶之(d)の4名。このアルバムがブレイクして、クリエイションは海外で活躍する機会を得て、翌年76年にはフェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎えてセカンドアルバム『クリエイション with フェリックス・パパラルディ』を発表しヒットする。これにより海外進出する日本のロックバンドとしてのパイオニアと称されるようになった。
このアルバムで自分はドラマーとしてとても影響された意義あるアルバムとなりました。高3の時、地元の音楽仲間でこのアルバムが話題になって、何も知らなかったオレは町のレコード店に走った。そして、このアルバムジャケットを見て驚いた。少年達のおちんちんが並んで立ちションという”なんともはや”なジャケットですが、これが印象的で気に入った。まあ今なら児童福祉法とかでたぶんダメじゃないかな。

そしてレコードを聴いて、とにかくドラマー樋口昌之さんのツーバスが衝撃的で完全にハマりました。さらに、カーマイン・アピスに負けず劣らずのタ・チー・チーというハイハットプレイにしびれた高校生でした。YouTbeに上がっています。聴いてみてください。

Tobacco Road

何度もこのレコードを聴き、ハードなタッチのブルース・ロックを覚えた。その頃すっかりハマっていた「CAROL」のようなR&Rに比べてポップじゃないジャンルなのに、このアルバムでブルースの黒っぽさと渋さと熱さをいっぺんに教えてもらった、大人のレコードでした。
自分は、このアルバム以降の、『クリエイション with フェリックス・パパラルディ』(1976年)、3枚目の『PURE ELECTRIC SOUL』(1977年)、さらにダイレクトカット盤の『STUDIO LIVE』(1979年)、『朝日の国』(1980年)など、LPレコードが新しく出るたびに追いかけて買っていたが、例によって引っ越しする際に全部処分してしまった。もったいないことをした。。。

ライブにも行った。何年だったか忘れてしまったが、名古屋市公会堂でのワンマンライブには仲間と駆け付けたが、入り具合はそんなでもなくて名古屋のロック人気度の低さに少しがっかりしたことを覚えている。それよりもドラムの樋口さんは名古屋の出身で、ドラゴンズキャップをかぶって演奏していたことのほうが印象に残っている。(笑)

1982年にはバンド名を「クリエーション」に変え、メンバーも刷新。ボーカルに元ザ・カーナビーツの「アイ高野」さんを迎えて、アルバム『LONELY HEART』を発表する。シングル曲「ロンリー・ハート」がTVドラマのテーマ曲となって大ヒットするのだが、しかしこれを転機に音楽性がすっかりとポップになり、オレは憑き物が落ちたみたいにこのアルバムを聴いて以降ファンから離れてしまう。
アイ高野さんは、少年の頃からグループサウンズでアイドルになって以来、芸能界でもずっとスターだった。ロックスターとしては重鎮で、いろんな場所で大活躍された。ドラムも上手いし歌も上手いのでソロでもバッキングでも重宝されていた。残念ながら2006年に若くして亡くなられたが、オレも何度か会ったことがある。最初は80年代、ジョニー大倉さんのソロライブで高野さんはバックでドラムを叩いていた。豊橋公会堂でのコンサートでは、オレは裏方のバイトをしていて、ドラムに高野さんが座って叩くのを見て驚いた。二度目は、90年ぐらいのまだ景気のいい頃、豊橋のときわ通りの地下にある頃のバークレーにアイ高野さんがソロ・ライブで来られたことがあって、その時はバックでオレがドラムを叩いた。歌が上手くて声量もすごいなと思ったが、選曲に「好きさ・好きさ・好きさ」とともに「ロンリー・ハート」もあったのは言うまでもない。

オレ的にブルース・ロックバンドとして一番好きなクリエイションは、もちろん1stアルバム『CREATION』(1975年)だが、脂が乗っているという意味で3枚目の『PURE ELECTRIC SOUL』(1977年)をあげたい。このアルバムは曲・演奏ともに素晴らしい。米国での成功もあり、金をかけてオリビア・ニュートン・ジョンの女性バックコーラスなども参加していたりとアレンジが豪華で完成されている。特に竹田さんのボーカルが迫力満点で自信が溢れている感が今聴いても素晴らしいと思う。

ここでもおちんちん。。。

竹田さんは、現在米国ロスに住んでいるのだが、年に数回帰国して主に関東でライブ活動をしていて、個人名義とCREATION名義とのライブ活動でバリバリ現役です。なかなか関東まで行くことができないので残念だけど、元気な姿を見てみたいとは思う。残念ながら、ドラムの樋口さんは2017年に亡くなり、竹田さんは訃報を知って「晶之の突然の訃報に、茫然自失で時間だけがどんどん過ぎ去っていく」と当時ブログに書いていました。オレの好きなドラマーがどんどんいなくなっていきます。

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改めて「SATORI」を聴く

2023年10月17日 | オールドミュージック

10月17日(火) 本日のJOG&Walking=休む
オレの好きな昭和の日本ロックシリーズ。今回は「Flower Travelin’ Band( フラワー・トラベリン・バンド)」の『SATORI』(1971年)であります。
日本語で言うところの”悟り”というネーミングはとても奥深い印象があるし、海外向けに”SATORI”という表記の見た目も洒落ています。このアルバムはアメリカとカナダで発表されて話題になったという。
収録曲名は、以下のようになんじゃこれって感じですが、曲の内容は全然違っていて秀逸曲ぞろいです。
1 SATORI Part1
2 SATORI Part2
3 SATORI Part3
4 SATORI Part4
5 SATORI Part5
6 MAP
特に「SATORI Part2」は、カナダでシングルがヒットして、チャートインしたという。
もう、この曲を聴くと想い出は一気に高校生に戻ってしまうんです。あれは、高校1年の時の文化祭の日、校舎の中庭で先輩(デザイン科の3年生だったと思う)のバンドが、トリオでめっちゃイカした曲を演奏していて、これが「SATORI Part2」だった。先輩たちは白シャツに黒ズボンの制服姿で演奏していたけど、汗を流し長髪を振り乱してすごくロックしていてかっちょよかった。
ドラム好きだけどまだバンドをやっていないオレは、とにかくドラムにくぎ付けになった。そのドラムは、確かタム類を全部シングルヘッドにして、スティックをマレットに持ち替えて「SATORI Part2」を演奏していた。その時、オレは絶対にこの中庭で演奏したいと胸の内に誓った。それからオレは通販でパールのバレンシアという一番安いセット(5万5千円)を月賦で買った。ラワン材のベニヤで作ったようなチープなつくりでシンバルなどは一度叩いたら歪んで使い物にならなくなるようなやつだが、物がない時代だから高かったんだ。それでもオレは毎日家でドラムを叩いて隣近所に迷惑をかけ続けて、3年生の文化祭には同級生とバンドを組んで憧れの校舎中庭で演奏した。

さて、このフラワー・トラベリン・バンドは、内田裕也さんがプロディースして、ジョー山中(ボーカル)、石間秀樹(ギター)、上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、和田ジョージ(ドラムス)の4人編成で、1970年デビューしてアルバム『Anywhere』を発表した。71年にはこのアルバム『SATORI』で、英語の歌詞で歌い、メロディーには和旋律を使うという手法が海外で評判となったが、1973年2月、アルバム『Make Up』を発表後、解散してしまう。
その後、ジョー山中さんは知名度が上がり、映画「人間の証明」(1977年)に出演し、テーマ曲も歌ってヒットしたことは皆さんご存じ。
フラワー・トラベリン・バンド解散後、2007年に再結成して活動を再開する。翌年にはアルバム『We are here』を発表して、ライブ活動も精力的にこなすが、2011年ジョーさんはガンにより亡くなる。

オレが高校生の時に先輩の演奏に興奮し、海外でヒットした「SATORI Part2」はこちら。YouTubeでお聴きください。

石間さんの特殊なスライドギター的な奏法と、和田さんの和太鼓的なドラミング、そこにジョーさんのハイトーンボイスが国籍を超えて独特の世界を作っている。まさに世界的な楽曲だと思う。

2007年に再結成された野外ライブ映像もYouTubeに上がっていました。見つけて思わず感動しました。

ちなみにミニ情報。去年までオレも参加してライブ活動をしていたベンチャーズバンド「491(フォーナインエース)」のバンド名は、バンマスの山本さんが、かつてグループサウンドとして活躍した元4.9.1(フォー・ナイン・エース)がブームが去って解散した後、先方のバンマスへ「バンド名を下さい」と直談判して承諾してもらったものだそうです。そして、その元4.9.1のボーカルが「城アキラ」で、のちのジョー山中さんだったというわけです。

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改めて 四人囃子「一触即発」を聴く

2023年10月10日 | オールドミュージック

10月10日(火) 本日のJOG&Walking=休む
サテサテ、また懐かしのニッポン昭和ロックのコーナーとしましょう。今回は「四人囃子」のデビューアルバム『一触即発』(1974年6月発表)であります。

今回のCDは、これにボーナストラックとして75年に発表されたシングル曲「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」と「ブエンディア」の2曲を追加されたものを入手して、改めてじっくりと聴きました。

自分は、高校生の時にこのLPレコード盤(シングル曲の入っていないやつ)で、「ジャパニーズ・プログレッシブ・ロック」というものを初めて知ることになった。その後、高校を出てから独身寮に入って以来、殆ど聞くことはなかった。当時レコード派からカセット派に変わったんだけど、カセットもどこに行ってしまったかわからない。今にして思うと、たぶんプログレというジャンルが難しく感じて、ストレートな8ビートロックが好きなドラマーとしてさほど引き込まれなかったんだろう。それでも森園勝敏さんの凄腕ギターはやはり気になって、のちに参加される「プリズム」も聴いたし、前に紹介した「山内テツとグッドタイムロールバンド」のライブ盤でのプレイも好きだった。
そんなわけで、40数年聴いていないのだが、改めてこのアルバムを通して聴くうちにいろいろと思い出した。まずはレコードジャケットのナマケモノのイラスト。最初は「こんなんだったかな?」と思ったものの、CDを再生すると音と一緒にこのジャケットが甦ってくる気がした。そして演奏自体は難易度が高いが、森園さんの歌声と聞き取りやすい歌詞がとても耳に馴染んで好きだったことも思い出す。
まずアルバムの1曲目、インスト曲の [hΛmaebeθ]は、「なんじゃこの記号は?」って思ったはずだし今回も思ったが、これで「ハマベス」と読むのを今知った。当時は謎のままだったんだと思う(笑)。すごいテクニックの持ち主であるドラムの岡井大二さんは森園さんと高校の同級生で、四人囃子を組んだ時にはリーダーとしてだったことも今になって知った。オレは何も知らないままぼーっとして聴いていたんだ。。。
2曲目の「空と雲」で、そうだこれこれという感じで、当時歌詞と歌声が好きだなって思っていたことを思い出した。歌詞は末松康生さん作でした。
3曲目の「おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)」もそうで、曲を聴いて演奏も素晴らしいんだが、それ以上に歌と歌詞ががいいんだよなって改めて思い出す。長い曲で11分以上あり、後半からは盛り上がってドラムが唸りまくる。ぜひヘッドホンで聞いてほしいが、白熱した演奏でドラムの音が凄くいい。特にバスドラとタム。終盤のコンガはなんと頭脳警察の石塚俊明さんがゲストで叩いているそうだ。
4曲目の「一触即発」が始まるとまた違って、歌詞カードを見ないと聞き取り切れないところがあり、歌よりも演奏力の凄さが先に来るのだった。岡井さんのドラミングはより激しくより速く、オレの欲しい「変にエフェクトされていないスネアサウンド」で畳みかけてくれて、本当に大好きなんだが、高校生当時のオレにはここまで感じ取れなかったんだなと思う。途中ブレイクするところは、プログレというよりもディープ・パープルとか、当時沖縄で活躍していた「紫」を彷彿とさせる。
本当にレベルの高いこのアルバムが半世紀も前の作品だと、改めて聴いて信じられないぐらいの作品だ。

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改めて「BAND WAGON」を聴く

2023年10月04日 | オールドミュージック

10月4日(水)本日のJOG&Walking=雨で走れず
いやあよく降った。完全防備で朝の仕事に行ったんだけれど、一番ひどい時間が仕事と重なりまして、けっこうなザーザー降りでカッパ着ていてもしっかり濡れました。。。
まあよくあることですが、いちばん困るのは視界が悪いこと。バイクなのでゴーグルをかけてるんだけど、雨粒で前が見えん。暗いし怖いんだ。取ったら目に入って痛いし。まあ、何とか無事でしたが。

てなわけで、オレの懐かし昭和ニッポンロックに参りましょう。
今回はこちら。「はっぴいえんど」の天才ギタリスト、「鈴木 茂」のファーストアルバム、『BAND WAGON』(1975年)であります。

1972年末に「はっぴいえんど」が解散し、セッションバンド的な「キャラメル・ママ」のメンバーとなり、のちに「ティン・パン・アレー」としてスタジオミュージシャン的な活動をしていた鈴木茂さんは、74年の10月に単身渡米、サンフランシスコへ向かいます。そして超が付く豪華な現地プレイヤーとともに録音したのがオリジナルアルバムの『BAND WAGON』でした。
そのメンバーには、ドラムにはタワー・オブ・パワーの「デヴィッド・ガリバルディ」だったり、スライ&・ファミリー・ストーンの「グレッグ・エリコ」などオレでも知ってる名前を聞くと、ドラマー的には「ナ・ナント!」という驚きがあるのだが、本当は違うミュージシャンたちをオファーしていたはずなのに、手違いで集められずに急遽セッティングできたメンバーだったんだと言います。それが結果的にこのアルバムの良さにつながったのかもしれませんが、縁というか運というか、面白いもんだなと思う。
当時、23歳ぐらいだった鈴木さんは、ギターの天才少年と呼ばれてきていながらも悩みもあったんだろう。『ティン・パン・アレーを裏切って渡米した』ということを言っていたようだ。なんとなく重たい。それを知ってこのアルバムを聴くと、そんな重みが加わって一味違って味わえる気がする。
LPには9曲収録で、歌入り7曲のインスト2曲。歌詞は元同僚だった松本隆さんが書いています。なので、どうしてもはっぴいえんどの色を感じてしまう。
自分は、例によって独身寮にて先輩のレコードを借りてカセットに録音して聴いていましたが、当時の印象はまず曲がオシャレだなと感じたけれど、「鈴木さんの歌は線が細いけど、大瀧詠一みたい」、「歌詞がはっぴいえんど」という、どうしてもはっぴいえんどの延長を感じたかったように思う。演奏面では、単に上手としか感じてなかったなあ。
いま改めて聴いて、演奏はどの曲も素晴らしい。ラテンの風味やグルーヴの作り方がいかにも米国のファンク・バンド・ミュージシャンっぽくて、そこに鈴木さんのスライドギターが気持ちよく乗っかかってる。当時流行だったセカンドラインのリズムなどは時代の最先端でありつつ、懐かしくも古臭くない。オレはパーカスが好きなので、裏で弾むコンガの音にもすっかり魅了されてしまうんだけれど、若い頃はそこまで聴いていなかったなんてことを思い出した。

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改めて「SONGS」を聴く

2023年10月01日 | オールドミュージック

10月1日(日)本日のJOG&Walking=40分
今年もあっちゅう間に10月に入ってしまいました。ちっとも残暑が終わらずにTシャツ短パンでクーラーかけて過ごしてるのに、お節の早期注文だとかヤメテって感じなんだけどね。

サテ、オレの大好きな「昭和のニッポンロック」の時間であります。今日はこちら。「SUGER BABE」の『SONGS』(1975年)といきましょう。

今までの流れで言うと、久々に「はっぴいえんど」を聴き直したら、次々とはっぴいえんどファミリーを聴きたくなり、「細野晴臣」、「小坂忠」、「大瀧詠一」と聴き直してはブログに感想を述べてシリーズみたいになりましたが、そうなるとやっぱりなくちゃならないのは達郎さんですよね。73年にはっぴいえんど解散後、大瀧詠一がナイアガラレーベルを立ち上げて最初にプロデュースしたアルバムが、「シュガー・ベイブ」の『ソングス』であります。自分が最初にレコードを聴かせてもらったのは、やはり独身寮に入ったばかりの頃で、LPは11曲入りだった。当時は、先輩のLPをカセットに録音して車で聴いていましたが、今回は1994年に発表された、オリジナルの11曲に加えて7曲のボーナストラックが付いた全18曲入りのCDを聴く。ボーナストラックは、初期のデモテープ4曲とライブ音源3曲と、何とも贅沢。こちらは今回初めて聴いた。。。
メンバーは、山下達郎、大貫妙子のボーカルと、村松邦夫(G、Vo)、鰐川己久男(B、Vo)、のちのセンチメンタル・シティ・ロマンスで活躍するドラムの野口昭彦さんで、こちらが初期メンバー。

後期メンバーは、山下達郎、大貫妙子、村松邦夫は変わらず、ドラムに上原(ユカリ)裕さん、ベースが寺尾次郎さんに交代しています。
きっかけは、ロック喫茶に置いていた山下達郎の自主製作のレコードを聴いた大瀧さんが、興味をもって連絡をしてきたということのようだ。はじめは、その喫茶店で大貫妙子さんが歌を録音していて、そこで山下さんが大貫さんと知り合い、「シュガー・ベイブ」結成のきっかけとなったという。

レコードは、最初の曲「SHOW」で、華やかなイントロと達郎さんの伸びやかな声で一気に引き込まれる。いい曲だな、さすが演奏上手いなと思っていたけれど、のちに達郎さんはラジオで「僕らは当時演奏がヘタクソで」というようなことを言っていて、そう言われると下手なのかなと思っちゃうが、いやいや今聴いても抜群の出来だと思う。やっぱりプロなんで。
2曲目の「DOWN TOWN」は、まさに達郎節でのちにEPOがカバーして大ヒットするほどの名曲ですよね。皆ご存じで今さら何も言うこともない。自分も当時職場のバンドでカバーさせてもらっていたのを忘れない。ボーカルは一つ先輩のターサンだったな。
続く3曲目は大貫さんの「蜃気楼の町」、4曲目も大貫さんで「風の世界」。もう、彼女の透き通った歌声が流れると世界観がガラッと変わって、「あ~っ大貫さん~っ」って感じになる。何というか、彼女の歌の半音の変化が何とも切ない、深みを感じさせてくれて好きだ。レコードを聴いて歌声に恋をする、そんな感じだ。ちなみに、ドラムもここから野口さんから上原さんに代わって世界観が変わる要素となっている。

このままでと長文になりそうなので、今日はここまで。。。

追記
5曲目は唯一ギターの村松さんの曲で「ためいきばかり」。達郎さん大貫さんとまた少し色が違う曲で、初めて聴いたときには「え、この声誰だろう?」なんてきっと思っちゃう曲。
そして6曲目はまた大貫さんで「いつも通り」。好きです。ただの大貫ファンなので。彼女の歌声はオアシスだと思う。
続いて7曲目の「すてきなメロディー」で、初めて達郎、大貫のデュエット曲となる。ライナーノーツによると、「デュエットが必要というので作った」とあって、「そうなんかい」って気がしないでもないけど、作品としては手が込んでいてとても秀作だと思った。オレはとても好きです。ボーナストラックでこの曲のライブが聴けるが、アレンジをきっちり決めていて、そしてしっかりとこなれた素晴らしい演奏です。
8曲目の「今日はなんだか」は、やはり達郎節満載の曲。この曲もCDのラストでライブバージョンが聴けて、大儲けの感がある。ライブでは上原さんのドラムソロまで聴けて、ドラマーには嬉しいボーナスです。
ちなみにライブテイクは3曲で、日付は1976年3月荻窪ロフトとある。「すてきなメロディ」。「愛は幻」~「今日はなんだか」と続けてエンディングを迎える雰囲気がよくわかる。上原さんのドラムは情熱的で手数もぐっと増える。狭いライブハウスでの熱い演奏がたまらなくいい。

 

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改めて「TETSU&THE GOOD TIMES ROOL BAND / LIVE」を聴く

2023年09月27日 | オールドミュージック

9月27日(水)本日のJOG&Walking=40分
朝はやっと涼しくなった。朝の仕事でズボンのケツが汗でハートの形に濡れなくなった。。。だが昼間はやっぱり暑い。今日は30℃越えだ。

さてさて、最近はすっかりシリーズ化しちゃったオレの大好きな「昭和の日本のロックを改めて聴く」コーナーですが、今日はちょっとニッポンのロックでありつつ、英国の香りがする一枚です。
『TETSU&THE GOOD TIMES ROOL BAND / LIVE』であります。

1977年発表の山内テツ&グッド・タイムズ・ロール・バンドのライヴ・アルバム『ライヴ』なんでありますが、このレコードもその昔、名古屋の独身寮にいた頃に購入した覚えがあります。何度か引越ししたときにレコードを全部処分してしまって、これもCDで久々に聴けました。「英国の香りがする」と書いたのは、ご存じ山内テツさんは英国のフリーやフェイセズを渡り歩いたベーシストであり、フリー解散後に帰国して、選りすぐりのメンバーを率いてライブ録音を行った一枚だからなんでありますね。



メンバーはゲイリー・ピックフォード・ホプキンス(Vo)、森園勝敏(G/四人囃子)、上綱克彦(Key/柳ジョージ&レイニーウッド)、桑名晴子(Vo)。ドラムは当時まだ10代だった嶋田吉隆さんで、このアルバムがプロドラマーとしてのデビュー作だったようです。何と言うか、天才ばっかり。やっぱりすごいメンバーです。そして言いたい。このドラムの音、好きです。特にスネアのリムショットの音がいい。スコンと抜けるサウンド、たまりませんね、ごはん3杯ぐらいいけそうです(笑)。
実はまた白状します。とんでもないことですが、山内テツさんの経歴が前提にあって、ゲイリー・P・ホプキンスの歌声がロッド・スチュアートとかポール・ロジャースに近くて、実はこのボーカルはポール・ロジャースと長いこと勘違いしていました。いや、オレは昔はライナーノーツとかよく読まなかったんですかね。レコード買うとすぐにカセットに録音してそればかり聴いていたからかな。いったん思い込むと訂正するきっかけがないので何年もそのままになってしまう。いやお恥ずかしい。。。



録音されたのは、1976年11月金沢観光会館(歌劇座)。
アルバムを聴くとやはり英国の香りがします。最初の曲は「Ain't Too Proud To Beg」。カバー曲ですが、軽快なロックとゲイリーの歌声が英国風。続いてはテツさんの曲で、「 Travelling Man」こちらも軽快なロックンロールで、リフがかっこよくて好きだなあ。3曲目はバラードの「 If You Need Me」。後半ボーカルに桑名晴子さんがからんでいい感じに厚みが増してきます。当時特に好きだったのが4曲目の「634-5789」で、ウィルソン・ピケットの曲ですね。のちにオレ、当時の自分のバンドでレパートリーにしたぐらいでした。5曲目の「 I Know But You Don't Know」もテツさんの曲ですが、ここでギターの森園ワールドが繰り広げられる。これまで控え気味にしていたギターのボリュームをかなり上げています。かっちょいい。
そして、B面に入ってテツさんの曲「Wake Up」で、すっかりニッポンのバンドという雰囲気になります。桑名晴子さんが日本語で歌い上げます。『起きなさい 夢の中から そっと聞こえてくるんだ 今はいない おばあさんの声が 起きなさい 想い出の声』、なんか、泣ける。。。
てなわけで、やっぱり素晴らしい出来のライブアルバムです。

コメント
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