ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

日本の人口減少が心配

2012-07-31 08:23:09 | 社会・経済・国際 
2010年の国勢調査によれば、日本人数は1億2535万8854人だった。
厚労省社会保障審議会の報告によると、2008年から減少に転じた日本
の人口は 50年後の西暦2060年には8678万人になると推測している。
昨年の出生率1.39は今後も低下し、2040年以降毎年100万人以上の
マイナスが続いて、和歌山県1県が毎年消滅して行く計算になると言う。
推測に基づくと、2100年人口は現在の半分以下の4800万人程になる。
背景に婚姻数の減少、初婚年齢の高齢化、産み控えの増加などがある。

晩婚化が進む現在の初婚年齢は、夫が30.7歳で妻が29.0歳である。
平成23年度の出生数は、105万698人で過去最小を記録したと云う。
対する60歳の人口は、226万人余と云うからまさに少子化・高齢化だ。
日本人は今「自分の生活が第一」で国民性や社会性が乏しくなっている。
これら人口統計や傾向は、国の政治経済など国家運営上の基礎になる。
急激な高齢化と人口減少は。日本の国家戦略にとって陰となっているが、
その課題を負う少子化担当大臣は、民主党政権3年間で9人も交代した。

環境変化に対応出来ない種は亡ぶと云うが、日本はその論と異なるのか。
かつての原住民は、先進異民族による環境変化に対応できず減少してい
ったが、日本人は変化に対応し高度化しながらも生存力が低下している。
馬鹿げた話であるが、2700年に日本人は一人になると言う試算もある。
・・と云うことは、絶滅危惧種に指定されてしまうのかと 心配になってくる。
「今から子供を作れと言われても、俺に出来る訳ない」と、ひげ爺の独り言。
しばらくは人口減少が続くだろうが、何時か反転し増加してほしいものだ。
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坂東札所めぐり 第十三回

2012-07-24 11:40:23 | 旅行・秘湯・巡礼 
今回は坂東札所三十三箇所に納経し、無事結願できた御礼の参拝になる。
札所めぐりの大締めとも、納経帳や掛け軸の仕上げとも言える旅になった。

結願御礼の寺: 長野市 定願山 善光寺 本尊 一光三尊阿弥陀如来
本尊は仏教の伝来とともに渡来したと伝わり、日本最古の仏像と云われる。
大和朝廷内の崇仏廃仏論争と政争の末に、難波の堀江に打ち捨てられた
ものを、信濃の住人本多善光が郷土飯田にお連れして奉ったと伝えられる。
642年現在地長野に遷座し、勅願により伽藍造営されて名を善光寺とした。
戦乱や火災で荒廃したが、江戸時代に現在の金堂などが復興されている。

善光寺対の寺: 別所 北向観音(本坊常楽寺) 本尊 千手観世音菩薩
善光寺の南向きに対し、対の北向きに建っている事から北向観音と呼ぶ。
平安初期に慈覚大師が創建したと伝わり、969年に堂宇が造営された。
木曽義仲の兵火で消滅したが、源頼朝と塩田北条氏によって再興された。
善光寺は来世の利益をもたらし、こちら北向は現世の利益が得られると云う。
善光寺だけの参拝は片参りと言われ、北向観音との両参りが推奨される。

真言宗豊山派大本山:音羽 神齢山 護国寺 本尊 如意輪観世音菩薩
高速道路とビルに囲まれた都心に、真言宗豊山派の大本山護国寺がある。
天和元年(1681)、徳川五代将軍の綱吉公が生母桂昌院のために開山した。
桂昌院の持仏を本尊に、上野国碓井八幡宮の別当亮賢僧正を招いて創建。
徳川家の篤い信仰と寄進を受けて、多くの堂宇と文化財を寺宝としている。
観音堂は元禄時代の建築で、落ち着いた寺域は江戸の面影を残している。

梅雨あけの19日は長野の寺を車で、翌日は東京の寺を電車で参拝した。
車での参拝は、届いたばかりの新車のならし運転と安全祈願の旅になった。
牛の角に布がかかり、それを追って善光寺をお参りしたという逸話がある。
「牛と布ではなく、朱印に魅し新車を慣らす御礼参りだ」と、ひげ爺の独り言。
掛け軸の朱印も36ヵ寺となり、最上段の真ん中には菊の紋章もいただけた。
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夏野菜が豊作のひげ爺菜園

2012-07-17 07:26:32 | 家庭菜園・庭・花 
我が家の狭い家庭菜園では、成りもの夏野菜が収穫最盛期を迎えている。
ビニールハウス内では、大分前からトマトとキュウリの収穫が続いている。
トマトは4月初旬に深溝を掘って床造りして支柱を立て18日に市販の接木
苗を植え、4月末に付いた二番目の花から着果促進剤をつけて着果させた。
深根誘導と水を極力抑えた栽培で、糖度を上げたうえ完熟収穫している。
6月中旬から収穫をはじめ、現在9段目まで着果して4段目を収穫している。
真夏は暑さ負けで着果率が落ちるが、丁寧に育てて10月まで食べ続ける。

キュウリは トマトと同様に4月初旬に床づくりをし、19日に定植して誘導網
を設置し3週間後に花実をつけ、その10日すぎには収穫を始めた。
主幹を伸ばしながら節成りに実を付け、背丈以上に伸びた後は横芽を縦横
に伸ばし、その枝茎に次々と実をつけて今では毎日7~8本を収穫している。
露地植えの茄子は、市販の接木苗を深根誘導型で定植しビニールトンネル
で成長させてからビニールを取り除きフレームは支柱として使用している。
三つの成り物夏野菜が大豊作で、収穫が食べきれない数量になっている。

そのほか、インゲンにキャベツにカリフラワーの収穫が終盤期になっている。
食べきれずに余った野菜は、ご近所や親戚にお届けして食べて貰っている。
スイカにカボチャが加わるお盆頃は、果物も加わって甘い物で大賑わいだ。
スイカもトマト同様に、水分を抑えて甘味が増すように乾燥栽培している。
「野菜の糖度上昇はいいが、糖尿の数値上昇は困る」と、ひげ爺の独り言。
毎年秋から糖尿が悪くなるのは、甘い夏野菜と秋の果物が原因らしいのだ。
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渡良瀬遊水地でポタリング

2012-07-10 09:22:15 | 地域活動・つながり
7月も中旬を迎えると云うに、まだ梅雨が明けずに曇天の日が続いている。
そんな梅雨空のもとで、渡良瀬遊水地内を仲間とサイクリングして回った。
仲間とは、この地域で活動する団体「地域まちづくりの会」メンバーである。
その会は地域づくりについて検討し、集約した意見を首長に提言してきた。
会は新組織になり、今年度テーマを「渡良瀬遊水地の魅力と活用」とした。
このテーマ決めは、遊水地のラムサール条約登録を見込んでの事だった。
行政や諸団体とも連携しながら、身近な遊水地について考えることにした。

活動の一環として、7月7日に遊水地の見学会を実施することになっていた。
くしくも7月3日夕刻、ラムサール国際条約登録決定の朗報がもたらされた。
見学会は「道の駅」に9時集合、霧雨の煙るなかで相談のうえ実行と決定。
自転車で堤防を下りて、ハート湖の北ブロックから時計回りに~想い出橋
~展望台・ヨシ原浄化地~子供広場・展示館~谷中村史跡~ウオッチング
タワー~ヨシ原湿地~鷹見台・渡良瀬川本流~谷中橋~谷中湖畔と回り、
中の島でコーヒーブレイクして 下宮橋・中央エントランスで12時前に解散。

湖の水位は豪雨に備えて下げてあり、ヨシは人の背丈を超える高さだった。
曇天の遊水地は来場者も少なく、散歩やジョギングする人・子供広場で遊
ぶ家族や釣り人・カヌークラブの人やサイクリングをする人等がちらほら。
梅雨が明ければ、水辺を中心にアウトドアーを楽しむ人達で賑わってくる。
さらには、施設見学や観光客と貴重な植物や野鳥の観察と写真撮影など。
「登録で賑やかになるだろうが、来場者マナーも心配」と、ひげ爺の独り言。
ブランド力を活かした情報の発信とともに、自然環境の保全が重要になる。
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坂東札所めぐり 第十二回-Ⅱ

2012-07-03 07:09:40 | 旅行・秘湯・巡礼 
好天のもと、鴨川のペンション「フォーシーズン」を後に気分良くスタートした。
いよいよ坂東三十三カ所めぐりの最終地、結願寺「那古寺」の参拝となった。
振り返ってみると、昨年の9月に始めた三十三カ所めぐりも予定通り進んだ。
行程作りはさすがに慣れたもので、ルートや時間もほぼ完璧なものだった。
お寺やご本尊にもお坊さんにもそれぞれ特徴あり いろいろな味わいだった。
季節も天候もいろいろ、景色や花や食べ物などを味わいながらの旅だった。
それらの想い出を、納経帳や掛け軸等に朱印で残しブログにも書き残した。

坂東観音霊場三十三番: 補陀洛山 那古寺 本尊 千手観世音菩薩
館山市の東京湾沿い船形の丘中腹に、坂東札所の結願寺「那古寺」がある。
養老元年行基が千手観音を刻み草創、天皇の勅願で堂宇が整ったと云う。
源頼朝や足利尊氏の信仰を受け、元禄地震の後は徳川幕府によって再建。
県道から上る急な石段は男坂、本坊のある駐車場からの曲り坂道は女坂。
仁王門に続く境内に多宝塔と本堂があり、館山湾一望の眺めは結願の感。
山号の補陀洛は、海の彼方の観音浄土の事と云うから那古寺はお似合だ。

さて帰路の昼食は、姉夫婦推薦の保田漁港にある直営食事処「ばんや」で。
11時半に着いたら、三つある大きな駐車場がほとんど満車状態の賑いだ。
お店に入ると名前を書いて待つことに、その間は周りの人に聞き込み開始。
漁師が自分の定置網で捕った魚を、小屋掛けの店で食べさせていたと云う。
隣に二号店・三号店もあるが経営は別人らしく、やっぱり本店がいいらしい。
新鮮で美味しく量多く安いから、評判も当然で「まね」は通用しないと云う。
「漁に関わる 『ばんや』で 、受け付けた順に俺の番や」と、ひげ爺の独り言。
番と言えば 間もなく新車が届く、エスティマでの遠距離走行も結願となった。
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坂東札所めぐり 第十二回-Ⅰ

2012-07-02 11:28:48 | 旅行・秘湯・巡礼 
坂東札所めぐりもいよいよ大詰めとなり、今回は1泊し 二日間の旅となった。
第一日目の6月30日(土)が、札所めぐり第十二回目の旅と言うことになる。
土曜日で渋滞もなく、川崎からアクアラインの「海ほたる」でコーヒータイム。
宿泊は料金をケチった訳ではないが、安房鴨川のペンションをネットで予約。
「その名は『フォーシーズン』と云い有名ホテルと同じだ」と、ひげ爺の独り言。
手作り洋食料理と朝の山道散歩は、糖尿病にはちょうど良いメニューだった。

坂東観音霊場三十番: 平野山 高蔵寺 本尊 正観世音菩薩
木更津市の東に位置する丘に、別名高倉観音と呼ぶ平野山高蔵寺がある。
駐車場から石段を上ると、鐘楼と仁王門があり正面に高床式の本堂がある。
縁起によると、六世紀に徳義上人が4寸ほどの観音像を安置したと伝わる。
その後、行基が徳義上人の奉った像を頭に納めた本尊を刻み納めたと云う。
高床づくりが寺号になったと云われ、大きな本尊は床下から立像している。

坂東観音霊場三十一番: 大慈山 笠森寺 本尊 十一面観世音菩薩
房総半島のほぼ中央に位置する長南町、その丘陵地笠森に笠森寺がある。
大きい駐車場から自然林の中を、女人坂の石段を上ると風神雷神を奉る門。
門をくぐると正面に、舞台づくりの本堂が天空に向かってそびえ立っている。
延暦の時、伝教大師最澄が楠に十一面観音を刻んで安置し開創したと云う。
日本で唯一の四方懸造り本堂は、柱が61本で地上から床まで16mもある

坂東観音霊場三十二番: 音羽山 清水寺 本尊 千手観世音菩薩
海岸から少し入った「いすみ市」の丘陵地、清水が涌く山中に清水寺がある。
それは、京都の清水寺と山号も寺号も全て同じくする「日本三清水」の一つ。
延暦年間に最澄が庵を結んだと言い、後に慈覚大師が像を刻んだも伝わる。
また807年には、東征中に立ち寄った坂上田村麻呂が堂宇を建てたと云う。
八脚の仁王門とその先に朱色の四天門が、さらに石段を上ると本堂がある。

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