ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

まちづくりの会が提言書

2013-02-26 10:39:14 | 地域活動・つながり
加須市の北川辺地域には、地域を考える活動組織「地域まちづくりの会」がある。
合併前の「北川辺まちづくり協議会」が、合併の後も衣替えをして継続している。
その目的は、地域における課題や問題点を発掘 協議 整理し、まちづくりに対す
る提案や要望として市長などに提言し、協働のまちづくりに参画するとしている。
私は協議会以来のメンバーで、見識のある仲間を頼りに意見交換を続けてきた。
年度ごとテーマを決め、毎月1回の定例会議を第三週の木曜日に開催してきた。
今年度は「渡良瀬遊水地の魅力と活用」をテーマとして、具体的課題を協議した。

渡良瀬遊水地は、足尾鉱毒事件の解決のために谷中村を廃村して造成された。
現在は治水と利水の機能を持ち、広大なヨシ原と谷中湖は自然の宝庫でもある。
湿地と周辺には貴重な動植物が生息、昨年7月 ラムサール条約に登録された。
まちづくりの会は、日頃親しんでいる遊水地を視察するなどして問題点や課題を
発掘し討議し整理し、さらには魅力と活用について検討して提言書にまとめた。
提言書では、「着地型観光の企画開発」 「拠点施設の機能充実」 「人材育成と
組織づくり」 「関係機関や団体との連携強化」の4項目の必要性を掲げている。

過日市長を訪ね、提言書を直接提出するとともに議会や関係箇所にも提出した。
また、加須市が認定する地域活動団体のパネル展示会にも参加し広く公表した。
くしくも、今年度がラムサール条約の登録で来年度が田中正造翁没100周年だ。
埼玉県や加須市も、遊水地を利活用した地域活性化への取り組みを始めている。
提言がその一助になれば幸いであり、私達も協働の精神で積極的参画したい。
「これからは、ボランティアガイドの組織づくりも必要かな~」と、ひげ爺の独り言。
地域と遊水地が、ひげ爺が言う 『人に優しい“平地の観光”』の舞台になるだろう。
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秩父札所めぐり 第六回目

2013-02-19 08:25:21 | 旅行・秘湯・巡礼 
前日には雪が降るなど、立春を過ぎても寒さが続くなかを秩父に向かった。
2月の巡礼旅で三ヶ寺に納経すれば、めでたく結願となる最後の旅になる。
日程に余裕があるので、宝登山神社とろうばいの観賞を加えることにした。
10時に宝登山に着き、まず神社に参拝してからロープウエイで山に登る。
そこには熟年男女が大勢、山歩きやカメラ好き者が花目当てに来ていた。
今年の蝋梅開花は2週間遅れ、東園は咲き始めで西園が八分咲きだった。
帰りは歩いて下山した50分、そこには杉の花がたわわに咲き誇っていた。

車に戻り秩父一番の難所観音院に向かうが、その前に昼の時間になった。
時間を気にしながら車を進めたが、途中に気に入った食事処がなかった。
観音院の近くの蕎麦屋さんで昼食、好みにあった美味しい食事が出来た。
そして31番札所の「観音院」に、山門を潜ると曲がりくねった石段が続く。
296段あるという急な石段を上ると、大きな岩屋に本堂が納まっていた。
足腰に負荷はかかったが、聖浄の滝や磨崖仏など満たされる感じがした。
石段を降りて車に戻り、さらに奧の県境近い「尾の内の氷柱」を見学した。

続いて33番の「菊水寺」へ、楠正成の家紋「菊水」に由来の寺名と伝わる。
本堂内が土間になっていて、親しみを持って訪ねる事が出来る寺だった。
そして結願寺「水潜寺」へ、荒川支流に沿う道は徐々に曲がって細くなる。
駐車場から三十三の観音像が並ぶ道を上り、進むと重厚な観音堂がある。
感謝をこめて納経し、ご朱印をいただいて無事に三十四の巡礼が完結した。
「鐘楼の鐘をつく浄財に、小銭を持っていないと困る」と、ひげ爺の独り言。
1万円札を出しても、釣り鐘だけに「つりがね~」と お釣りは戻ってこない。

コメント (1)
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蔵の町並み「川越」を歩く

2013-02-12 09:27:09 | 食楽・年金ライフ 
前日の雪も解けた快晴の2月6日、昼前の11時に東武線の川越市駅に降りた。
三軒町から連雀町を左折し、蔵造りの家並みが続く江戸時代にタイムスリップ。
途中に珍しい洋風の埼玉りそな銀行、この辺からは観光客の多さが目立った。
蔵造り町並み通りの中心部を右に入ると、小江戸を代表する「時の鐘」がある。
鐘つき通りに入ったら12時少し前、正午の鐘音を聞くことにしてしばらく待った。
鐘楼の下では、お別れ遠足の中学生が大勢集まってカウントダウンを始める。
電波時計か携帯を見ているらしく 秒読みは正確だった、ところが時の鐘が・・・。

蔵造り町並みに戻り、まつり会館を覗いて進み左折して菓子屋横町へ向かう。
途中で名物の「いも団子」を食べて、左に露地をはいると駄菓子屋さん横町だ。
駄菓子の幾つかを買い求め、観光協会の親父さんが推薦した鰻で昼食をとる。
食事を摂って外に出ると、気温も上がってきて散策には絶好の日よりになった。
町並みに戻って北に向かい右に折れ、市役所前の太田道灌像をみて本丸跡へ。
ちょっと遠回りになったが、中の門跡を見て川越高校脇から本丸御殿を見学。
駅に向かう帰り道は、富士見櫓跡から住宅地を歩き成田山別院から喜多院へ。

喜多院は、慈覚大師創建の星野山無量寿寺を慶長年間に天海が再建した寺。
以来、徳川将軍家に厚く保護され寺勢が盛んになり、隣地には東照宮もあった。
石段を登って東照宮を参拝して、住宅地と商業地をJR川越駅まで歩き続ける。
駅には午後の2時45分に到着、コーヒーを飲んで一休みすると丁度良い時間。
川越市内の散策歩数は12,747歩、帰宅して1日の合計歩数は16,783歩だった。
「時の鐘が正午に鳴らず、中学生の集団がズッコケていた」と、ひげ爺の独り言。
時の鐘は20秒遅れて鳴った、江戸と平成との時差が20秒だったと言うことか。
コメント (2)
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地元の名刹 不動岡総願寺

2013-02-05 07:57:30 | 地域活動・つながり
加須市の中心部に近い不動岡の地に、真言宗智山派の名刹「総願寺」がある。
「お不動さま」と親しまれ、節分の豆まきと9月の火渡り式の行事が有名だ。
豆まきには毎年大相撲の横綱や芸能人が来て、話題となり人出を呼んでいる。
今年の節分にも、横綱白鵬 大関琴欧州 立行司木村庄の助などが豆まきした。
節分の夜は、周辺が通行止めになりそれほど広くない境内は参拝客で賑わう。
ひげ爺は節分を前に、住職さんから総願寺についての講話を聴く機会を得た。

師は言う、総願寺は成田山新勝寺 高幡山金剛寺と共に関東三大不動と云う。
ご本尊不動明王は、平安前期の円珍作と伝えられ朝廷とのご縁が深いと云う。
京都御所にあったご本尊が、危難を避けて武蔵吉見に移されたのち 洪水に遭
って流され、現在の地に流れ付いたので不動岡と言う地名になったとのこと。
不動岡のほかにも、周辺には本尊流着に由来する地名が幾つか残っていると。
そして元和2年(1616)、総願上人が本尊を奉って一寺を建立したものと云う。
境内には本殿はじめ重厚な建物が建ち、忍城の北谷門を移築した黒門もある。

また言う、節分の豆まきは新たな春を迎える境の日に邪気を祓う行事とのこと。
人には108の煩悩があり、煩悩を3種類「赤・青・黒」の鬼に例えていると云う。
その鬼には3㍍もの大松明を振りかざし、邪気を追いはらう役目が負わされる。
そこでのかけ声は、「ふくはうち」だけを叫び、「おにはそと」は使わないと言う。
投げる「豆」は魔滅に通じ、総願寺の豆まきは350年以上の歴史があると云う。
「ところで、豆まき行事が仏事なのか神事なのか判らない」と、ひげ爺の独り言。
豆まきは神社でもお寺も行い、どちらの年男も「裃に袴」の神式装束で豆をまく。
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