ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

お歳暮代わりに自家野菜

2016-12-27 09:28:54 | 家庭菜園・庭・花 
冬至とクリスマスを過ぎたら、何とはなしに 年の瀬を感じて 忙しくなってきた。
今年が6度目の「年男」だったひげ爺、・・・と言うことは歳もとったものである。
今年を振り返ると、世界では リオのオリンピックは良しとして 米国大統領選
とEU離脱英国国民投票は予想外で、あちこちで起きるテロと難民は異常だ。
国際的には新元素「ニホニウム」発見と大隅教授のノーベル賞、国内では伊
勢志摩サミット・参議院選・都知事選、熊本地震に陛下のご意向等があった。

ひげ爺の年末「高齢」行事は、自家生産野菜を兄弟宅5軒にお届けすること。
年金耐乏生活者だから、出費のない自家野菜をお歳暮代わりに使っている。
今年は 先ず冬野菜の主役「白菜」、8月下旬に種まきして育てた幼苗を9月
中旬に畑の高畝に定植、以降は施肥と虫除けに苦労しながら作り上げた物。
次に「八ッ頭芋」、毎年栽培して一年前に収穫したものから残しておいた種芋
を4月初旬に植え付けし、土掛けや水やりをして 11月から収穫に到った物。 
そして大根の「耐病総太り」、夏の終わった9月初めに細かく耕した畑に高畝
を作り、12cmの等間隔に種を播いて11月中旬から収穫をはじめた物。

今年の夏は雷も含めて雨が多かったため、野菜の栽培に異常が起きている。
スーパーで見ると、キュウリ等の「成り物」と白菜やレタス等の「株物」が異常
な高値で、そんな野菜は 少量に小分けして 買いやすいように販売している。
我が家は比較的順調だったが、長ネギだけは不作で差し上げるほどにない。
『その代わりに、夏ミカンと「フキノトウ」を持って行こう 』 と、ひげ爺の独り言。
株式市場では株価が上がり、野菜市場では株もの野菜が値上がりしている。
*来る年は明治150年、皆さま どうぞ良いお年をお迎えください。
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渡良瀬遊水地 なう 〔冬風〕

2016-12-20 09:16:41 | 地域活動・つながり
12月も半ばの17日、今年一番の冷え込む朝 と云うなかで遊水地を訪ねた。
道の駅「遊学館」から見る冬の遊水地は、北西からのやや強い風が吹き抜け
る状態、ハート湖の水面には白波が立ち岸辺の木々は枝を横に振っていた。
下宮橋の駐車場から 湖畔に出て西橋に向かうと、満水状態のそこは訪れる
人も少なく、バードウォッチングの一団と ランニングの人が数人という 寂しさ。
風の弱い水面を探すように、「カイツブリ」二羽が エサ摂りの潜りをしていた。

中の島に向かうと、島の木を風除けにして南ブロックの一角に冬鳥の群れが
二ついたが、マガモとカルガモの小集団で その数は300羽ほどしかいない。
島にある 大きなシダレヤナギは、寒風に吹かれて枝を横に吹き流している。
中の島の「野鳥観察台」にも訪ねる人はなく、北ブロック湖の水面にも冬鳥は
見られず、浮島の奥に シラサギが数羽とカモの小集団が見える程度だった。
上空にも鳥の姿は見えず、何羽かのカワウが飛ぶほかは カラスだけだった。
そんな上空は澄み切っていて、北から西方向には日光連山や赤城山や上越
の山々が 冠雪した峰を輝かせ、南西には 遠く富士山までが望めた。

車に戻り、北エントランスからヨシ原を越えて渡良瀬川にかかる新赤麻橋へ。  
そこにも 期待の冬鳥は見当たらず、時おり見えるのはムクドリとヒヨドリだけ。
今日は寒いうえに強風で、冬ドリたちも寝ぐら入りしているものと あきらめた。
天ぷら定食の昼を食べて帰り、夕食のけんちん汁用に 大根と里芋を採った。
『遊水地に冬ドリは少ないが、菜園には 冬ドリ野菜がいっぱい 』 と、独り言。
ひげ爺菜園には、白菜 大根 長ネギ 里芋 小松菜 春菊 水菜 ほうれん草・・・。
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四国八十八ヶ所巡拝 Ⅰ-下

2016-12-13 09:13:38 | 旅行・秘湯・巡礼 
進む道筋には お遍路の案内表示が多いが、名物讃岐うどんの お店も多い。
そんな道を 77番から南に15分進むと、善通寺市の76番「金倉寺」 に到着。
地名が金蔵で 寺名が金倉、どちらも裕福らしいと思ったら 駐車場が有料だ。
次に街中を10分ほど走ると「善通寺」、そこは 弘法大師がお生まれになった
所で、豪族だった父「佐伯善通」の荘田を受継いで大師が建立した大寺院だ。
真言宗善通寺派の総本山で、高野山や京都東寺とともに三大霊跡とされる。

そして 同市内にある74番「甲山寺」へ、そこは 甲山を背景にした清浄な寺。
西へ8分で「出釈迦寺」、坂道を上ると 青銅製の修行大師像が迎えてくれた。
少し戻った所に「曼荼羅寺」 があり、大きくはないが 暖かみのある寺だった。
讃岐の風物「ため池」を 幾つも見ながら 西方向に30分、三豊市域 に入ると
71番の「弥谷寺」で、長く急な階段(262と108)があるのだが有料マイクロ
で途中まで上がり、歩むと岩山に取り込まれたように本堂が建てられていた。
そして 南に20分ほど走って、今回最後の霊場 第70番「本山寺」での参拝。
本尊は珍しい馬頭観音で、五重の塔は修復するため覆いが掛けられていた。

夕闇の迫る国道を高松に戻り、レンタカーを返却して電車に乗り換え岡山へ。
駅至近のホテルに遅いチェックイン、慣れたところなので早速街に出て夕食。
翌日は朝のラジオ体操をして出発、歩いて「後楽園」に行き帰りは路面電車。
その後は倉敷の美観地区を散策して昼を摂って、岡山駅から帰路に着いた。
『昔 添乗で行った所も多い、でも それなりに 様変わりしていた 』 と、独り言。
屋島寺や善通寺も変わったが、岡山の林原が イオンモールだったのに驚く。
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四国八十八ヶ所巡拝 Ⅰ-中

2016-12-09 09:06:23 | 旅行・秘湯・巡礼 
香川県の古い国名は讃岐、・・となれば 名物の讃岐うどんを 食べたくもなる。
そこで、高松市街から離れているが 由緒ある「本陣山田家」での昼を摂った。
建物重厚な 雰囲気ある有名店、でも 注文は最も安価な「ぶっかけうどん」だ。
美味しくただいた後は、源平合戦で那須与一が馬をたてた「駒立て石」 に立
ち寄ってから ドライブウエイを上り、山上にある84番の「屋島寺」を訪ねた。
山を下り 高松市街を越えると30分、閑静な住宅地にある 「一宮寺」を参拝。

続いて 北西方向にある山「五色台」に向かい、瀬戸内海を 左眼下に眺めな
がら坂道を上ってゆくと、45分ほどの山の中に 82番札所「根香寺」がある。
紅葉の残る境内は、長い石段と調和した堂宇が良い雰囲気を漂わせていた。
車で山道をさらに進むと、崇徳上皇の御廟所を持つ 81番「白峯寺」がある。
そして 五色台を反対南方面下ると、天平の時代に 讃岐の国分寺として建て
られた「國分寺」で、ここの参拝で一区切りとして高松市内のホテルに戻った。
翌日、高松から1時間ほど西に向かい坂出市に入って10分進むと白峯宮の
鳥居を挟んで79番「天皇寺」であり、悲運の崇徳上皇の御鎮座所だった所。

坂出市内を20分ほど西に走り抜けると、宇多津町の高台に「郷照寺」があり、
境内から瀬戸大橋がまじかみ見えるとともに、裏手には美しい庭園もあった。
石垣が見事な丸亀城を眺めて多度津町に入ると、第77番「道隆寺」がある。
本尊は腹籠り薬師と呼ばれ、「眼なおし薬師」として眼病祈願の信仰が篤い。
『少々土地勘のある私、運転も苦労せず体も疲れない』 と、ひげ爺の独り言。
しかし 全行程1400kmを歩き通した親しい友人に、何と言えば良いだろう?。
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四国八十八ヶ所巡拝 Ⅰ-上

2016-12-06 08:40:42 | 旅行・秘湯・巡礼 
西国・坂東に秩父での百観音を結願し、四国八十八ヶ所巡りを予定していた。
しかし 昨年夏から母の容態が悪化、11月の葬儀の後も法事などが続いた。
そのうえ妻の体調も崩れ、病院通いに専念するため四国巡礼は諦めていた。
母の一周忌も済ませたので、妻の気分転換と病気平癒に父や母の供養と先
祖代々一切精霊の回向も含めて、四国八十八ヶ所巡りを 始めることにした。
閏年の今年は 逆順が良いと云うので、香川県から 「逆打ち」することにした。

初日はJRで高松まで行き、高松城と栗林公園を観て 高松のホテルに宿泊。
翌日は 朝からレンタカーで、東方向に続き南に1時間走りさぬき市の山間に
ある88番札所「大窪寺」へ、岩山を背にした結願寺にふさわしい雰囲気を持
った寺で、主目的のほかに 巡礼の無事を祈り 納経帳や備品を買い求めた。
次は道を戻るかたちで北方向に25分、同市長尾の街中にある 「長尾寺」
訪ねた、そこは聖観音菩薩を本尊とし「静御前」が剃髪得度したと伝わる寺。
そして北に20分程走って、海辺の港町で 「平賀源内」 の出身地でもある 志
度町に入り、地名にもなっている 86番札所「志度寺」を参拝した。

次は西に30分走り、剣を突き上げたような 五剣山の中腹にある 「八栗寺」。
登山道もあるが、時間と労力を惜しみケーブルカーを使っての参拝となった。
『ところで栗林公園と言うのに、栗の木が一本もない!』 と、ひげ爺の独り言。
高松の地に松平氏が造った大名庭園だから、松に縁があるのは当然と思う。
しかし造園の当初に、殿様が 「しばし待つが良かろう」 と言ったものを、配下
が「松が良い」 と聞き違えて 松ばかり植えたという、、が、 この話を信じる?
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