今月27日の日曜日、妻は二番目の娘に誘われて一緒に旅行に出かけた。
妻は娘との二人旅行は初めてで、それも海外旅行ということになった。
家の事情などでなかなか旅行する機会のない妻を娘が誘う形で実現した。
妻の海外旅行は、結婚20周年記念でハワイに旅行して以来になる。
今回の行き先はパリで滞在型旅行、日程は急ぎ足の5日間になった。
その間我が家は、ひげ爺と高齢なお婆ちゃんの二人が残ることになった。
妻が不在の期間、炊事や洗濯は主に私の役目になり ひげ爺は主夫となる。
ご飯の炊き方や お米の量とお米のとぎ方などは、事前に実践済みである。
おかずの調理も私がする事になるから、内容は適当な料理になる。
洗濯や掃除は気分と都合次第。昔の単身赴任の経験を思い出し役立てた。
今日で3日目、一通りのパターンはこなせたが何故か落ち着かない。
母である高齢なお婆ちゃんが、突発的出没や言動が調子を狂わせるのだ。
また、こんな時に限って予定にない用事がいろいろと入ってくるものだ。
近所のおつきあい、電話に郵便、ゴミ出し、来客や集金などの雑用だ。
妻がいれば何のことはない。すべて任せておけば済むことなのだ。
家事というものは、炊事や洗濯や掃除だけではないことが良~く判った。
明後日帰ってくる。どちらも無事に終了が 何よりの話題になる事だろう。
「今パリの二人は、フランス料理のデイナーかな」と、ひげ爺の独り言。
こちらは お茶漬けという日本料理でも食べようか、それとも・・・・。
今年の彼岸の入りは20日の日曜日、シルバーウイーク5連休に重なる。
我が家では兄弟が集まり、秋彼岸のお墓参りを20日の日曜日に行った。
毎年のことだが、94歳のお婆ちゃんを中心に親子兄弟の全員が集まる。
団子とお花をもって近くのお寺に行き、お線香をあげお墓まいりをする。
その後、家にもどり一杯飲みながら歓談と簡単な昼の食事をする。
そこでは毎年「けんちん汁」を造るが、里芋は欠かせない食材になる。
ひげ爺野菜菜畑に、「土垂れ芋」と「八つ頭芋」の 2種を栽培している。
水分を欲しがる芋だから、暑い時期に計2回の水やりをやって育てた。
けんちん汁には、ねっとり感のある土垂れ芋の方が好まれるようだ。
そこで前日の19日に、育成中のの土垂れ芋を2株ほど初採りしてみた。
時期的にまだ少し早いため、芋の形は小さいものの数量は十分にあった。
掘った芋は早速洗って干して水を切り、食材として台所に持ち込んだ。
「けんちん」は、鎌倉の建長寺の「けんちょう」が由来と言われている。
我が家のけんちん汁は、醤油をベースに味噌を加えた 合わせ味になる。
具材は芋に加え、ゴボウ 大根 ネギ 人参 椎茸コンニャク 豆腐 竹輪など。
でも、最大の具材は里芋ということになり、その代替えは許されない。
「けんちん汁」は吸い物でも、豚汁や芋煮のような鍋に近い物と言える。
食材も身近にあり、これからの季節に欠かせない「我が家の汁」になる。
「芋類は苦手だが、けんちん汁だけは大好きだ」と、ひげ爺の独り言。
ゴボウと里芋の染み込んだ深みある味は、誰にでも親しめるものだろう。
今回の秘湯巡りの出湯温泉訪問は、新潟競馬場から近いことで実現した。
今年に限っての事らしいが、新潟で秋まで中央競馬を開催しているのだ。
競馬の実地研修と高速の特別料金を組み合わせて、番外の企画を考えた。
競馬で当てれば、飲み代どころか旅費もまかなえる、という算段で・・。
宿泊は「出湯」という温泉。いかにも当たり前の名が地名になっている。
競馬場から40分程のところ、その割には知られていない秘湯である。
この日の越後平野は、稔りを迎えた新潟コシヒカリが穂先をたれていた。
平野部から五頭山の丘陵地の山麓に入ったところに、出湯温泉がある。
その密やかな温泉の宿で、秘湯を守る会の会員旅館「清廣館」を訪ねた。
建物は昭和初期の木造建築で、丁寧な造りはシックな趣をもっている。
お風呂はやや小さいものの 、泉質はツルツル感のある無色で透明なもの。
出た料理が多種で多すぎる感じ。土地の物を活用した献立に特徴がある。
全体に野趣味はなく秘湯とは言い難いが、親切なもてなしを受けた。
出湯の中心に曹洞宗の寺があり、弘法大師開湯の協同温泉風呂があった。
秘湯を守る会は、三年間で10回会員宿に泊まると、1泊の招待がある。
ひげ爺のスタンプ帳は、この10月がちょうど3年目で10軒目になる。
そこで、仲間が私のために臨時の旅行におつき合いしてくれたという事。
高速道路料は土日の特割り、競馬で儲けて、その上に1泊の招待がある。
「得がいっぱい、損のない旅の予定だったが・・」と、ひげ爺の独り言。
競馬では誰も儲けはなし、宿泊招待を除けば全員が損する旅で終わった。
日中の長さがだんだん短くなって、夏が終わりを告げ秋が本格化してきた。
暑い夏は畑仕事も大変で、汗をかきながらカロリーを消化てききたようだ。
そのお陰もあって、持病の一つの糖尿は何とか範囲内で納まっている。
お盆を前後して、ビールに菓子や梨やスイカなど甘い物を食べ過ぎていた。
それでも血液検査すると、糖尿の数値が許容範囲内であることに安心した。
ところが8月下旬頃から腰の調子が悪く、不用意に動かすと痛みがでる。
私の腰の痛みは持病で、大騒ぎするほどの不安は感じないが、でも心配だ。
一昨年のお正月には、突然に歩くことさえ出来ない腰痛に見舞われている。
慶友病院で診察や検査のうえで、ブロック注射で痛みを抑える処置をした。
3ヶ月の手当で痛みはほぼ解消したものの、腰の麻痺感が強くなっている。
なたひげ爺は10年前頸椎症の手術経験があり、脊椎関係知識が少しある。
今夏 家庭菜園の畑仕事や雑草取り、お盆や会合などでの長時間の座り姿勢
や冷房など、大事にしているつもりの腰に負担がかかっていたようだ。
新米の米袋の移動など重い物が時に悪いようで、このところ痛みがきつい。
座り姿勢から立ち上がる時に、腰に激しい痛みが走り動けないことがある。
そこで中腰からゆっくり腰を伸ばす準備と確認の運動が必要になっている。
でも、経験からの感情的判断で、直ぐに病院に行くつもりになれない。
「腰の痛みを考え、どうしようかと思うと頭が痛い」と、ひげ爺の独り言。
頭 腰 「あたまごし」ではなく、暫く大事に体の状態を見てから考えよう!。
ひげ爺の住むところは、関東平野のど真ん中で利根川沿いの肥沃な土地。
土地は真っ平らで周りは田圃と畑だけ、とりわけ稲作が盛んな米どころ。
そこでとれる「北川辺産コシヒカリ」は、美味しいお米と評判が高い。
先月下旬から、周りの田圃は黄金色に色づいて 稲穂は頭を垂れはじめた。
稔りの早い田んぼでは、8月末からはコシヒカリの稲刈りがはじまった。
その後の天候は不順だったが、天候の合間に本格化し収穫は進んでいる。
朝露が切れる9時過ぎから、田圃で大型コンバインが働きまわっている。
それは、稲を刈って機械に取り込み、稲穂から籾を脱穀するまでが仕事。
つぎは籾を家に運び、乾燥機に移し重油を燃やして数時間乾燥させる。
そして、15㌫に指定乾燥した後に 粗籾から籾殻を剥きとるのが籾摺機。
連動したグライダーで、米粒を選別して 屑米を取り除いたら玄米になる。
出来上がった玄米が出荷され、一般的に「お米」であり「新米」になる。
しかし、この米にも収穫の多少と、品質の善し悪しや食味の相違がある。
今年は天候不順や豪雨があり、全国的には豊作とは云えないようだ。
ひげ爺の住む地域は、夏の夜の気温が抑えられたので良質で豊作らしい。
我が家にも8月31日「新米」が届き、早速精米して翌朝にいただいた。
米づくりの苦労に感謝しながら、新米の香りとひかりと味覚を味わった。
「新米にはサンマとマツタケが定番だったのだが」と、ひげ爺の独り言。
昔に比べ収穫が早くなったので、マツタケとは時期が合わなくなった。
衆議院解散による総選挙が、暑さ厳しい中、30日の投票により終了した。
その結果は 自民党の歴史的な大敗、民主党の圧倒的な大勝利となった。
議員定数480のうち、民主党が過半の308議席を獲得し政権交代する。
前回の郵政選挙の裏返し要素で、結果は極端な振り子現象的作用を示した。
自民党候補では、組織の中心だった役員や閣僚経験者が相次いで落選した。
自民党大敗は、永年続いた統治システムや組織の制度疲労を意味している。
国民は、自民党政権を見切り 民主党による国政全般の変革に期待した。
選挙結果の大勢判明をうけた31日朝刊各紙の一面報道は
読 売 民主300議席超 政権交代 自民歴史的惨敗 鳩山首相選出へ
朝 日 民主308 政権交代 鳩山首相誕生へ 自民119 歴史的惨敗
毎 日 民主300超 政権奪取 初の本格的政権交代 鳩山首相誕生へ
産 経 民主圧勝 自民惨敗 歴史が転換した日 「鳩山首相」恍惚と不安
日 経 民主300超 政権交代 鳩山内閣来月中旬に 自民惨敗半数以下
絶対多数の支持を得た民主党には、国政運営の責任が国民から付託される。
民主党の政権には、新たな体制と機能による政権運営の改革が期待される。
全てを早急に成就させることではなく、誠実で堅実に実行する事だろう。
自民党には、非政権政党への体制切り換えと、健全さや品位が求められる。
それにしても、自民党の制度疲労的高齢議員には厳しい判審が下された。
「俺65歳、そろそろ制度疲労の落選組年齢だが・」と、ひげ爺の独り言。
しかし、家族も地域も、菜園も愛犬も、まだ私を賞味期限内に置いている。