ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩22〔上尾 桶川〕

2021-02-16 10:02:18 | 旅行・秘湯・巡礼 
大宮から路線バスで 旧中山道を北に進み、加茂宮から宮原を経て馬喰新田か
ら上尾市域に入り、その先で下車して歩きはじめて最初に「愛宕神社」参拝。
ここから先は旧上尾宿で、近くに住む娘と待ち合わせて合流し散策を続ける。
宿場中心だった仲町に入ると 右側が脇本陣跡で、当時の鬼瓦を塀に埋め込ん
だ「井上家」があり、左側に小さな鍾馗様を屋根に置いた「新井屋」がある。
場所はJR上尾駅の近くにあって、街道筋に昔の遺構や面影はほとんどない。
その先左側が上尾宿総鎮守の「氷川鍬神社」で、天明時には 細長の狭い境内
に郷学の塾があり、朱氏と菅原道真を祀ったことから「二賢堂」とよばれた。
上尾駅前を過ぎて右に入り、遍照院でお玉の墓にお参りして桶川宿に向かう。

街道は平たんな一本道で、休むところもないのでひたすら歩く40分だった。
桶川市域に入って間もなく、川越街道と交差する所の右側に「木戸跡の碑」。
進むと左に古い建物の「武村旅館」、その先に梵鐘を持つ山門の「浄念寺」。
ちょうど昼時になり、手打ちうどんの昼をとってから駅前通りをすぎて右側
の奥に「島村住宅土蔵」、珍しい三階建て土蔵ながら外観見学だけになった。
さらに進むと右には立派な土蔵の「矢部家住宅」、反対側に「小林家住宅」。
その先の右側が「桶川宿本陣遺構」で、「皇女和宮」の宿泊所としても有名。
反対左側の 展示施設「宿場館」を確認して、JR桶川駅にもどり 散策を終了。
『この日はバレンタイン、歩数はチョコっとでない1万3千歩』と、独り言。
コロナ自粛が続きエンゲル係数は上昇中、かたや体重や血糖値は下がらない。

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いつもと違う 節分 初午

2021-02-02 17:51:43 | 食楽・年金ライフ 
今年の「節分」は いつもと違い、立春が2月3日の関係で2月2日になった。
私は2月3日が節分と思っていたが、年によって違うこともあり その定義は
春夏秋冬の分れ目が節分で、季節の始まる日(立春など)の 前日になると云う。
古い農耕中心の考え方では、立春を節目に新しい年が始まるという暦になる。
年始めの節分は重要で、江戸時代に節分といえば2月のこととなったようだ。
節分の豆まきは、邪気や災いを鬼として負い払うことで雷除けにもつながる。
農耕民族系の我が家の節分は、鰯を焼いて頭を柊に刺し 煎り大豆とを神棚に
奉じてから豆まきし、鬼を追いだしたら邪気除けに柊鰯を門の両側に立てる。
そんな節分も転居後は簡略化し、豆は煎っても豆まきは形だけで鰯は焼いて
も身だけ食べて頭は使わず、夕食は鰯とともに市販の恵方巻を食べて終わり。

いつもとの違いがもう一つ、今年は「初午」が立春当日の2月3日だった事。
我が家は2月最初の午の日に、郷土料理を作り屋敷内の稲荷様に奉じてきた。
その料理「スミツカレ」は、大根の鬼おろしに お正月の新巻鮭の残りと節分
の残り豆を使い、酒粕・竹輪・ニンジン・油揚げを加え味付けし煮込むもの。
屋敷稲荷も五穀豊穣の願いもない今年は、料理は作っても寂しい初午になる。
豆や鰯を焼く節分と、スミツカレを作る初午が同時になるのはいつもと違う。
2月3日生れの家族もいて、今年は節分 立春 初午と誕生日が てんこ盛りだ。
『季節を分ける節目には、節分に似た 六つの「節句」もある 』と、独り言。
季節感ある農耕民族的催事は、生活の高度化とともに簡略化してゆくだろう。
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