嫁に行った娘の一人の子だけが、いまのところひげ爺の孫である。
外孫だが、たった一人のその孫は女の子で2月22日が誕生日。
親子でこの2月21日(土)から泊まりで我が家に来ていた。
ちょうど2月22日の日曜日が孫娘の誕生日、満で5歳になる。
と言う訳で、前日の土曜日は誕生日祝いのプレゼントのために女性
達が孫を連れて、総出でイオンモールまで買い物ツアーに出かけた。
結局お目当ての品物がなく、足を棒にしただけで終わったようだ。
代替品では 孫娘は納得しそうもないので、お婆ちゃんである我が妻
としては、後で買うようにとお祝いをお金で渡す事になった。
子供も5歳になると、自分の欲しいものもハッキリしてくるようだ。
自己目的を達成するための知恵も手段も知っているらしい。
代替品では、より高価な品でも承知することは出来なかったらしい。
帰ってきて、どうも娘の様子がおかしく、何か変なのである
今日はケーキだけで誕生日のお祝いして慶んだのが・・・・。
「五歳なったら、お利口になって・・・」と皆が言ったのだった。
孫としては、一歳大きくなったことで、甘えや我が儘を云うことが
出来なくなると思い、プレッシャーを感じているらしい。
ケーキは甘く美味しいのだが、心は甘いだけではなかったのである。
「子供ながら、都合の善し悪しが判るようだ」と、ひげ爺の独り言。
でも帰る頃には、すっかり昨日までの4歳の孫娘に立ち戻っていた。
立春もすぎ、三寒四温の中で春を間近に感じるようになってきた。
そう言えば、日の長さもこの一ヶ月で大分伸びてきている。
昨日の朝には、庭の椿の中でウグイスが下手な初鳴きをしていた。
赤色椿はすでに咲き終わり、早咲水仙の花が終わろうとしている。
玄関前の梅がちょうど満開、下木のボケも花を開き始めている。
春の香りを食卓に届けていた蕗のとうは、すでに花になっている。
白色椿と黄花椿が蕾の状態で、今にも開きそうにふくらんできた。
さらには、土佐みずきや姫こぶしの蕾も大きくなっている。
畑の野菜なども春の陽射しを受けて一段と元気が出てきたようだ。
ほうれん草 ネギ苗 掻き菜に、タマネギ キャベツ きぬさやなど。
雑草も葉を伸ばし始め、種類によっては花芽をもっている。
春を前に草取りや耕作など、畑の手入れをする時期になってきた。
その前に果樹の手入れ、明日から梯子をかけて枝の剪定をしよう。
すでに根まわりを掘って、お礼ごやしの寒肥を施してある。
柿・梅・スモモ・みかん・桃・リンゴ・夏みかん・柚子の剪定だ。
剪定は毎年のことだが、枝勢と花芽のつき具合が違うから難しい。
花芽は、多く残し過ぎても駄目、少な過ぎても駄目。
「花芽をうまく調整する事がなかなかで・」と、ひげ爺の独り言。
暖かい日が2日も続けば剪定は終わる、それから畑の仕事になる。
鬼怒川温泉の川沿いに吹く風は、強くはないもののさすがに冷たい。
それも朝6時半、谷間になるその路に朝陽はまだ射しこんでいない。
観光ホテルの前から、早朝で閑散とした鬼怒川温泉の街並みが続く。
そんな街のなかの細道を同級生3人の早朝散歩は始まった。
幸い 道に雪はまったくない、今年は雪の降ることがなかったと言う。
少し歩いた温泉ホテル前あたりで、体が温まり 手袋も不要になった。
あさやホテルの前に行くころには、体は ポカポカ状態になっている。
やや上り気味の道であるが、国道に出ると 前後の眺めも開けてきた。
遠くに鶏頂山が見え、その頂上付近には 少しではあるが雪が見える。
右手下に鬼怒川の景観を見ながら さらに歩き、鬼怒岩橋をわたる。
紅葉の最盛期には竜王峡に続くもみじの名所になるところでもある。
人形の美術館で右折し、鬼怒川左岸の旧道を下り 公園駅前から旧道
旧道には古い建物や廃屋が多く、建物が朽ちかけている。
鬼怒川温泉の衰退を見せられているようで何とはなしに寂しい。
私たちは今、昔の会津西街道を南の方向に歩いている訳である。
鬼怒川の川水では下り方向なのだが、東武鉄道の線路は上り方向だ。
同じ方向が、船に乗れば下り電車に乗れば上り、これは判りにくい。
そんなバカな事を考えながら、温泉中心部のふれあい橋の東に出た。
時間と共に大分明るくなってきた橋を渡り、宿泊している宿に到着。
時間にして50分、歩数6000歩、距離は約4㌔メートルの散歩。
『お陰で朝ごはんが美味しく食べられそうだ』と、ひげ爺の独り言。
一息ついて朝食バイキングだったが、ちょっと食べすぎたようだ。
玄関前にある梅の木の蕾が膨らんで、その花びらを広げ始めている。
今日2月3日は節分だが、我が家では夕刻過ぎに「豆まき」をする。
すでに昨日、大豆を水に浸し洗いしてから笊に揚げて乾かしてある。
必需品である「鰯」も、形の良い大きいものを買ってきて用意した。
垣根のヒイラギの木から、枝を切り取ってきて2本の串も作った。
食べるための恵方巻の太巻き寿司も、出来合いの物だが買ってきた。
後は、時間を見て大豆を煎り焼いて一升桝にいれる。
それから鰯を焼いて、その頭だけをヒイラギの枝串に刺す。
これを煎り豆の入った一升桝に載せて、一旦神棚に奉納する。
その後で、鰯の頭のついたヒイラギを 家の門の両脇に立て刺す。
子供の頃に「この臭いが厄除けになる」と聴かされたものだ。
夕刻を迎えたころから豆まきを行う。これはどうも男の役目らしい。
「福はうち、福はうち、鬼はそと~」を繰り返す。
神棚からはじまり、家の中 玄関前 庭から納屋 裏庭 お稲荷様まで。
そして夕食の際には豆を食べ、鰯を食べて身体と家内の安全を祈る。
残った豆は、数日後の初午の日に「しもつかれ」の食材に利用する。
『昔の人は無駄なく、うまく考えたものだ!』と、ひげ爺の独り言。
門脇に2本立てた鰯の頭は、時間も経ずして犬の好物に変わってる。