経済や文化を学び、自己研鑚して社会に貢献しようという任意的な集団がある。
ある同窓会が主催するその会は、講演会や異業種交流会などを開催してきた。
その中心的人物が高校時代からの友人で、私も創設期のメンバーになっていた。
東京都内で活躍をしている同窓生の集まりで、創設してから20年ほどになる。
会社を退職してからの私は、退会した状態でほとんど出席してはいなかった。
ところが、その中心的同窓生から20回を迎える特別企画への参加を誘われた。
その企画は、東京大井競馬場が実施している「トゥインクル・レース」だった。
友人は、その幅広い交流のなかで大井競馬場と必然的な関わりを持ったという。
競馬場関係者との絆から、競馬文化を現場で体験し学ぶことの意義を感じとり
会の創設20回目に合わせた「特別企画」を開催することになったのだという。
東京都が所有する大井競馬場では、夏の夜に明るくて健康的な娯楽としてナイ
ターレースを運営しており、VIPルームの利用を推奨してくれたとのこと。
そして、「トゥインクル」なる キラキラ文化を実地研修することになったのだ。
4月26日の当日、競馬場門前に集合し 飲食物を買い出しし5時に入場した。
関係者に案内され中央棟へ、6階にある特別室に入ると気分は高揚してきた。
しかし文化を学ぶ高尚な研修会だから、運よく儲けようという博打ではない。
とは言え、馬券を買わなければ特別企画研修の成果をあげることはできない。
有名な講師の説明を受けて、第6レースから最終までの体験型研修を行った。
私は交通費こそ取り返せなかったが、投資額と参加費はキッチリ取り戻した。
「トゥインクルは輝く光という意味で、誠にいいネーミングだ」と、独り言。
レース後に部屋を片付けたが、ほぼ全員の姿はキラキラ輝いてはいなかった。
我が家周辺では、銘柄米「北川辺コシヒカリ」の田植えが盛んに行われている。
早い農家では4月13日に始まって、穀雨を迎えた先週末からピークになった。
3月下旬に種モミに 適した水分と温度を与え発芽させ、専用育苗ケースに土を
入れ「モミふり」をして、ビニールハウスで水と温度調整を続け育苗してきた。
4月初旬からパイプラインに用水が通ると、その水を田に入れてトラクターで
「しろかき」を行い、数日後に田植え機で手際よくイネ苗を植えていく。
今や米作りは機械が主役になった時代で、モミふりや発芽促進も機械的に行う。
トラクターなど、冷暖房にコンピューター操作つきのキャビン型が主流にある。
従来の車輪駆動式だけではなく、キャタピラー駆動の機種も見えはじめた。
田植機も年々改良され、乗用機は当然で運転と作業の機能も大分進化している。
直進性と回転性能が増し田上に施肥が連動、苗を挿す際の地ならしまでもする。
優れものの田植機なら、10アールの田の作業が50分ほどで終わってしまう。
もっとも、田植機に出来ないところや補正作業は手仕事で行うことになる。
・・・という事は、周辺の農家が平均的に所有する1.5ヘクタールの田圃も、
区画などの条件さえ良ければ、1農家の田植えは3~4日間で終わってしまう。
八十八の手がかかると言われた米作り、今や機械なくしてやってゆけない。
お陰で、高齢者やサラリーマンの土日農業でも十分米作りが出来るのだ。
しかしそのためには、収入に見合わない機械や設備代金と管理費が必要になる。
この地域の米作り、少ない大型専業農家と多くの兼業農家が混在でやっている。
「土日農家には、3~4日で終わる耕作面積が好都合だ」と、ひげ爺の独り言。
兼業農家のGウイークは、田植えを早く終わらせて家族で楽しむことになる。
桜の花が散って 若葉の緑が増す時期、本格的な野菜作りシーズンがやってきた。
ひげ爺は、新たな種を播いたり 幼い苗を育てたり 苗を畑に移植したりと忙しい。
外気温が十分でないこの時期は、ビニールハウスが 最重要な設備になっている。
ところが 先日の2度吹いた強風で、ハウスのビニールが破れてしまっていた。
出入口の扉も、開閉の回転軸と留め具が劣化していて うまく機能しなくなった。
そこで、腰のビニールとハウス専用の木製扉を購入して 付け替えることにした。
今までの扉とは寸法が違うから、ハウスの入り口面を造作しなければならない。
11日に農業資材店で、ビニールと専用扉にレールや金具などを購入してきた。
ところが計算違いで、部品不足の買い足しがあって1日では終わらなかった。
12日は親戚の法事があって作業は出来ず、土曜日と日曜日は 地域のお祭りの
当番役のため中断、最後に残っていた仕上げ作業は日曜の夕刻に行った。
猛暑対策の換気機能を向上させ、バージョンUPしたハウスが出来上がった。
昨日は そのハウスの中で、栽培する野菜の苗を植え付ける「苗床」作りをした。
深い溝を掘って 藁や堆肥に鶏糞や米ぬかを入れ、埋め戻して黒マルチで覆った。
一週間後のそこには、トマトとキュウリの市販接木苗が植えられることになる。
ハウスの外の畑には、ナスにピーマン インゲンにスイカの床も作ることになる。
他にキャベツ・レタス等の葉物野菜があり、遅れてオクラやカボチャも植える。
家族人数が減ったから、野菜の数量も減らさないと無駄が多くなるのだが・・。
「ひげ爺菜園では、耕作放棄地も減反政策もTPPもない」と、ひげ爺の独り言。
野菜を減らせば雑草が生える、畑の維持が仕事だと意地になってやっている。
気象情報では、4月2日は朝から雨が降り 夜は強い風雨になるとのことだった。
開花の早くなった桜と 暴風雨情報の天候で、旅への期待は 急速にしぼんでいた。
しかし 車が中央高速を進むと、雨は小降りになり 雲は上がり明るくなってきた。
須玉ICから北杜市山高の実相寺に着くと、雨は止んで駐車場の混雑も少なく、
日本三大桜の第一と言われる「神代桜」の花も 散らずに満開状態を保っていた。
樹齢が二千年の老大木は、主幹が途中から枯れた姿ながらも貫録を見せていた。
続いて日本桜百選になっている大法師公園に立ち寄り、花と展望を楽しんだ。
富士川に沿った道を身延へ進み、お蕎麦の旨い昼を取ってから久遠寺に上った。
お目当ての枝垂れ桜は、散り始めてはいたがその優雅な姿はひときわ目立った。
身延の町に下って、今夜の飲食物を買い込もうとしたが 食品スーパーや酒屋が
見つからない。 身延の人達は、仏に遠慮してお酒を飲まないのかとさえ思った。
何とか調達を済ませ、早川に沿って南アルプスの懐の奈良田温泉を目指した。
手前の西山温泉までは 昔に行ったことがあるが、道路が一段と良くなっていた。
その宿は日本の秘湯を守る会の「白根館」で、質素ながら落ち着いた宿だった。
夕食前の時間は、小雨に煙る山水画のような景色を見ながら至福の露天風呂だ。
つるつる感がたっぷりの泉質で、適度な湯温と24時間のかけ流しは有り難い。
食事は心のこもったもので、宿泊料の安さもあって リピーターが多そうだった。
二日目は、笛吹川と桃の花を眺めながら山梨市に進み 富士を望み甲府盆地を見
下ろす眺望と「新日本三大夜景」と名付く『ほったらかし温泉』に立ち寄った。
私は「あっちの湯」に浸って満足したが、「こっちの湯」に入る時間はなかった。
「温泉を2つ持つ施設が、それぞれ700円とるのは せこいなぁ」と、独り言。
往路は中央道の「あっち」の道で、帰路は雁坂から秩父経由の「こっち」の道。
「みかも」と読むその山は、佐野市と栃木市と岩船町の境界地になっている。
標高が229mの低い山で、カタクリの群落地があり全山が整備されている。
先月27日の朝、雲行きが心配されるなかカタクリの花を訪ねて行ってみた。
早朝は花が開かないことを承知で、駐車場の混雑を考えて早めに出発した。
群生地に最も近い駐車場に入って、「カタクリの里」に向かって歩道を登った。
後から車やバスでやってきた大勢の客は、服装 カメラは立派でプロ並みだ。
ところで 「みかも」を三毳とは、なんと変わった難しい文字を使うことだろう。
万葉集に「下毛野 美可母の山の・・・・」と 詠われているというから、古くか
らの地名に違いないのだが、三毳は美可母とも三鴨とも呼んでいたらしい。
語源からいえば毳とは、若芽が柔らかい毛質に包まれている状態らしい。
また毛野(けの)という地名は、今の群馬と栃木の両県を範囲とする地名で、
古代の地域豪族「毛野」氏や地名「鬼怒」にも由来すると言われる。
後に、下毛野(しもつけの)と上毛野(こうづけの)に2分割される事になった。
さて お目当てのカタクリだが、群生地の「カタクリの里」 で花は満開だった。
時間的にまだ花弁が下を向いていたが、斜面は紅紫色の絨毯模様だった。
陽射しを受ければ、花は上向きになる特性があるので40分ほど待っていた。
10時を過ぎても、天候は良くなるどろか 霧雨も降ってきたのであきらめた。
それでも、群生のカタクリが一面に花開いている風景は見ごたえがあった。
「上毛や両毛は今でも使うが、下毛は何故か使わない」と、ひげ爺の独り言。
群馬県の人は上の毛だからいいが、栃木県の人は 下の毛ではいやだろう。