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ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩42〔鳩ケ谷〕

2025-02-18 08:58:27 | 食楽・年金ライフ 

「雨水」前の 暖かった一昨日に、街なか散歩を思い立って 「鳩ケ谷」へ出かけた。
かつての鳩ケ谷市は、鉄道も 駅もない 埼玉県内唯一の「市」という時期があった。
後に埼玉高速鉄道が開通し、さらに 川口市と合併し 今はその一地区になっている。
JR「東川口」で乗り換え、地下の「鳩ケ谷駅」で下車し  庁舎口から地上に出る。
南に少し歩いて左折して進むと、「庁舎西」の大きな交差点の中央分離帯にあたる
中洲には 大きな岩があり、その岩には 「ここから北・鳩ケ谷宿」と刻まれてある。
そこから 北に向かう道が「御成道」で、徳川将軍が 日光社参の時に使用した街道。
街道を北に進み 案内板「宿村境」を越え、「駅入り口」周辺から 旧「鳩ケ谷宿」。
道のうねり具合は 古い街道を思わせるが、宿場町の面影は ほとんど残っていない。

左に老舗「魚重」を見て進むと、見沼代用水にかかる「吹上橋」で 水路脇は 歩道。
一里塚の標柱があり、その先 左に「からくり時計」があり 隣が鰻料理の「湊家」。
さらに進み 表示を見て左に路を入ると、奥の右手には 鳩ケ谷総鎮守「氷川神社」。
街道に戻って歩くと 左に鰻料理の「いせ庄」、この日の昼食は 名物の「うな重」
食後は 街道右奥にある「郷土資料館」を覗き、戻って 北に進むと右に「市神社」。
左に「小谷三志旧居址」、その先の右側「シモン」でお茶し さらに歩いて「桜町
五丁目」の交差点を右折すると 真言宗「地蔵院」、参拝して街道に戻り北に歩く。
鳩ケ谷市域を越え 進むと「新井宿駅前」十字路、右折し駅の入り口で散歩は終了。
『鳩ケ谷宿の街道脇に、鋳物製の古い丸形ポストが 多いのは何故?』と、独り言。
久しぶりの街なか散歩、体力強化が主目的も 見るもの食べるものに満足した一日。

 

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氷川神社の 「節分祭」

2025-02-04 08:41:58 | 地域活動・つながり

今年の節分(豆まき)は、うるう年の関係で一日ズレて4年ぶり2月2日になった。
日本式の暦の24節気では、節分までが冬の季節で 翌日の立春からは春になる。
季節の変わり目は  病気や災難にかかりやすく、それらを鬼に見立てて追い払う
「豆まき」が全国的に行事化されたが、地域や時代によって 内容に違いもある。
我が家の節分は、2021年2月のブログに 投稿しているのでご再読ください。
今年の節分は小雨で寒くなったが、氷川神社の節分祭を 転居後初めて見学した。

ひげ爺は儀式に合わせて、午前午後の二度訪れて古式ゆかしい行事を拝観した。
午前9時からは拝殿内で祈願が行われた後、舞殿で神職が 弓の弦をひき鳴らし
て邪気を払う 「鳴弦の儀」(めいげん)が、厳粛に執り行われ1時間ほどで終了。
午後3時からは 参拝者多数を迎え、豆まき 「撒豆の儀」(さんず)が行われた。
笛と太鼓の囃子のもと青鬼青鬼が登場し、大相撲の音羽山部屋力士はじめ年男
や 地元名士が順次登壇、福豆ならぬ 袋菓子などを撒いて4時半過ぎ 終了した。

お賽銭は それなりにあげたもので、帰りのポケットには  ゲットした撒かれた
駄菓子が数個入っていて、小さなビニール袋に包まれた 冷凍イワシも あった。
自宅に帰って一休み、焼イワシと煎り豆を用意し 神棚に奉じて 簡略な豆まき。
夕食はイワシと市販の「恵方巻」、今では 節分の主役は 豆まきより恵方巻だ。
『節分にイワシは必須、でも 撒かれた「空飛ぶイワシ」に驚く 』と、独り言。
小雨でも対策は万全、帽子からウエアーに靴まで ゴアテックスの 完全武装だ。

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