ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

我が家の『年の瀬』いろいろ

2013-12-31 11:41:12 | 食楽・年金ライフ 
今年もいよいよ押し迫ってきて、一年の最後の日「大みそか」を迎えている。
年の瀬の寒々しくなった我が家の庭では、夏ミカンが陽の光に輝いている。
冬の空には 渡り鳥が飛びかい、世間には シャッキントリが飛び回っていた。
渡り鳥ではないが ハトリという者が、ボチボチと歩みながら「古希」を迎える。
古希を迎えるひげ爺には、ちまたの「年の瀬」と云う言葉が異質に聞こえる。
どうしても「としのせい」と聞こえ、忙しいのは「齢のせい」だと聞こえるのだ。
歯が痛くても腰が痛くても、医師は「としのせい」だと説明して診察を終わる。

天皇誕生日が年の瀬の23日、この日に陛下は八十歳を迎え傘寿を祝った。
そんな中で親父の十三回忌法要を、事情があって同じ日の23日に行った。
お坊さんの都合だったが、結果的に祥月命日の法要という最良日になった。
自宅で読経法要を行い、お墓まいりをして料理屋で清めの食事会となった。
親と云えば、ひげ爺の母は施設で暮らしながらも春には九十九歳を迎える。
百の字から一ひくと白の字になり、長寿祝いは99歳の白寿が習わしと言う。
孫や曾孫にも集まってもらい、春休み中に「白寿」のお祝いを予定している。

年の瀬にはお歳暮の慣習があり、年々簡略化しているものの欠かせない。
我が家では、親しい家に対して 自家作の野菜を お歳暮がわりにしている。
私と妻の兄弟宅は5軒、27日に白菜などの冬野菜を お届けしてまわった。
99歳を白寿で祝うなら、白菜は「九十九菜」で めでたい野菜と云えそうだ。
それにしても、年や歳を数えるのに満年齢と数え年とがあってややっこしい。
『周年・傘寿などは満年齢で、回忌・厄年は数え年だ』 と、ひげ爺の独り言。
明治に満年齢が公式になったが、古い風習的ものは数え年で残ったらしい。

 一年間有難うございました。 新しい年が輝かしい年でありますように・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽生PAに鬼平の街が出現

2013-12-24 08:39:05 | 社会・経済・国際 
一日前の新聞に、東北道の上り羽生パーキングに 池波正太郎の小説 「鬼平
犯科帳」をテーマとした商業施設の 19日オープンが報道されていた。
東日本高速道路がオフィス池波とコラボして、江戸の街並みを再現したと・・。
10億円を投じて、江戸の世界観を「鬼平江戸処」として 表現したものと言う。
私は鬼平犯科帳の大ファンで、13年前と4年前の2度ほど全巻を読んでいる。
その舞台となった街を再現し、平蔵が好んだ軍鶏鍋屋の「五鉄」もあるという。
鬼平には親しみがあり 羽生は隣町でもあるので、翌20日訪ねることにした。

・・とは言え、場所がパーキングエリアだから高速道を走らなければいけない。
自宅から車を西に向け、群馬県に入って館林インターから東北高速に乗った。
5~6分走って利根川を越え埼玉県に入ると、間もなく羽生の表示が現れる。
左に進入路を進むと、拡張され真新しくなった 羽生パーキングエリアに入る。
広さからの雰囲気は、パーキングと言うよりサービスエリアに近い感じがする。
そして正面に、古い街並みを模した「鬼平江戸処」の建物が つらなっている。
平日の午前中の小雨が降るなかでも、車の数が少ない割には賑わっていた。

施設の内に入ると、通路を挟んで店が並ぶこじんまりした空間は江戸感覚だ。
「船橋屋」で くず餅を求めて一休み、飲み物は何故か 甘酒でなく珈琲にした。
江戸の老舗が出店しているほか、地元産品も売っていて雰囲気は良かった。
駐車場も広くなったし、施設で楽しく過ごせるから 立寄り客は増える事だろう。
すると、江戸双紙の「金兵衛長屋」「今津屋」が どこかに出来るかも知れない。
『昼飯には早すぎて、軍鶏鍋を食べるというわけには・・』 と、ひげ爺の独り言。
面積が限られる商業施設だけに弥勒寺はない、しかし 立ち寄ったらエ~ド~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の渡良瀬遊水地 NOW

2013-12-17 08:20:50 | 食楽・年金ライフ 
今年第1号の寒波がやってきて、日本列島に本格的冬の季節がやってきた。
庭師の手入れが終わった庭木は冬模様になり、柚子の実が目立っている。
そんな週末の14日、北風が弱いことを確認して渡良瀬遊水地に足を運んだ。
防寒対策して、双眼鏡と望遠鏡に26倍ズームのカメラに三脚を持って・・・。
下宮橋駐車場に車を停め、ハート湖畔に足を進めたが冬鳥の姿が見えない。
この数年の間、飛来してくる冬鳥の数が 少しづつ減っている事が気になる。
お隣群馬 館林の多々良沼でも、白鳥飛来が遅れた上に数が少ないと云う。

中之島への歩道からはカラスが多く見え、ほかにはガンカモ類が少しだけ。
期待して野鳥観察台に着いたら、そこでも冬鳥の数は100羽くらいだった。
ガンカモだけで、遠方から探鳥に来たと言う 写真愛好家は残念がっていた。
史跡ゾーンに向かう途中で、水面にカイツブリを見たが写真に撮れなかった。
最後に屋敷林の猛禽類を期待したが、遠目の木に鳥の姿は見当たらない。
あきらめて、子供広場裏から北水門と想い出橋を経由して下宮橋に戻った。

間もなく遊水地の谷中湖(ハート湖)は、飲料水としての水質を維持するため
に湖水を吐き出し、湖底を陽に当てる「干し上げ」の時期を迎える。
今年のその期間、本来渡ってくる冬鳥が本来の数だけ来ないかも知れない。
餌をあげれば集まってくるのだろうが、ラムサール条約では禁止されている。
いや 餌や飛来地などの条件ではなく、渡り鳥そのものが減っているらしい。
『ラムサールに登録されたら 渡り鳥が減ったでは・・・』 と、ひげ爺の独り言。
シベリヤや北日本の山岳部に、気温や食糧などで異変が起きているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから40年 中高年の旅

2013-12-10 08:24:22 | 旅行・秘湯・巡礼 
東北道を北に向かって進むと、陽射しが消えて どんよりした曇空になってきた。
27人乗りのガイド付き貸し切りバスに、10名の中高年の男だけが乗っている。
約40年前に発足した 近所仲間の親睦会、その会が毎年行う1泊旅行である。
福島飯坂から国道を進むと、高速道の新設工事が進む栗子峠では雪になった。
米沢で上杉神社参拝と米沢牛の昼食、午後は南陽市の宮内熊野大社を参拝。
日本三熊野に数えられ、豪壮な茅葺屋根の本殿には 燈明提灯が灯っていた。
神職さんの案内で社殿を一周し、バスに戻って雪の中を上山温泉の「古窯」へ。

宴会疲れでぐっすり寝た翌朝、天候は回復して山々は綺麗な雪景色を見せた。
高速道の笹谷トンネル部分は、一般国道として併用されている珍しい区間だ。
峠を越えると雪景色だんだん消えて、東北道を通り 仙台南部道路から塩釜へ。
そこの「塩釜仲卸市場」では、海産物の買い物に 時間が足りないくらいだった。
バスのボディに買った物を積んで、仙台北部道からヒルサイドのアウトレッドに。
園内の牛たん専門店で昼食をとったが、年齢を考えると品数が多過ぎたようだ。

お腹いっぱい状態での観光は、仙臺総鎮守と云う大崎八幡宮の参拝になった。
坂上田村麻呂の祈願に基づく社で、伊達政宗公によってこの地に鎮座された。
本殿は桧皮ぶき権現造りで、彫刻や色彩が素晴らしく 国宝に指定されている。
仙台からの帰り車中は、坂上田村麻呂ならぬ綾小路きみまろのビデオ鑑賞に。
『あれから40年、会員には物故者や退会者も出始めて 』 と、ひげ爺の独り言。
歳かさが増して 薬の数やトイレ回数が増し、使う金と飲む酒の量は減ってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西国観音霊場巡り第五回-Ⅱ

2013-12-03 08:25:05 | 旅行・秘湯・巡礼 
お腹を満たして 宝塚から高速へ、途中で小雨が降ってきたが三田からは快晴。
山に向かい15分で番外札所「花山院」、境内の紅葉と展望がすばらしかった。
そこは花山法皇が出家して隠棲した寺で、大きくはないが風格さえ感じさせる。
納経朱印を済ませ今回の巡礼は完了。別の思いで高野山参拝を予定していた。
中国道を神戸JCTから吹田へ、松原・河内長野・橋本と進み高野山に向かう。
一度休息し 宿坊「一乗院」に5時過ぎに到着すると、早速夕食の時間になった。
季節感ある精進料理を頂戴したが、お部屋もお風呂も応接も 清潔で清々しい。

翌朝 目覚めると暗いなかに雪明りがあり、屋根や庭は粉雪で薄化粧している。
そんな寒い早朝の6時から「お勤め」に参加、先祖代々の供養もさせてもらった。
一時間後の朝食は暖かい吸物と湯豆腐鍋で、体も気持ちも温まる思いがした。
そして8時過ぎに坊を出て、足跡一つない雪を踏んで大本山金剛峯寺を参拝。
観音霊場巡りの番外として納経して、納経帳と掛け軸にご朱印をいただいた。
一旦 宿坊一乗院に戻り、出発のご挨拶をして車に乗り込み奥の院に向かった。

中の橋駐車場に車を止め、杉の老木と大名などの墓碑群の中を歩き奥の院へ。
弘法大師が入定し、今も人々を救い続けているという 大師信仰の聖地である。
知っている範囲で女房にも説明し、冷気に身を引き締めながら参拝を終わった。
帰り道での昼食は、河内長野市のレストランで運よく「たこ焼き」も食べられた。
途中で氷に降られたが、予定通り新大阪駅で車を返して新幹線の客になった。
『偽装に揺れる関西だが、今回の食材にそれはないはず』と、ひげ爺の独り言。
ホテルは超緊張し 宿坊は精進料理だから、偽装食材を使うわけがないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西国観音霊場巡り第五回-Ⅰ

2013-12-02 08:23:39 | 旅行・秘湯・巡礼 
新幹線車中で昼食を済ませ、米原から彦根駅に行きレンタカーで12時に出発。
ルートはカーナビに任せて、城の堀端をまわって国道8号線に出て西に向かう。
ところが観音寺山の林道途中で「崖崩れ」看板、案内書に従って元の道を戻る。
約30分の無駄をして別の林道を上ると、札所に近い所まで上ることが出来た。
お蔭様で 歩くと20分の石段を上る苦労もなく、32番札所 「観音正寺」に到着。
駐車場から横道を6~7分歩くと境内で、最近焼失して再建された本堂がある。

観音寺山を下り、近江八幡市の琵琶湖近くにある西国31番札所「長命寺」へ。
本来は800段の石段を上る難所も、レンタカーの威力で本堂の下まで進めた。
石段の最上部だけを上ると、入母屋造り本堂があり 三重塔や鐘楼などがある。
長命祈願と納経をして車に戻り、湖畔から八幡市街で家並みと掘割りを見学。
竜王インターから名神高速道に入り、大津で休息して吹田(すいた)に進んだ。
そこから渋滞、中之島のホテルに7時前に到着し一夜のホテルライフを過ごす。

翌朝「朝ドラ」を見て出発、千里を経由して箕面の西国23番札所「勝尾寺」へ。
勝運信仰や勝ダルマ奉納で有名な寺は、モミジが見事に色づき秋本番だった。
そして車で10分ほどの「箕面滝」へ下る、そこは紅葉狩りの人で賑わっていた。
さらに下り 池田―宝塚間は高速を使い、西国24番札所「中山寺」を参拝した。
山門から本堂に進むとエスカレーターがあり、七五三の子供連で賑わっていた。
納経後に門前の街をぶらついて、誘われるように「お好み焼き」の昼食になった。
『吹田を何度か通過、道が混んでいても「空いた」とは・・?』 とひげ爺の独り言。
名神高速 中国道 近畿道が交わるところで、地名どおり「すいた」とは言えまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする